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2005年06月29日

大学と教職員の社会的責任とは何か、平安女学院での学生裁判が投げかけるもの

京滋私大教連
 ∟●大学と教職員の社会的責任とは何か、平安女学院での学生裁判が投げかけるもの
人生経験を豊かにしてくれた二年三ヶ月(京滋私大教連前執行委員長 細川孝)

大学と教職員の社会的責任とは何か
-平安女学院での学生裁判が投げかけるもの-

龍谷大学 細川 孝

 五月二三日午後一時過ぎ、私は大津地裁第一号法廷の傍聴席にすわり、一つの裁判の判決言い渡しを待っていました。事件の名前は「就学する権利等確認請求事件」です。原告は一人の学生です。原告側の席に、弁護士と並んで座る彼女は、どこか見覚えのあるような顔です。
 私は昨年一年間非常勤講師で出講した大学で、彼女の名前を知りました。前期に私が担当した授業の受講生名簿には、確かに彼女の名前が記されていました。しかし、数回出席した後、彼女は私の授業に出席することはなくなり、顔と名前が一致することはありませんでした。
 昨年前期にこの大学では、彼女らが学ぶキャンパスが別のキャンパスに統合されるという問題が浮上しました。私は、この統合に反対する学生の自主的な運動の中に彼女の名前を見つけました。彼女は一○月二六日には、自ら学ぶ学院を訴える裁判を起こしました。
 このような経緯から私はこの裁判に大きく注目してきました。同時に、このキャンパス統合問題が生じた時期、わたしは京滋私大教連委員長の任にあり、学生たちのたたかいを支援できないものかと思いつつも、傍観を続けてきたという自責の念がありました。
 三月一二日に開催された京滋私大教連臨時大会の退任挨拶の中で、私は彼女のことを紹介し、五月二三日には判決を聴きにいってくると発言しました。判決を聴きに行って、何になるものでもありませんが、私の残された宿題は形の上では片づけることができました。
 しかし、彼女、そして彼女を支援する学生たちの運動が提起した問題は、大学に関わる私たちに鋭く突きつけられたままです。日本の大学はいま、大きな困難に直面しています。そのような中で、入学した学舎で勉学を続けられないといったような「学生の学ぶ権利」を私たちが一緒になって確立しようとしているのか、厳しく問われていると感じています。
 裁判所で見た毅然とした彼女の姿、記者会見でみせた彼女の美しい涙、私にとっては、忘れられない一シーンとなりました。しかし、それは記憶の片隅にとどめて置くべきものではなく、たえず私(たち!)のありようを問いかけるものとして記憶されなければならない、そのように強く感じたのです。

*彼女たちの会の運動は、以下のURLで知ることができます。
http://www.geocities.jp/ncgqg099/index.html

[追記]五月二四日、地裁での判決を不服として、原告の学生は大阪高裁に控訴しました。私は一人の大学教員として、彼女のたたかいを支援していきたいと思っています。
 この問題についてのご意見をぜひお聞かせください。


投稿者 管理者 : 2005年06月29日 00:53

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