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2005年12月05日

埼玉大学問題を切り口にネオリベ化した日本の現状を考える

首都圏大学非常勤講師組合
 ∟●『控室』第57、2005 年11 月27 日発行

埼玉大学問題を切り口にネオリベ化した日本の現状を考える―『ネオリベ現代生活批判序説』

埼玉大学他非常勤講師 大野英士

 非常勤講師組合の活動が契機となって、一冊の本が生まれました。新評論から白石泰治と私自身の編集によって10月に刊行された『ネオリベ現代生活批判序説』という本です。
 昨年10月、埼玉大学は埼玉りそな銀行と「研究や経営面で互いの連携を強める」協定を締結しました。
 その一方で、埼玉大学は、大学経費の削減のため、平成17年から、実に60パーセントを超える非常勤のコマを削減することを計画していることを明らかにし、それを先取りする形で、平成16年4月より非常勤講師給を平均8パーセント削減すると通告してきました。しかも、これに抗議して団交を行った組合員数名を事実上指名解雇するという暴挙にでたのです。
 こうした埼玉大学の動きの背景には、田隅三生埼玉大学学長が強引に推し進める「産学連携」の学内再編の動きがあります。埼玉大学は、田隅学長体制が作り上げた「特色ある大学づくり」にもとづき、多額の費用をかけて、コール・システム( Computer Assisted Learning System)と呼ばれる英語学習システムを導入ました。企業が導入に熱心なTOE ICのための英語を、半ば強制的な自習によって学ばせようというのです。しかし、その一方で、「実学」とは縁遠いフランス語、ドイツ語などの第二語学や、教養科目は、集中して切り捨てられました。
 しかし、この一連の「事件」は単に強圧的な一地方国立大学の暴挙とかたづけることのできない大きな問題をはらんでいます。そもそも国立大学の法人化自体が、「小さな政府」や「民営化」「フレキシブルな労働力の再配置」などというスローガンのもとに、政府と財界がめざすネオリベラリズムにもとづく「構造改革」に大学を組み込むために構想されたものです。
 埼玉大学と埼玉りそな銀行の提携にみられるように、現在進行している事態は「金融資本の眼差しのもと、大学という公共空間を企業の利益追求のために再編」しようという動きであり、「そこでむき出しとなっているのは、企業活動の“自由”を何より押し広げようとするネオリベラリズム(新自由主義)の教義にほかな」(本書、p.17)りません。
 ネオリベラリズムとは、端的に言えば「市場の論理」「市場個人主義」の貫徹を意味します。アダム・スミスが18世紀に市場の調整機能を見いだしたとき、その範囲は当時の小規模な手工業生産を想定した限定的なものにすぎませんでした。
 しかし、ネオリベラリズムは市場の論理を社会全体に拡大適用しようとします。(本書、p.18)。そして、この市場原理を妨げるような一切の拘束は排除されます。民営化・規制緩和・福祉の縮減など「小さな政府」という言葉に集約されるような一連の政策が構想されるわけですが、ネオリベラリズムはその過程で、極めて公共性が高く、市場の論理にのらない分野、たとえば、道路や通信、医療、教育、学問等々をも市場の論理に包摂しようとしていきます。そしてそこで「排除」され「切り捨て」られていくのは、結局、私たちの「生きる」権利そのものなのです。今や我々は、ファシズムを「ファッショ」と呼ぶようにネオリベラリズムを「ネオリベ」と侮蔑をこめて呼び捨てにすべきなのです。
 『ネオリベ現代生活批判序説』は、まさに首都圏大学非常勤講師組合が関わった「埼玉大学問題」をどのように理解すべきか?という疑問を出発点に、ネオリベラリズム(新自由主義)の理論的な前提や具体的な政策体系を、経済を専門としていない一般の読者にもわかりやすく説明することを目的につくられました。そして、さらに、労働問題、精神分析、社会運動、大学運動に関わる4人の方々に、それぞれの立場から、ネオリベラリスムの問題点を分析していただき、このイデオロギーに立ち向かう方途を探っています。
 その中の1人、早稲田大学政経学部教授岡山茂さんは、ネオリベラリズムにもとづく高等教育の再編によって、大学が「とんでもない情況」になっている、という事実を指摘した上で、次のように言っています。
 「取り組むべき重要な問題としては、非常勤講師の問題があると思います。2004年に国立大学が法人化され、それにともなって私立大学が株式会社のようになろうとしている。そうした大きな混乱に大学教育が陥れられていく。そのとき、もっともしわよせを食っているのが、一年ごとの契約更新で雇われている非常勤講師です。現実の大学は非常勤の教員なしに存立できません。にもかかわらず、彼らをスケープゴートにしながら大学の改革が進められている。これに対しては大学人は抵抗しなければならないと思う。」
 埼玉大学の非常勤講師を取り巻く環境はますます厳しさをましてきています。昨年、12月の団交で、組合は埼玉大学から、①組合員数名の雇い止めを撤回する。②賃下げを大巾に圧縮し、4月にさかのぼって差額を支払う、という大幅な譲歩を勝ち取りました。しかし、組合員以外の非常勤講師に対しては予定通り着々と雇い止めが実行されていきました。さらに埼玉大学は、2005年4月、団交で合意された賃下げ圧縮は2004年限りであり、新年度からは8パーセント賃下げの水準に引き戻す、というこれまでの団交結果を否定する措置を通告してきました。
 組合はこうした不当な措置の撤回を求めて7月13日に埼玉大学当局と団交を行いましたが、団交の席上、埼玉大学は従来から組合が主張してきた専任教員との「均衡処遇」を認めるとしながら、専任の労働時間が強化されたために、それに「均衡」させて非常勤の給与を再計算すると、ちょうど2004年の賃下げ水準に相当する。という驚くべき詭弁を弄して賃下げを正当化してきました。 また、非常勤の六割削減計画も計画通り実行しようとしています。
 非常勤組合は、改めて埼玉地労委に救済を申し立てるとともに、埼玉大学に対して、団交を通じて賃下げと、大量解雇計画の撤回を迫っていく予定です。 この間の文科省などの動きを見ても、小泉ネオリベ路線を受けて、非常勤講師や組合への逆風が強まってきている観があり、ある意味で日本の政治や社会の風向きそのものを変えていく取り組みが必要になってきています。『ネオリベ現代生活批判序説』は新たな運動展開への理論武装に向けて、その強力な手がかりを皆様に提供するものと確信しています。

 同封の葉書でお申し込み下さい。新評論のご好意により、『ネオリベ現代生活批判序説』を2000円の組合員特別価格でお届けいたします。


投稿者 管理者 : 2005年12月05日 00:01

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