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2006年01月31日

都立の大学を考える都民の会、「第1回都民の大学講座」茂木俊彦さんの講演内容

■都立の大学を考える都民の会ニュース14号(2006年1月6日)
大学改革日誌(永岑三千輝氏)
 ∟●最新日誌(1月30日)より

1.第一回都民の大学講座 茂木俊彦講演の全内容

 昨年9月19日に行われた「第一回 都民の大学講座」での茂木俊彦さん(前東京都立大学総長、現桜美林大学)のお話の内容を、ご本人の許可を得て以下に紹介いたします。
(この後、非常に興味深い討議も続いたのですが、申し訳ないことながらそちらは割愛させていただきます!)
 *なお、文中の小見出しは、編集者の責任で付けさせていただいたものです。

■自己紹介と近況

 初めてお会いする方も多いと思いますが、茂木俊彦です。今、お話がありましたように、2003年度と2004年度、都立大学の総長の職にありました。その前の4年間、人文学部の学部長をおおせつかっておりました。更にさかのぼりますと、これは人事の都合があったのですけど3年間、評議員をやっておりまして、都立大には23年半おりましたので、そのうちの後半部分は、いわゆる大学運営に関わらざるを得ませんでした。
 関わらざるを得なかったというのが正直な心境です。総長選挙の際にも、学部長をやっておりますと、名前が推薦委員会で出ることが多いので、後に人文学部長になられた南雲評議員に、「もしも名前が出たら、本人はやらないといっている」と。「なので、おろしてくれ」と言いました。彼は実際にそうやってくれたのですけど。ご存知の方も多いでしょうが、直接投票で候補者を選ぶルートが推薦委員会とは別にありまして、そちらの方で名前が出てしまって、決断を鈍らせている間に選ばれてしまったという、こういう経過があるわけですね。大変な災難でありました。
 その災難が、私個人の災難であればよかったのですけれども、私のような者が総長をやったことで、都立大学全体の災難になったのではないかと思って、大変心苦しいところがございます。でもとにかく健康で最後までやることが出来ました。私は依存性が強く、それを活用する人間でございますので、本当にいろいろな人に依存しながら、考えを伺って、一致するところで行動しようと思ってやってきたので、なんとか最後まで体がもったのではないかと思っています。
 その後は桜美林大学というところに移り、学生の教育を引き続きやらせていただいております。

■岩波ブックレット刊行について

 この9月6日に、『都立大学に何が起きたのか』という岩波ブックレットを刊行しました。書いた時期は5月の連休明けから30日間ぐらいの期間で、その後、もちろん推敲、間違いを正すなどいろいろありましたが、発売は9月6日、ごく最近店頭に出始めたわけです。このタイトル、実に悩んだ結果、『都立大学に何が起きたのか』、副題が『総長の2年間』と、こうなっておりますが、当初『破壊された都立大学』というタイトルはどうかという話もあったのです。私は「破壊されきってはいない」という評価がありまして、そのタイトルでは上手く書けないということで、いわばやや客観的な表現で、『都立大学に何が起きたのか』というタイトルになったという経緯があります。
 同時に、これもついでで申し上げておきますと、本来ならば、都立大学の2年、あるいはもうちょっと長い目で見ると、数年間の改革の取り組み、あるいは改革をめぐる東京都との攻防ですね、これについては集団的な整理・総括をして、集団的に執筆されることが求められると思うわけで、本来ならばそれがやられるべきだと思いますし、今後、そういうものが出ることを期待しております。が、集団でやるというのは、これはこれで時間調整その他だけでも大変でありますので、とりあえず何人かの方にも相談した上でなんですけれども、個人で出そうということになりました。個人の著なので、かなりその時々の個人的な判断あるいは個人的な感想や心境も含めて書きました。集団で書いたら、もう少し落ち着いた文章になったのではないかと思いますが、どうも生来の皮肉の傾向が、こういう文章にも出てしまったりして、読んだ方からは「皮肉がいっぱい書いてありますね」とか、「すっきりしたでしょ」等といろいろ言われています。でもすっきりするために書いたわけではなくて、今後のために書いたつもりではあるのです。参照していただければと思います。
 書いたのは5月から6月の初めぐらいと申しましたが、実はその後このことについてあらためて経過を振り返ったり、あるいは考察をしたりというようなことは出来ていないので、したがって今日も、ブックレットに書いたことから前進した話ができるということではありません。
 その後、私は、「障害者・患者9条の会」というのを何人かの方と立ち上げまして。このあいだ結成の会を開きましたが、戦争のもとで、戦争によって生み出される数が一番多いのが障害者、死者ですね。同時にまた戦争が起こると、非常に生活困難を加重させられるのも障害者でありますし、難病の患者でありますので、立ち上がったほうがいいということで、6月くらいから準備し、先般、結成の集会をもちました。
 それから都立七生養護学校における性教育に対する都教委のきわめて不当な攻撃がありました。個人的なことを申しますと、私の古くからの友人が校長をしていたので、この人が降格させられてしまったことや、もっと一般的には教育内容に対する露骨な介入と教材の取り上げをやったので、今裁判が引き起こされていますけれど、その裁判を支援する会の代表世話人の一人になったりもしています。そのため、都立大問題は依然として頭を去らないし、重要な問題として考えておりますが、大学以外の仕事も増え始めております。

■都立大「改革2000」、東京都「改革大綱」(2001)ができるまで 

……以下,略。上記URLを参照してください。


投稿者 管理者 : 2006年01月31日 00:10

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