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2006年02月14日

横浜市立大教員組合、ジャーナリズム精神を欠いた支離滅裂な内容 日経記事を批判

■横浜市立大学教員組合
大学改革日誌(永岑三千輝氏)
 ∟●最新日誌(2月13日)

横浜市立大学教員組合週報
組合ウィークリー(2006.2.13)

2月2日付けの日経記事について

文責:教員組合書記長 随 清遠

 2006年2月2日付けの『日本経済新聞』(神奈川県・首都圏経済面)に、「市立大、遅れる意識改革」と題する記事(以下単に「記事」と呼ぶ)が掲載されました。題目には誰の意識改革が遅れたか書かれておりませんし、論理構成自体が曖昧ですが、その内容を読む限り、市立大学の問題は、ろくに仕事もせず、ひたすらに既得権にしがみつこうとする教員の意識改革の遅れが問題の所在であるかのような印象を与えかねないものになっていますので、若干の検討を加えておきたいと思います。

 記事はジャーナリズム精神を欠いた支離滅裂な内容構成になっていますが、一応取り上げられた問題の要点を見ておきましょう。

「任期制導入からまもなく一年。全教員の3割は同意を留保したままだ」。
「累積負債が2001年度で約1140億円」。にもかかわらず、「意識改革の歩みはゆっくりだ」
「市大ブランドに安住して学生指導を怠ってきた」(学内スタッフの話を引用する形で)。

 なぜ、この記事がジャーナリズム精神を欠いた支離滅裂な内容だといえるのか、詳細に見てみましょう。

3割の教員が任期制同意を保留した点について

 この記事の論調では、一部の教員が任期制導入に同意しないことをもって、意識改革が遅れていることの最大の証拠としているように思われます。

 一般論としては任期制を導入すれば無条件にパフォーマンスがあがるとは限りません。初歩的な経済学の知識があれば、高度成長の奇跡は終身雇用・年功序列主体の雇用制度の下で成し遂げられたということを知っているはずです。もちろん、終身雇用・年功序列主体の雇用制度だから高度成長が実現されたという単純な議論も成り立ちません。

 任期制がどういう条件の下で良い効果を発揮するか、これは非常にデリケートな問題です。パフォーマンスが比較的単純明快に判断できるプロスポーツ界では、雇用期限付きの契約が多く見られます。そうでない業界ではプロスポーツ界と同じような契約を被雇用者に求めるわけにはいきません。大学教員がスポーツ選手と一般勤労者のどちらに近いのかは人によって判断が分かれるかもしれませんが、少なくともはっきりしているのは、いきなり全員一律に任期制とするような乱暴な制度では良い効果はあがらないということです。実際、大学教員任期制法という法律では、任期制を導入できるのは、先端的・学際的研究などを行う特別な組織や特定のプロジェクトなどに限っているはずです。市大では法律の抜け道を使ってまで強引に全員任期制を導入することで、いったいどのようなプラス効果が生まれるというのか、果たしてきちんと検証されたのでしょうか。ホリエモン人気のように、社会が難題に直面するとき、本質的な議論をせず、奇抜なことを言い出す人に人気が殺到する傾向がよく見られます。本来ジャーナリズム精神を持つものは、このような盲目的な人気の殺到に歯止めをかける役割を担うべきですが、残念ながら、記事の著者は経済理論を重視してしかるべき有力な経済新聞の支局長級記者であるにもかかわらず、こういう盲目的な人気殺到の一員に加わっているようです。

 市大においては、任期制導入の経緯も大勢の教員が同意を保留している重要な要因です。改革の必要が叫ばれた際に問題とされた点は「任期制導入」といったいどのような関連を持つのか、学内ではほとんどなんの議論もされませんでした。任期制導入に不可欠な評価基準、評価プロセスはどうなるのか、未だに決定されていません。教員の意見を聴取するような聞き取り調査やアンケート調査は一度も行われたことがありません。事実、大多数の教員が任期制の正式導入を最初に知ったのは、一方的な当局によるマスコミ発表でした。

 市大における改革の手法はきわめて異常なものです。まず、2002年8月7日に中田市長が「市立大学の今後のあり方懇談会」を設置し、大学の深刻な問題(累積負債のこと、後にこの点を再び取り上げる)を2003年1月17日付けの『神奈川新聞』でいきなり社会に向けて告発させました。教員がもともと予算権を持っておらず、ほとんどの人はそれまで「1140億円の累積負債」のことを知りませんでした。しかし、問題視された部分の原因究明、状況改善について何も議論がないまま、全く関係のない部分[3]を解体(商学部・国際文化学部・理学部を一つの学部に統合)し、そして教員に何の脈絡もなく「全員任期制・年俸制」を求めました。多少の良識を持つ者なら、こんな改革に納得できるでしょうか?新聞記者が何千何万人に対して市大のことを発信するなら、改革の経緯をしっかり調べ、そのことを含めて伝えるべきだったのではないでしょうか。

 そして記事にもあるように、「任期制度への変更には、本人の同意が必要とな」ります。これは法律で保証されたことです。記事の論調が正しければ、教員が法律で保証された権利を放棄しないから、意識改革が遅れたということになります。記事の論調を正当化するなら、まず法律による権利保証の間違いを立証すべきではないでしょうか?

累積債務の問題について

 記事はこの大学が抱えている最大の問題として1140億円の累積債務を指摘しました。市大が累積した債務は地方債の形で調達されてきたものです。しかし、『地方財政法』では資産の裏付けのない地方債発行は禁止されております。市民の財産とのバランスで考えるべき債務は、単純な赤字の問題とは違いますが、この記事はそうした点には触れていません。

 また横浜市立大学は二つの巨大病院を抱えており、予算上、小さなネズミのからだ(教育本体)の上に二頭の巨象(二つの病院)が乗っかっている構造になっています。1140億円の累積債務のうち、893億円が病院関係です。

 大学設置者である中田市長が予算のことをさんざん騒いでいたのに、自分に解決する能力がないと悟った後、2004年2月19日の記者会見で「負債というバランスシート上の話を持ち出したことは、私は一度もない」とあっさり軌道修正した経緯をこの記者はまるで知らないようです。

 大学の予算書を調べればすぐわかる話ですが、学生教育部門は、問題とされる累積債務のうち、わずかしか関係しておりません。経済新聞の記事なら、多少の財務分析の知識に基づいて書かれても良さそうなものですが、なぜ常識的な範囲の認識もできないのでしょうか?

「学生指導を怠ってきた」とは

 記事では、学内スタッフの発言を引用する形で「市大ブランドに安住して学生指導を怠ってきた」ことを指摘しています。しかし、その前段の議論(大学に優秀な学生がいる)と何の脈絡もありません。大新聞の記事としてこのような論理構成が許されるのでしょうか?

 組合で調査した結果、記事の論調は発言が引用された人の意図とまったく別物であることが判明しました。ご本人はあくまで一般論として、自分が目指す目標は何かを多くの学生に早くから意識させるという配慮が必ずしも十分されてこなかったと指摘したにすぎないということです。記事は発言の論旨を的確に伝えていないし、教員意識改革の遅れに対する批判として紹介しているのだとすれば、そのような意図はまったくなかった、と不本意に思われているようです。ここまで来ると、事実誤認以前の取材モラルの問題ではないでしょうか。

 市大の教員の多くは、単に既得権にしがみついて改革に抵抗しようとしているわけではありません。しかし、大学教育と研究活動の向上に現場でまじめに取り組もうとすればするほど、強引な上からの「改革」がむしろ妨げとなったり、混乱を引き起こしたりしている現状に直面しているのです。記事はその構図を事実と論理に基づいて検証せずに、「遅れる意識改革」というきわめて漠然とした否定的印象を与える言葉だけでくくろうとしている点で、ジャーナリズム精神を欠いてしまっていると言わなければなりません。

発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320 Fax 045-787-2320
mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
組合HP http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

下記は問題となっている日経記事。

第2部負の遺産に挑む(3)競争力強化掲げるが…(横浜の実像検証350万人都市)

日本経済新聞 (神奈川),2006/02/02

市立大、遅れる意識改革

 横浜市立大学で四月に始まる教員の人事評価制度の準備が進んでいる。研究成果、授業の教え方。専門分野によって評価軸は異なる。医学部では大学病院の患者への対応までも考慮しなくてはいけない。昨年四月の独立法人化とともに年俸制と任期制がスタートした。評価制度は教員向け改革の総仕上げでもある。
 定年制の公務員から三年ないし五年の任期制度への変更には本人の同意が必要となる。「評価された結果、どうなるのかが見えないのに任期を限られても」。任期制導入からまもなく一年。全教員の三割は同意を保留したままだ。
 「一律に評価することは確かに難しい。それでも実施してみないことには教員の指導計画もつくれない」。宝田良一理事長は重要性を説く。評価項目など制度の概要が固まった後、任期制の同意が増えるかどうかは見えない。
 累積負債は二〇〇一年度で約千百四十億円。現状のまま存続する道はまったく考えられない――。〇三年二月、市長の諮問機関「市立大学の今後のあり方懇談会」は答申でこう断じた。示された選択肢は四つ。(1)大胆な改革で生まれ変わり存続する(2)有力私立大学に売却する(3)私立大学に転換する(4)廃校とする――。この中から市大は改革での生き残りを選んだ。
 「刷新的な大学運営を成し遂げ、日本の大学改革のモデルになる」。昨年十一月、学長再任が決まったブルース・ストロナク氏は市大の最終目標をこう示した。医学部を含めた共通教養教育の実施、英語授業の増加や国際機関との連携など。専門的かつ幅広い知識を持った学生育成と国際競争力ある大学を目指す。理想を実現できるかどうかは職員と学生の意識改革にかかる。
 昨年四月、一人の民間出身者が市大に入った。三十二年間勤めたNECから転身した菊地達昭氏である。肩書は「キャリア支援センター教授」。学生の意識改革を促す役割だ。大手からベンチャーまでの企業人を招いたセミナーや企業の人事担当者を有料で招いた大学説明会。九月に始めた初年度のカリキュラムはほぼ終わった。
 この間、菊地氏は英語検定で、NEC時代でも見たことがない高得点をとった三年生に会った。聞けば商社志望という。「目標さえ持てばできる学生が眠っているのに、市大ブランドに安住して学生指導を怠ってきた」。菊地氏は痛感した。
 次年度は指導対象を一年生に広げることを提案している。どんな目標を持って大学生活を過ごすのか。動機づけは三年生からでは遅すぎる。
 競争力強化の試みは功を奏し始めたものもある。産学連携では共同研究や寄付講座などが相次ぐ。共同研究費は昨年末までに件数で前年度の一・九倍、金額で同三・四倍となった。前年度に十六件しかなかった発明もすでに四十件の届け出があった。だが、こうした成果を横目に意識改革の歩みはゆっくりだ。
 「議論、議論……。まずはやってみることが大事なのになかなか前に進まない」。ストロナク学長はいら立ちを隠さない。「前例主義の職員が入れ替わらないと改革できない」と語る関係者も少なくない。
 一月三十日、一斉に国公立二次試験の願書受け付けが始まった。志望者が減った昨年の反動を期待する声は学内で強い。「改革の成果が見えてくるのは四年後。でも、そこまで市民が待ってくれるのか」。市の幹部がつぶやく。


投稿者 管理者 : 2006年02月14日 00:00

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