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2006年05月22日

日本私大教連、教育基本法「改正法案」の徹底審議を通じた廃案を強く求める声明

日本私大教連
 ∟●教育基本法「改正法案」の徹底審議を通じた廃案を強く求める声明

教育基本法「改正法案」の徹底審議を通じた廃案を強く求める声明

2006年5月17日
日本私大教連中央執行委員会

 政府・与党は5月16日、衆議院本会議において教育基本法「改正法案」(以下、「法案」)の審議入りを強行しました。
 「法案」は、現行教育基本法(以下、現行法)を、「全部改正」の体裁の下に実質的に廃棄し、新たな基本法制定を企図するものとなっており、絶対に認めることのできないものです。私たちは、極めて重大な問題をはらんでいる「法案」を、国会会期末までわずか1ヶ月足らずの短期間で強引に成立させようとしている政府・文部科学省・与党に対して強く抗議するとともに、国会が徹底審議し、その問題性を明らかにした上で廃案とすることを断固として要求するものです。

 「法案」は、現行法の重要なキーワードを利用しながら、その理念・精神・性質の根本的な転換を企図するものであり、全条項にわたり数多くの重大な問題を含んでいます。もっとも重大な問題は、「教育」と「国家」との関係を180度転換していることです。
 現行法は、戦前の教育勅語体制=教育と人格の国家統制の否定のうえに、憲法13条に規定される「個人の尊厳」を基盤にして、教育が「不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接責任を負って」(現行法第10条)自主的に行わなければならないことを宣言し、教育行政に対してはその任務を「諸条件の整備確立」(同2項)に規制しています。しかし「法案」は、現行法第10条の「不当な支配に服することなく」の直後を、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」(法案第16条)との文言に置き換えて、法律にさえ基づけば教育への国家介入が不当な支配に当たらないとの重大な意味転換を行っています。同時に教育が国民全体に直接の責任を負って行われるとする現行法の理念を抹消し、さらに条件整備に限定されていた行政の義務を「教育の振興」のための「総合的」な施策策定に押し広げています。また、「教員」の条項から「全体の奉仕者」であるとする規定を削除し、「修養に励」むこととあわせ、教育行政による「研修の充実」を図ることによって、教員を国家による教育の忠実な遂行者へと「養成」することを露骨に表現しています(法案第9条)。これらにより、教育は教育機関・教育者が憲法の精神に則り、国民全体に直接の責任を負って自主的に行われるものとした現行法の理念を完全に否定して、国家による教育の権力的統制を可能とするものへと根本的に転換しているのです。

 こうした転換を企図するねらいは、「法案」に明白に現れています。
 その第1のねらいは、教育内容の国家主義的統制の道を用意することです。つまり、上述した理念転換を土台として、国家が法定した教育内容を学習者・教育者・すべての国民に強制することを可能にすることにあります。「法案」第2条に「教育の目標」を新設し、その第1号から第5号において教育現場で達成すべき目標を詳細に規定していますが、それらは現行学習指導要領の「道徳」の内容に準拠したものであり、「愛国心」に象徴的に現れているように極めて徳目主義的な「目標」となっています。さらに、「法案」第6条(学校教育)に第2項を新設し、すべての公教育に対して「教育の目標」を達成するために「体系的」「組織的」に教育を行うよう義務付けています。このことにより私立学校の自主性も大きく脅かされることになります。また、国家による教育目標の強制、国家による教育内容への介入の思想は、家庭教育、社会教育、地域連携の各条項にも貫かれています。国家がすべての教育目標を独占し、その強制を正当化するのが「法案」であり、それに反対するものは法律違反者となります。まさに戦前回帰であり、民主主義とはまったく相容れないものです。
 憲法13条「個人の尊重」および憲法19条「思想及び良心の自由」は、個人の内心を国が立ち入ってはならない領域としているのであり、「法案」は、憲法に明記されたこの基本原理を侵す憲法違反の法案です。このことは現行法の「日本国憲法の精神にのっとり」という文言を「法案」に残したからといって粉飾・隠蔽できるものではなく、断じて容認することはできません。

 第2のねらいは、こうした国家主義的転換を基礎にして、教育の新自由主義的な「改革」を全面的に推進する条件を整えることです。
 「法案」は、「国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施」(第16条2項)するとし、「教育水準の維持向上」という目的の下、国に対して教育内容統制を含む「総合的」な施策を実施する権限を無限定に付与しています。また「教育振興基本計画」条項が新設され(第17条)、「教育の振興」に関する計画を立案し「国会に報告する」のみで実施できる権限を「政府」に付与し、地方自治体に対してはこの計画を「参酌」することを義務付けています。
 近年のいわゆる構造改革は、学校に対しても“計画・実施・評価・評価に応じた財政配分”の手法を押し付け、競争とそれにもとづく格差を前提とする政策を推進してきました。この実態に照らし合わせてみれば、今回の法改正により、内閣府におかれた経済財政諮問会議や規制改革・民間開放推進会議などの経済至上主義に基づく政策が、「基本計画」を通じてより容易にストレートに教育現場に持ち込まれ、例えば、それら「会議」がしきりに主張している、大学に対する補助金の「機関補助から直接補助への転換」や教育バウチャー制度の導入などの諸「改革」をさらに進める条件が整うことになります。
 「法案」第7条には「大学」条項が新設され、「成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与する」ことが明示されましたが、政府がこの間、国際的な経済競争に勝ち抜くために大学の教育・研究成果を動員する政策を推進していることにかんがみれば、この規定が企図するところは明白です。さらに付け加えれば、大学に対する財政支援や諸条件整備については一切規定されておらず、世界で最低水準の高等教育予算に起因する教育・研究条件の貧困、異常な高学費といった問題状況はまったく省みられていません。

 また、「法案」が提出される過程においても重大な問題があることを指摘しなければなりません。
 まず第1に、教育という重要な国民的課題であるにもかかわらず、「法案」の立法趣旨・理由について何ら説得的な説明がされていない点です。改正の「理由」に挙げられているのは「諸情勢の変化にかんがみ、時代の要請にこたえる」という抽象論のみであり、どのような社会的事実が現行法とどのように関連し、なにゆえに法改正が必要なのかまったく明らかにされていません。与党幹部をはじめとする「改正」推進勢力が繰り返し喧伝している、さまざまな教育問題・社会問題の原因があたかも教育基本法にあるような主張も、何ら合理的な根拠が示されてのものではありません。
 第2に、教育基本法が準憲法的な性格を持つ重要なものであるにもかかわらず、与党一部議員が完全密室で政治議論を繰り返し、中教審答申(03年3月20日)から立案までの議論内容、資料を一切公表しないまま、国民の眼を避けて生み出した「法案」である点です。
 このような手法で作成された「法案」を、終了間際の本国会において短期間で成立させようとする手続き自体、きわめて異常なことであり、到底許されることではありません。また、このような「法案」を与党と一体となって成立させることに狂奔している文部科学省の姿勢は、憲法遵守義務を負う立場を放擲するものであり、厳しくその責任が問われなければなりません。

 わたしたち日本私大教連は、国会において「法案」をその立案過程も含めて徹底的に審議し、その問題性を明らかにした上で、廃案とすることを強く要求します。

以上


投稿者 管理者 : 2006年05月22日 00:00

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