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2006年05月25日

教基法改正法案の持つ問題の広がりと深さに対応した国会審議を求める

教育基本法「改正」情報センター
 ∟●教基法改正法案の持つ問題の広がりと深さに対応した国会審議を求める

教基法改正法案の持つ問題の広がりと深さに対応した国会審議を求める

2006年5月23日
教育基本法「改正」情報センター

1 教育基本法は“われら”の教育宣言

 1947年に制定施行された教育基本法の最も基底的な特徴は、それ以前にあって、権力の領域に位置付けられていた公教育を、権力の領域から権利の働く領域へと移し変えたことにあった。個人を国家目的実現のための手段として位置付けるのではなく、国家を個人の自由と尊厳を実現するための手段として位置付けなおすということ、すなわち、国家と個人との関係を180度転換させることにその根本的な意味があったのである。
 教育基本法は、その前文において、「個人の尊厳を重んじ」る教育の実現をその目的と謳い、これを受けて、第1条は、教育の第1義的目的が「人格の完成」すなわち、子どもを独立した人格として成長発達させることに求められることを確認している。
 確かに、第1条はこれに続けて“良き国民像”を描いているが、これは、公民育成のための国家による徳目の教化を意図するものではない。そうではなく、人間と公民との関係付け如何という難問に対して、“良き公民”は、上からの教化によっては生まれえず、下からの優れた人間教育の結果としてしか生まれないのだとの答えを示し、その結果生まれる“良き公民”が備えることになる特性を列挙しているのである。そして、「真理と正義を愛し」、「個人の価値をたっとび」、「勤労と責任を重んじ」、「自主的精神」、「心身ともに健康」という資質は、戦前の教育が「良き日本人」でありながら「悪しき人間」を育成したことへの反省に基づき、戦前において否定された資質を特定して、それらを列挙したものなのである。
 教基法の立法者意思を最も良く示す教育法令研究会編『教育基本法の解説』(1947年、以下『解説』)に従えば、「広い領域で育成された人間が、はじめて国家及び社会の良い形成者となることができる」(63頁)し、その結果持つに至る先の資質を備えて初めて、「国家及び社会の形成者」、すなわち、「作られた社会に消極的に順応してゆくにとどま」らず、それを「積極的に…形づくっていく者」(63頁)となりうるのである。
 教育基本法は、“良き人間”の育成を第1目的とする教育を実施する方法を、第1条に続く「教育の方針」との見出しを持つ第2条において示している。その第2文は、人間教育の実現には、「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」と規定する。
 では、「努めなければならない」主語は何なのか。日本語正文では主語が欠落しているが、英文ではこの文章の主語は、「われら」(We)となっている。この文章は、教育が人間形成を目的としているからこそ、それが、学問の自由の尊重を基礎にし、「自他の敬愛と協力」に基づいて、すなわち、子どもと教師との間の人間的な共同によって実現されるべきことを、「われら」の決意として表明したものなのである。『解説』は「自他の敬愛と協力」について、「教育ということが全うされるためには、教育する者とされる者との間に敬愛という心のつながりがなければならない。
 教師は生徒の何かの目的の手段に利用したり、生徒は教師を道具のように考えていては、真の教育も学問も行なわれない」(『解説』74頁)と述べているが、これは現在にあってもなお新鮮さを失っていない。
 第2条における「われら」の“教育宣言”は、第10条1項において、「教育は、…国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という教育の直接責任との概念に定式化されている。教育の直接責任とは、選挙を通じて表明される国民の意思に基づいて国会が制定した法律に従うことで教育はその責任を全うするのではなく-間接責任の否定-、日常的に親および子どもから表明される要求に直接耳を傾けて、教師が教育を実行することによりその責任を果たすべきとの考え方を示すものである。「教育は、不当な支配に服することなく」とは、この直接責任が侵害されてはならないこと、言い換えれば、公教育内部に設定された人間教育に必要な共同を実現する自由な領域が不当な介入を受けてはならないことを意味している。そして、教基法はさらに歩を進めて、定型的に「不当な支配」を行使しやすい教育行政には、「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」との任務を割当てたのである(第10条2項)。
 つまり、第2条と第10条は表裏一体なのであり、“われらの教育宣言”が、第10条を産み出したのである。『解説』においても、このことは、第10条は、「民主主義国家における教育と国民との間の関係を明らかにしたもの」なので、「教育全体の方針として、むしろ第2条教育の方針の中に入れられるべき」であったが、「教育行政に特に関係するところが多いので、ここに掲げられた」のであると確認されている(『解説』127頁)。

2 教育の自主性保障法から国家の教育統制法への転換

……

5月24日衆議院 教育基本法に関する特別委員会(議事速報)

投稿者 管理者 : 2006年05月25日 00:05

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