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2007年01月04日

鹿児島国際大学不当解雇事件、三教授の新春メッセージ

半年で終わった裁判です

田尻 利

 控訴審判決によって、学園側の不当な主張はさらにきびしく指弾されました。にもかかわらず、学園側は最高裁に上告いたしました。
 この事件はそれほどに時間を費やさねばならない、複雑で深刻なものではありません。学園側は厖大な証拠資料を提出しました。しかし、裁判所が判断の根拠としたのは、科目適格性をめぐっての5先生の「意見書」5通をのぞけば、5回を数える理事会調査委員会の「議事概要」、主査およびK委員の「委員会経過報告」2通ぐらいでしょう。「意見書」の3通は第一審に当方が提出しましたが、これをのぞけば重要な証拠のすべてが最初の地位確認の仮処分裁判のさい、理事会から出されています。要するに、この裁判において、事実の究明に必要な証拠はほとんどが地位確認仮処分裁判で提出されており、したがって6ケ月で決着のついた裁判なのです。空費された時間と費用、無念の思いを禁じえません。
 これまでの長期にわたるご支援にあらためて感謝いたします。あとしばらく、と確言できる段階にまいりました。よろしくお願い申しあげます。

ご縁に感謝して

馬頭忠治

 インキュベーターという言葉が流行ったことがあった。それは、社会には、それにふさわしい孵化器があって、人は育ち、イノベーションが可能になるというコンテクストで使われた。私も、裁判生活、5年目を迎えて、いま、はっきりと、皆さまの縁が織り成してできたインキュベーターに育てられてきたと実感する。とりわけ、2006年10月27日、福岡高裁宮崎支部による完全勝訴の判決言渡があってからは、とくにそうで、身心が開放される思いさえする。
 裁判生活が始まった頃は、当然のこと、研究できる情況ではなかった。生活不安ばかりが募り、精神的にも、社会とは、半透明なベールで遮られて、距離ができ、そればかりか、そのベールの向うから、いつも見られているような感じがして、辛かった。もちろん、もっともらしく作文された学園側の準備書面への反論や、自らの陳述書の作成など、組合や同僚の力を借りながらの事実確認さえ、結構、手間がかかり、また不慣れもあって、忙しかった。
 さらに、組合、守る会、全国連などに支えられて、地位保全等仮処分の裁判で勝訴でき(2002年9月30日)、徐々に生活も見通せるようになった。そんな折、恩師、篠原三郎先生の慫慂があり、また、同じ研究会のメンバーや先輩の助けがあって、『脱マネジメント論-市民事業と公共性の発見-』(晃洋書房、2004年)を上梓することになった。これは、私にとって、何よりの励みとなった。しかも、この出版にあたっては、実行委員会が組織され、実に多くの人の賛同とサポートを戴いた。改めて、この場をお借りして、感謝申し上げたい。
 お陰さまで、その後も、4本の論文を執筆できた。すなわち、①「株式会社と市民-法人論試論-」(中村共一編著『市民にとっての管理論』八千代出版、2005年)、②「組織と開かれた社会関係-協同論試論-」(社会経営学研究会編『関係性と経営-経営概念の拡張と豊富化-』晃洋書房、2005年)、③「近代と株式会社とソーシャル・チェンジ」(社会文化学会『社会文化研究』第9号、2006年)、④「アカデミック・モビングと大学自治-民主主義の私物化との闘い-」(大学評価学会編『アカデミック・ハラスメントの現在』2007年、予定)がそれである。
 さらに、学会報告をし、司会も務めた。比較経営学会、第30回全国大会(龍谷大学2005年5月)では、非営利・協同組織研究の現状と課題の分科会で、「市民事業の可能性」を報告し、さらに同31回(中京大学2006年5月)では、オルガナイザーとなって「NPOとソーシャル・チェンジ」を議論し、同32回(明治大学2007年5月)では、「NPOとソーシャル・キャピタル」を組織し、コメンテイタ-となる。社会文化学会では、自由論題の司会(「大学の人権侵害と市民的公共性」盛岡大学2005年11月、「市民事業における公共性と社会文化」立命館大学2006年12月)を務めた。大学評価学会では、分科会で「私立大学評価の市民基準」を報告した(桃山学院2006年3月)。さらには、日本経営学会の時に開催される東西研究会でも、この懲戒解雇事件について報告した(九州大学2005年9月)。この事件については、九州私大教連の秋季フォーラムでも報告した(北九州2006年12月)。社会経営学研究会では、「組織と開かれた関係」(龍谷大学2005年8月)と「市民社会と経営学」(龍谷大学2006年8月)を報告した。また、本務校では、講義担当から外されたままであったが、他大学(龍谷大学)で夏の集中講義(「経営特講:市民事業論の可能性」、2004年~2006年)を担当させていただいた。学生とのディスカッションは、新鮮で、とても楽しかった。
 さらに紹介しておきたいことがある。それは、以前、地域通貨の取組みを一緒にしていた鹿児島の友人が、ホームレスを支える会を組織し、活動するようになり、現在、こうした人びとに連帯保証人提供を行うNPO法人の設立準備に忙しくしているが、私も、こうした運動に参加するようになったことである。理論的にも、社会的排除やアマルティア・センの言うケイパビリティ・アプローチに興味を抱くようになった。それは、懲戒解雇されたことで、その必要性を肌身に感じるからでもある。
 どれもこれも、いろいろな人びとの縁が私を包んでインキュベーターとなり、それに育てられたことによるものだと感謝するばかりである。やっと卵から雛に孵ったところだが、これまでじっと温かく見守っていただき、また、助けていただいた。一言、お礼を申し上げたい。事件はまだ、終わってはいない。これからも宜しくお願いいたします。

大学における自由と民主主義を守ろう

八尾 信光

 2002年3月末の懲戒解雇処分をめぐって昨年10月の本訴控訴審判決までに幾つもの裁判(大小合わせると10件の裁判)がありましたが、その中で地裁と高裁は、「原告らには懲戒事由に該当する事実は認められないから」解雇は無効である旨の判断を繰り返して示しました。
 懲戒処分する理由がないという判断なので、裁判所は処分手続きについての検討を省略していますが、本件処分には手続き面でも次のような問題があります。
①当時の学長(現理事長)が、教員選考委員会からの事情聴取もせずに、その審査と結論を非難し委員会と教授会の決定を覆した上で、関係者の責任追及を開始したこと。
②大学教員を懲戒処分するための調査委員会を、大学内にではなく学園経営者の下に設け、自らその委員長に就いたこと。
③そのような形で調査委員会を設けることについて教授会や大学評議会の承認を受けなかったこと。
④調査委員会の結論は処分対象者からの事情聴取をする前に決まっており、事情聴取の結果は委員長作成の報告書に反映されていないこと(裁判所に提出された委員会資料を見ても、事情聴取後にそれに関する審議がなされたという記録はありません)。
⑤私に対する懲戒理由としては大学の将来計画をめぐる言動が多く挙げられていますが、懲戒理由書を示す以前には、それらについての調査や事情聴取を全く行わなかったこと(したがって懲戒理由書には事実に反する点が数多く含まれています)。
⑥懲戒処分案は当時の学長によって学園理事会に提案され決定されましたが、処分案について大学評議会での事前審議が全くなされなかったこと。などです。
 将来計画をめぐる学部長の言動が気に入らないとか、学部での教員選考の結果が気に入らないからといって大学教員が処分されるというのでは、民主主義も学問の自由もありません。しかも教員選考委員会の審査結果については、当該分野の代表的な研究者たちが裁判所に提出した「意見書」でその妥当性と正当性を幾重にも証言しているのです。
 大学教員が大学内での調査や審議も経ずに、その言論や見解を理由に大学経営者によって懲戒処分されることになれば、大学における学問の自由は失われます。大学は自由と民主主義の砦でなければならないはずです。この意味でも本件処分は必ず撤回されなければなりません。
 学園当局は地裁・高裁の判決を不服として最高裁に上告しました。組合などが求めていた話し合いによる解決を拒否して裁判による決着を求め、自ら最高裁の最終判定を要求したのですから、学園当局はその最終判定を全面的に受け入れる責任があります。
 解雇撤回と原職復帰、名誉回復の実現を目指してがんばりますので、どうぞよろしくお願いいたします。新しい年、みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。
 
2007年正月

投稿者 管理者 : 2007年01月04日 00:00

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