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2005年12月16日

大学における構造設計問題

大学改革日誌(永岑三千輝氏)最新日誌

12月15日 構造設計におけるデータ偽造(設計ミス)問題が、世間を騒がせている。昨日の国会証人喚問で、一級建築士は、「いやなら他にいくらでも建築士はいる、設計事務所を変えることはできる」と脅かされて、耐震設計における建築基準という法律を破る偽造を行ったという。「生計の道を奪うよ」といわれて、それに抵抗できる人がどれだけいるだろうか? 市場競争は、法的基準=競争ルールを踏まえたうえでなされなければならないのではないだろうか? 「サービス残業」の横行、不正規労働の大幅雇用などは、まさに「代わりはいるよ」との隠然・公然の圧力のもとで(その圧力手段として)行われているのではないか?「規制緩和」=ルールなき資本主義か?

「大学の自治」、「学問の自由」の憲法的保障(それに基づく学校教育法など)は、まさにここにかかわってくると思われる。大学間競争もまた、適切な法的基準の上で行われる必要がある。

人事と予算を握ったものが、大学の外部のもの(それと結合した人々)であれば(上記、設計事務所の例で言えば、建築主など発注主体が設計士の生殺与奪の力を持つということだが、建築主・発注主体にあたるのは市立大学・公立大学の場合、地方公共団体(その執行権限を担うもの)、大学の事務局・経営関係・さらに学長などの任命において実質的権限を持つ関係行政当局・責任者ということになろう、また構造設計との関連で検査機関・監督官庁ということで言えば、大学の場合は設置審、あるいは文部科学省、そして総務省などということになろう)、「大学の自治」や「学問の自由」はなくなる。大学の自治を守る組織体としての教授会や評議会が、人事や予算において自立的自治的に機能しなければ、いったいどれだけの人が自由に意見をいえるのか?たんなる報告事項だけを聞くだけの会議がいくら開催されても意味はないのではないか? 現在のシステムで、「責任の所在が明確になった」という人もいるのだが、いかなる意味か?

ともあれ、構造設計問題は、ひとごとではない、と考えるべきだろう。これはたんに私一人の危惧ではないだろう。(Cf.教員組合緊急アンケートによせられた意見アンケート結果集計、および教員組合ウィークリー12月6日号に掲載されたある教員の意見:投稿記事「教員は大学にとって何なの?」)。

講義負担の変化、教員数減少に伴う問題、管理職は別として事務局一般職員の削減に伴う事務作業の教員負担など、耳に聞こえてくることはいくつもある。かつて事務が担ってきた仕事を教員が担うようになって、教員の研究教育の時間(精神的余裕)を圧迫している現象もでてきているようである。教員組合主催の集会が開催される(12月20日、火曜日夕方、ビデオホールにて)というので、そこではこの4月以降の具体的諸問題が、多様な角度から明らかにされるのではなかろうか。みんなが元気が出るような方向性が、教員組合集会の議論から生まれてくると素晴らしいのだが。

構造設計問題、ということでは、うわさでは「専門職大学院」設立構想が進んでいるという? どこで、誰によって? どのような組織的審議機関によって? 誰が人事を?どれだけの増員?国際総合科学部ではまたまた何人かの教員が去っていくといううわさも耳にしたが、その補充はしないで、新しい「大学院」はつくるということか?いずれにしろ、普通の教員には情報を一切与えず、「設置者権限」ですべては、行政(経営)が取り仕切るということか? うわさしか聞こえてこない以上、疑心暗鬼とならざるを得ない。

 だが、「よらしむべし、知らしむべからず」か?


投稿者 管理者 : 2005年12月16日 08:03

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