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2006年07月31日

北陸大学解雇問題、客観的理由なし 法人理事会 雇用関係終了の決定責任も明確にせず

北陸大学教職員組合
 ∟●教職員組合ニュース236号(2006.7.28発行)

解雇問題、客観的理由なし
法人理事会、雇用関係終了の決定責任も明確にせず

 7月13日、第2回団体交渉がありました。組合は6月中の開催を要求しましたが、結局7月中旬までずれ込みました。議題は、組合側からの要求は整理解雇問題と給与改定及び賞与について。法人理事会側の提案は「4月6日付け質問書」と、育児・介護規程及び再雇用規程について。しかし、給与改定については法人理事会側に用意がなく、交渉は解雇問題に終始しました。

 今回の交渉には河島学長が出席しました。組合の出席要求が、やっと実現したものでしたが、学長の都合で1時間ほどに限られ、学長の説明が必要な時間帯には姿がありませんでした。

 協議時間の問題だけでなく、先ず、法人理事会の解雇問題への誠意のない姿勢が問題です。そもそも、今回の解雇問題は外国語学部・法学部の閉鎖と未来創造学部の設置に端を発しています。それを教学側で主導した責任者が学長です。結果、北陸大学で長年教育研究に献身してきた教員の整理解雇という事態に至りました。しかし、8名の該当者が学長室に呼び出され、中川専務理事から口頭で「雇用関係の終了」通告を受けたときも、また、この事態に納得のいく解決を見出すための今回の団交においても、日頃他人の痛みのわかる人間になれと説く学長からは一言の弁明もお詫びの言葉もありませんでした。一方、松村労務担当理事は、3年前に法人理事会で、担当科目のない教員は外・法学部教育終了と共に雇用関係が終了するという「苦渋の決断」をした、と言明しましたが、そこから生じている深刻な事態に対して、法人理事会の責任を自ら明確にしようとはしませんでした。

 団交席上、解雇を言い渡された外国人組合員の悲痛な叫びがありました。「学長は、センター配属になっても、誰も仕事なくならない、と説明した。何故、3年後科目がなくなると解雇、と教えてくれなかったのか?頭の中に解雇があるのに、何故雇用関係の終了と言ったか?今でも、解雇なのに、言うのは雇用関係の終了。事実と合わない。何のためにはっきり言ってくれないのか?」これに対して、松村労務担当理事は「人柄が出たということですかね。…雇用関係が終了するということと解雇だということは、結果的に一緒、本来的に一緒のことなんですね」と感想を述べましたが、法人理事会側にはこの悲痛な叫びを真正面から受け止める姿勢は見られませんでした。孔子学院を開設し、仁の大切さを説き、礼を喚起する理事会は、何故、誠実に問題と向き合おうとしないのか、改めて理事諸氏の良心に問いたい。

 団体交渉の具体的協議は、①「雇用関係が終了する」ということの意味とその決定過程の事実確認、②解雇を必要とすることの理由、③解雇問題解決へ向けた、これまでの努力と今後の努力、などでした。

 ①については、「雇用関係が終了する」ことは解雇の意味であることが、改めて確認されました。しかし、法人理事会が本学初の整理解雇を決定していながら、おおよその決定日付すら定かでないことがわかりました。さらに、このような重要事項にもかかわらず、「寄付行為」で定められた評議員会の意見を聴くこともしていないことが判明しました。また、「このままの状態が続けば」と仮定法を執拗に繰り返し、自らその状態を3年前に作っておきながら一見条件付きを強調してみせるなど、相変わらずの無責任な独断と決定責任回避の姿勢のみが顕著でした。解雇決定の経過としては、先ず、学長が、「学長の裁量」で、正体不明の「信頼できるベストの先生」たちを選んでブレーンストーミングをしたこと、次に、そこでの構想を引き継ぎ、新学部設立準備委員会で「人のことは考えず」に多数の教員に担当科目がなくなる案を作り、「学長の裁量」で、実績、資質、能力、分野を総合的に判断し、新学部担当者を決めたこと、最後に、法人理事会が、準備委員会案に基づき、準備委員会規程で定められた身分の得喪に関する答申を得ないまま、雇用関係を終了させる(解雇)決定をした、という3段構えの経過が述べられました。組合側は、解雇を通告された教員たちには、実績、資質、能力、分野のどれ一つ欠けていないことを主張しました。次に、現時点で担当科目がないということは、直接解雇につながるものではない、なぜなら、他の科目も担当し得るから、と主張しました。さらに、法人理事会の解雇決定責任を明確にするように求めました。解雇決定責任については、持って回った言い方の末、結局、法人理事会側は「理事会の責任において決定した」と認めましたが、その後も「責任」を「責務」と言い換えるなど、説明からは、解雇該当者に対する一片の同情ないしは自責の念も感じられず、決定責任の自覚すら疑わしいものでした。

 ②については、組合側の「8人の解雇をしないと大学の存立が経済的に危ないか?」という質問に対し、法人理事会側は「それは経済的な問題も将来的には内蔵していた、それはあったと思う。但し、今の8名の方がそういう事態に至ったということは教育上の問題」と答えました。つまり、今回の整理解雇には財政上の理由はなく、教育上の問題というだけで、客観的に解雇が必要な理由は示されませんでした。

 ③については、法人理事会側は3年前に解雇を想定していたにもかかわらず、これまで解雇を回避するための努力を全くしなかったことが明確になりました。それどころか、例えば、職場を替わるなど、該当教員側の事情が変われば8ヶ月後には「解雇ではなくなる」と、解雇を言われた教員に解雇回避努力を転嫁するような説明をする始末でした。組合は、法人理事会側の今後の解雇回避努力を具体的に示すことを要求しましたが、法人としての対応策がゼロではないこと、組合と団交で協議すること、あるいは解雇を言い渡された本人と個人的に対応することもある、などの抽象的な回答にとどまりました。

 法人理事会側の一連の答弁の中に、未来創造学部は外・法両学部の再建を趣旨としている、との主張がありますが、道義なく、名分が立たないところに再建はあり得ません。教育に信が置けないからです。お題目のように「意識改革」や「秘伝のタレ」を叫ぶ前に、大学は本気で信を取り戻さなければなりません。新設後わずか2年で、予定教員の約半数が次々と退職した事態を真剣に反省しなければ、新学部の未来もないでしょう。法人理事会が、解雇当事者の仕事を奪ったまま、解雇の必然性のない解雇を強行しようとすれば、それは不当解雇以外の何物でもありません。そこには一片の道義も名分もありません。教職員組合は、大学の未来のために、法人理事会が大学創立の原点に立ち返り、一日も早く解雇を撤回することを求めます。……


投稿者 管理者 : 2006年07月31日 00:01

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