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2005年06月28日

大学経営における「成果」と「評価」

京滋私大教連(第 101 号)2005. 6. 27
 ∟●大学経営における「成果」と「評価」より

大学経営における「成果」と「評価」

重本直利(龍谷大学)

 
 「成果主義」は基本的に「結果主義」である。そこでは、「結果」に至る「行動プロセス」も評価されるが、あくまでも「結果」からみてのプロセス評価である。この意味でプロセスは手段として位置づけられる。端的に言えば、「結果」を出したプロセスのみが評価される。プロセスは「結果」に従属する。
 しかし、このことは、『経営者の役割』を著したC・I・バーナードの基本概念を援用すれば、経営としては極めて不適切であることがわかる。つまり、「結果」としての「成果」は、組織目的の点で「有効的」であっても、プロセスとしての個人動機の点では「能率的」ではない結果をもたらすことがある。「有効性」と「能率」は異なった概念である。このことは、組織目的のみを追求すると「協働的努力体系」(=組織)としての能率を損ない、「結果」として組織は崩壊の危機に瀕することを意味する。「有効性」と「能率」は経営学の基本概念であり、それをふまえなかったのが「成果主義」の先駆け企業であった富士通の失敗ケースである。経営学の基本を知らない経営者は、医学の基本を知らない医者と同様に危険である。
 他方、この「成果」のための手段としてのプロセスは、経営機能(過程)のゲーム化(同一の目的にむけて同一基準で競争すること)を招来する。中・高の学校経営が受験ゲーム化することも同様である。大学経営もゲームの中に入りつつある。すでに事態は進行している。過日、公表された龍谷大学の財務評価は「AA マイナス」であった。ちなみにトヨタは「AAA」の最高位であり、JR西日本はそれに次ぐ「AA」である。財務評価の格付けを積極的に受け、その「成果」をマスコミ会見を開いてまで語る大学経営者がこの国には多くいるようになってきた。隔世の感がある。さらに上のランクの「成果」を目指す「評価ゲーム・リーグ」の開幕といったところであろうか。
 標準化され形式化され、あるいは「数値化」し、その「達成度評価」で大学の教育・研究事業が評価されようとしている。そこでのゲームに大学経営者は熱中しつつある。サバイバルゲームにおける「勝ち組」と「負け組」という強迫的な観念が「理性の府」を支配しつつある。教育・研究における一元的な「達成度評価」と「数値評価」の誤りはもはや述べるまでもない。なぜなら、教育は、学生個々の個性と能力等を育てることであって、一方的に知識を授けるといった単純な営みではない。また、研究においては、すでに目的が明白で・容易に達成できるテーマが溢れることになり、不透明な、困難な、予測不能なテーマはこれらの評価にはなじまない。何故なら、そこでは「達成度」は不明確であり「数値」は設定できないからである。企業の「成果主義」と同様、評価が数量化され・システム化されると、事業(研究・教育)それ自体を評価することができにくく、自己評価の能力が低下する環境が形成されることになる。「結果」として大学は荒廃する。

投稿者 管理者 : 2005年06月28日 00:01

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