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2005年06月01日

「成果主義」という遺物・異物

京滋私大教連
 ∟●機関紙No100(2005.5.27号) より

「成果主義」という遺物・異物

重本直利(龍谷大学)

 
 「成果主義」賃金制度が次のような結果をもたらすことはもはや自明となっている。①失敗した場合はもちろん「成功」した場合でも人件費コストは増大する。②金銭的報酬にこだわる結果、仕事の生産性は低下する。③内的動機づけ機能が低下し、仕事への意欲喪失がおこる。④利己主義と無責任を促進する。⑤「進んだ経営」ではなく経営学的に言えば一〇〇年前の遺物である。⑥また人間関係視点からみれば異物でもある。
 具体的にみると、「成果」を測るためには、「達成度評価」、「数値目標」等が設定されることになる。これはコミュニティとしての経営組織体を破壊させる。理由は次の諸点である。①個々人は達成しやすい目標を立て、この結果、「達成すれば良い」とする雰囲気が充満することになる。②これに対して経営側が目標を引き上げると、一九一〇~二〇年代あたりの企業経営ですでにみられたように組織的怠業が起こる。③あるいは経営側は同じ努力あたりの報酬を年々下げるか・上げるかの経営選択に迫られる。④賃金と連動した「達成度評価」によって経済合理性が職場内人間関係を支配する。⑤当人ではない他からの強制による目標管理と「達成度評価」は本末転倒である。⑥こうした「数値目標」、「達成度評価」はテイラー科学管理法の最初の考え方であり、それでは人は動かない(なおその後テイラーはこの考えの誤りに気づく)。
 ここで、「成果主義」の具体的な問題点を整理すると、①「成果」を評価する者の説明責任能力、②対等な関係性(信頼関係)が築けていない中での「成果」による抑圧的機能、③フィードバック機能が形式(数値)化し「成果主義」は恒常的・実質的に機能しない、④「成果」に対する異議申立てが出来にくく、他面で「成果」に基づく「いやがらせ」、報復人事、不利益を被るといったことになる。
 今、求められているのは、個々の経営体の社会的貢献および社会的責任(CSR)において「成果」を上げるという経営である。今、我々は「成果」の中身をどう捉えるのかが問われている。これは、例えば職場内人間関係の改善による「成果」の向上、やりがいのある仕事の実現と職場環境の上下関係ではない民主的な関係形成による「成果」の向上、多様なステーク・ホルダー(利害関係者)間調整による「成果」の向上等であろう。二一世紀の経営体の社会的貢献・責任とは利益の確保ではなく公共性の確保である。企業といえども公共性を確保できない経営体は「二一世紀という舞台」から消え去るべきである。
 それでは大学における「成果」、「公共性」とは一体何なのか。このことをあらためて考え直さなければならない局面に、今我々は遭遇している。

投稿者 管理者 : 2005年06月01日 01:08

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