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2005年05月27日

都立大・短大教職員組合、東京都の産業科学技術振興指針の問題点について

東京都立大学・短期大学教職員組合
 ∟●「大学に新しい風を」第7号(2005年5月23日)

東京都の産業科学技術振興指針の問題点について

理学部支部  宮原恒昱

 東京都が平成16年に策定した、「産業科学技術振興指針」は、新大学の位置づけや「産業科技術大学院」の設立にも触れており、新大学における研究教育にも大きな影響を与えると予想される。新大学自身のもつ種々の問題点は別のところで論じられているので、ここでは産業科学技術政策の視点にしぼって問題点を指摘する。
1)皮相的な現状分析
 「指針」では始めに、東京における事業所数・従業員数の減少、ベンチャービジネスの起業等について、統計データに基づいた記述がある。そこでは、電気通信業および情報サービス・調査業が高い伸びを示していることが強調されている。これは「秋葉原ITセンター」設立の方針の前提になっている分析と思われる。
 しかし、現在ITに関わる産業構造が10年前の産業構造を根底から変えてしまったことが分析されていない。現在のIT産業はその基礎として、第1に半導体メモリーやDVD、光信号ケーブル等のハードウェアにかかわる分野、第2にそれらハードウェアを基礎としてコンピュータやOSやCPUを開発する分野、第3にそれらを用いてネットワークを構築する分野、そして第4に、そのようなネットワークを用いて流通や情報提供に関わっていく分野、という重層構造をなしていることが特徴である。
 ここで注目すべきは、それぞれの階層が独自の論理で価値を創造する環境が醸成されていることである。たとえば第3の階層でNTTがネットワークを構築したとしても、それを利用して別の携帯電話会社がさらに付加価値を生み出す産業を創出する例がいくつも起きているが、この活動は第4の階層に属する。NTT自身が第3階層で多大の「貢献」があるにもかかわらず、第4階層で遅れてしまっている。当然であるが、ヤフーや楽天などはほとんど資本を必要としない第4の階層でビジネスモデルを構築した。
 一方、一昔前に何が起きていたかというと、日立、富士通、NECなどの大企業は、第一階層から第3階層まで自社ですべてまかなえる体制をとろうとしていた。ところがしばらくたつと、半導体メモリーの生産などは、発展途上国の安い労働力にはかなわなくなり、日本はDRAM市場からほとんど撤退するありさまになり、トップは韓国のサムスン電子となった。実はインテルもDRAMでは勝ち目がないとみてCPUに特化してきたため、日本のメーカーはCPUでも後れをとってしまった。さらにこの階層ではマイクロソフトがOSに特化してエネルギーを注いでくると、日本のメーカーは、第2の階層ではどこでイニシアチブをとるか困ることになった。そこで開発されたのは、デジカメや高品質TVなどの大量な新たな民生需要の創出と、少量生産ではあるがスーパーコンピュータなどであるが、そうして生きる道を開拓してきた。
 ここで注目すべきは第2階層で不可欠なソフト等の開発は、優秀な頭脳を持つ中国やインドの労働者にかなわなくなっていることである。だから一昔前の狭い意味での「コンピュータサイエンス」を教育して学生を卒業させても、ソフトやアーキテクチャーの開発などでは、各企業はインドや中国に外注するから、かれら卒業生の活躍の場が我が国から消えつつある。また、一部にはなお日本の労働力に頼る場合もあるが、そこでは信じられないような長時間過酷な労働が行われ、統合失調症などの精神的病を生み出す例が後を絶たない。20代後半にして疲れ切り、30代になっては仕事の意欲を「喪失」した元「ソフトウェア技術者」が増大しているのである。「指針」はこのような現実に目をつむっている。
 さらに、国際的に比較すると、日本の第三次産業の生産性が極めて低いことも注目に値する。これは、銀行等の金融業、運輸業、百貨店等の小売業でとくに著しいことはあまりにも有名である。特に、卸売りや小売りなどでは、パートなどの低賃金労働者に依存しているにもかかわらず、アメリカに比べて40%程度の労働生産性に過ぎない。それは、これらの業種が上述の第3の階層を前提にしたビジネスモデルを構築し得ていないからと考えられている。逆にアメリカ資本である「COSTCO」などの卸売りチェイン店は、徹底的にITを駆使した流通・在庫・発注管理などにより、日本の真似できない安売り攻勢をかけている。しかし「指針」では第三次産業は軽視されており、いわゆるナノテク技術のみが重視されている。
 また、我が国の経済が立ち直らないことから、ハードウェアについても大企業による思い切った投資を行う環境がなく、液晶パネルでも投資額ではサムスン電子に追い抜かれている。これは中小企業の責任ではなく大企業の責任であるが、「指針」にはこのような分析はない。
 以上のことは何を教えているだろうか。ITなどと一般的な用語を用いても現実の産業動向の分析がないと、投資をしてもまったく正の効果があがらない危険性である。実際「指針」に記述されている分析は極めて皮相的であり、数字が並んでいるだけで、東京に種々の産業や大学・研究所が集中しているという認識だけでは、とても分析に値しているとは言えないのである

2)次に大学に関わる方針を見てみよう。「ナノテクノロジー研究を中心とした研究拠点を整備し」とか「城南地域の中小企業のニーズに合致した研究テーマを取りあげる」という表現が目につくが、このようなものは方針ではなく願望に過ぎない。またしばしば「高付加価値」という文言が目につくが、このような題目を唱えても(この「指針」では題目でしかない)いったい何をどのようにやればいいかの戦略は明らかにならない。
 「都全体の地域性を考慮したプロジェクトとしていく」に至っては、唖然としてしまう。そもそもITの重要な本質の一つは、1)で述べた第4階層を前提としたグローバリゼーションであることはイロハであり、(良くも悪くも)その最大の効果は地域性の消滅なのである。もしも都が、そのような地域性消滅に抗して一定の規制をかけるというのならそのような方針が提起されてしかるべきであるが、それは、市場原理で自己展開するITに背反する論理なのである。
 もっと別の角度から言うと、都はここ数年(特に石原知事以降)中小企業関係の予算をカットしてきた結果、6年前の36%減となっていることを見ておく必要がある。これは都の言う「中小企業振興」が題目でしかなく、現実には背理していることを示す。
 このように見てくると、今回の「指針」でも、そもそも科学的に分析して正しい方針を提起するようなものでなく、単に流行的な用語をならべただけではないかと勘ぐりたくなる。あまりにも初歩的な背理が多いからである。たとえば「大学での研究活動から生まれた成果を特許権利化するように研究者の認識を高め」とか「産業界への技術移転をはかっていく」という表現は、中小企業を救おうとすれば背理である。知的所有権は所詮有償であるから、主として支払い能力のある大企業しか利用の機会がない。従来の大学の研究者は、たとえ特許化が可能な場合であっても、独占を許さないために(論文等で早速と公表して)無償で共通の財産にする道を選んでいる場合も少なくないのである。
 また、一般に特許の大部分はある意味で生産を阻害する自社防衛的なものであることにも、目をつむっている。資金力のない中小企業を救おうとすれば、大学は、自分自身が儲ける立場を放棄して「持ち出し」をするしかないのである。
 産業技術大学院については「物作り現場における企業の課題解決を指向した実用レベル技術研究の実戦と産業界が求める高度職業専門人を育成するため」設置するという。しかし、これは研究と技術の関係を理解しない方針である。研究は研究費を必要とするが、さしあたって採算が取れるかどうかは第二義的である。しかし企業の課題解決といえば採算が取れることが前提になる。だから都が提起するような方針は、企業とは別の仕組み(公的研究資金など)から大学が導入した資金による研究で得た成果を、特定の企業に低額で移転することを意味する。これは、大学側から企業に資金が流れるのと実質的に同等である。ところが一方で、新大学の「中期目標・中期計画」では企業等から10億円の外部資金を導入することが唱われているので、資金の流れの方向が逆である。これも明らかに背理の典型例である。都はいったい、大学から企業への資金の流れを推進するのか、それとも企業から大学への資金の流れを推進するのか、まったく方針が定かでない。
 かくのごとく背理に満ちている「指針」では、およそ東京都における産業を育成する指針とはなり得ないのである。
 一方、国は「科学技術基本計画」に基づいて、平成13年から今年度までの5年間に24兆円の投資を行って、ナノ・材料、バイオ技術、IT、環境の4分野に集中的に投資してきた。それ以前の平成8年から12年までの5年間は17兆円の投資を行った。しかし、日本の産業界の現状を見ると必ずしもその効果が上がっているとは言い難い。
 この理由は色々あるが、大企業が競争相手を押さえ込もうとする指向とベンチャー企業を含む中小企業との関係を十分に分析していなかったことである。24兆円の投資の大部分は結局は種々の物件の受注をこなした企業に向かう。限られたパイの大部分を大企業がとることになり、中小企業は潤わなかった。したがってこれは「科学技術」に名を借りた大公共事業とも言える。国内的には、このような「公共事業」に依存した大企業も、国際競争では競争力がつかなかったのである。
 大学との関係で言えば、産業創出に見合う人材養成の方針がなかったことも大きな要因である。国立大学に始まった法人化はリストラであり、国による教育(人材育成)投資の削減であった。増加させるべきものを削減したのであるから、結果が伴わなかったのは当然である。5年間の間にたとえ1兆円でも国立大学に投資する覚悟があれば、法人化は必要なかったのである。
 このような国の政策に「注文」をつけるのが好きな知事であれば、まずもって、国の投資が上手く機能していない原因を分析する必要があるのに、全く皮相的な分析と方針を提起しているのは、嘆かわしいことである。


投稿者 管理者 : 2005年05月27日 01:35

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