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2006年07月03日

石原都知事フランス語蔑視発言訴訟、第6回口頭弁論 原告から2名が意見陳述

石原都知事のフランス語発言に抗議する会
意見陳述

2006年6月30日 第6回口頭弁論、原告から2名が意見陳述を行いました。

陳 述 書

……(前略)……

 今回の発言は、たしかに我々原告の誰かが作り上げた何らかの作品を特定して攻撃するものではありません。しかし、我々原告の誰しもがこれを侮辱的暴言と受け止めざるをえないのは、なぜでしょうか。 フランス語がかつてこれを使用した先人のみならず、今なお使用する人々の努力によって 「形成」された結果、今見る規範をなしている事実は否定すべくもありません。しかし見方を変えれば、フランス語を習得し使用する者たちは、逆にその規範によって「形成」され、その作用は人格の深部に及ぶことさえもあるのです。
 ここで、「所沢農家に対する虚偽報道」に即して、一つ虚構の想定をしてみましょう。仮に今、何らかの農産物に対してではなく、農産物を生産するための規範となる「農業技術」に対して、これを貶める暴言が吐かれたとしましょう。個々の農家の皆さんは、生活の糧でもあり生甲斐でもあろう仕事の存在価値を、根底から毀損されたという無念の思いを抱くのではないでしょうか。そのような侮辱は、農産物の品目を特定して中傷することよりも深い傷を負わせることにならないでしょうか。それは、農民が農業という仕事に歳月をかけて習熟するほどにその一人一人の人格を形成されることになるからだろうと思われます。以上が第二点であります。

 以上ふたつの意味において、すなわち第一に、言語習得の努力を積んできた者として、第二は、私の人格の一部を侮辱されたという思いにおいて、今回の発言により、私は名誉を著しく毀損されました。

……(後略)……


投稿者 管理者 : 2006年07月03日 00:01

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