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2006年01月10日

時事随想 大学が法人化されて想うこと

http://www.shutoken-net.jp/2006/01/060109_3mutsu.html

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 明治十九年の帝国大学令第一条によると、教育も学術研究もすべて国家のためであり、以来この国家中心主義の傾向が日本の大学の伝統的基本理念となってきたと言えます。しかし近代社会の大学教育はこのような理念で行われてはならず、教員の教授の自由、学生の学習の自由が基本です。経営の自由度が高められた国立大学法人は、学生たちが将来のビジョンを描くことができるように、どのような学生を受け入れ、どのようなカリキュラムで何をどのように教えるか、責任を持って大学を育てられる好機ではないかと思われます。

 大学の教育研究施設は公共財産であり、特に国立大学法人は多くの国家予算で成り立っていますから、ここで育てられた教員や学生などの人材や研究成果などは、私たち市民の共有財産です。大学は知的欲求を持った市民に対する生涯教育など、地域文化基盤の形成にも貢献しなければなりません。大学は市民と連携し、持ちつ持たれつ一体となって作られていくべきものと考えられます。

 私は日本の大学、とりわけ国立大学法人は、大学が市民によって作られた原点に立ち、創造的主導性を視野に置き、経営に関しては市民、地域自治体、さらに同窓生などから積極的に支援される態勢を作ることが必要ではないか、と考えています。……


投稿者 管理者 : 2006年01月10日 00:08

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