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2005年09月01日

鹿児島国際大学三教授解雇問題の経過

鹿児島国際大学での三教授解雇問題の経過  
       
2005年8月7日
鹿児島国際大学教職員組合

1. 教員選考での学問的判断などを理由とした懲戒解雇処分

 鹿児島国際大学を経営する津曲学園が三名の教授に対する懲戒解雇処分を決定したのは、2002年3月のことである。大学教員の学問的判断などを理由にこれほど大規模な懲戒処分が行われたのは前代未聞であろう。
 学園当局が「処分通知書」で示した懲戒解雇処分の主な理由は、1999年度に経済学部が行なった教員公募での採用候補者の審査と決定が不当であったというものだが、当局側はその後「教員採用で不正」などと喧伝した。
 この公募には10名の応募者があり、経済学部教授会は教員選考委員会を設けた。教員選考委員5名は応募者の中から研究業績が群を抜いていた候補者を全員一致で選定し、本人面接後にも異論がなかったので投票によって同候補を採用候補者と決定した。ただし投票で主査が突如反対票を投じたため以後の委員会審議は長引いたが、委員会は決定された採用候補者を教授会に推薦し、教授会もその提案を承認した。
 ところが当時の学長(03年10月からは学園理事長に就任)はこの決定を拒否し、教授会が決定した採用候補者を採用不可とした。その上で理事長の下に調査委員会を設け、次いで懲罰委員会を設けて、2002年3月29日の理事会で、田尻・馬頭・八尾の三教授を「懲戒退職」、1人の教授を「減給6ヶ月」とする懲戒処分を決定した。(さらに教員選考委員であったもう1人の教授についても03年12月に「減給12ヶ月」の懲戒処分とした)。

2. 採用候補者の研究業績についての経営者側の判断が根拠

 学園当局は三教授に対する「処分通知書」において、教員選考委員会が教授会に推薦した採用候補者の業績は公募科目に「不適合」であったとした上で、教員選考委員会委員長であった田尻教授は「不当な委員会議事運営を主導した」、副査であった馬頭教授は「業績評価報告」でこの候補者が「適任である」との「虚偽記載」をした、経済学部長であった八尾教授は「教授会審議を誤った結論に導いた」と主張している。これに対して三教授は裁判で全面的な反論をし、当該分野の代表的学者たちも教員選考委員会による業績評価の妥当性・正当性を証言した「意見書」を提出した。教員選考委員会が審査して推薦し教授会も承認した採用候補者の研究業績を、学園経営者側が「科目不適合」であったと断定し、そのような学問的判断の違いに基づいて3名もの大学教員を懲戒解雇処分したのは異常である。

3. 不当解雇の撤回を求める教職員組合と支援団体の活動

 この不当解雇処分に対しては鹿児島国際大学教職員組合が一貫して三教授支援の活動を進めてきた。未曾有の大規模処分による恐怖が大学内に広まり自由な言論が憚られるような状況下でさまざまな支援活動を展開した。節目節目での団交申入れ、地労委への斡旋申請、「支援集会」「組合集会」「昼休み集会」「学習会」「組合フォーラム」の開催、非組合員を含む多数の教職員の協力を得た支援カンパ、裁判への物心両面からの支援などである。
 県内の大学関係者、市民、団体も「鹿児島国際大学教職員の身分を守る会」を結成して地道な支援活動に取り組んでいる。「守る会」には233名の個人と連合鹿児島や県労連を含む33の団体が参加し、集会、宣伝、署名、裁判傍聴などの活動を行い、2003年5月には1万2468名の署名を鹿児島地裁に提出した。なお組合と「守る会」の活動に対しては、九州私大教連が助言者・支援者の派遣や広報など様々な形での支援を続けている。
 この不当解雇事件については全国の大学関係者も大きな関心を向けている。「鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会」では、580名の学者が「呼びかけ人」として「不当解雇処分の早期撤回」を訴え、全国4000名以上の方々がこれに賛同している。同会は京大会館で設立集会を開いたあと、新聞に意見広告を出し、ポスターを作成して全国に送付したり、シンポジウムを開催するなど多彩な支援活動を展開してきた。同会の事務局は昨年、『いま、大学で何が起きているか』という本を編集して「かもがわ出版」から刊行した。

4. 仮処分裁判など5つの裁判で全面的に勝訴

 この解雇処分をめぐっては仮処分裁判をはじめとして6つの裁判が行われてきたが、昨年9月までに下記5つの裁判が決着し、すべてについて三教授側が勝訴した。
・ 地位保全等仮処分申立裁判  (2002年4月提訴、地裁での4回の審尋を経て同年9月に三教授側全面勝訴)
・ 仮処分決定への学園側の異議申立裁判 (02年12月提訴、本訴の中で審理、04年3月に三教授側全面勝訴)
・ 異議申立を却下した地裁決定に対する学園側の福岡高裁宮崎支部への保全抗告裁判
 (04年4月提訴、04年9月に学園側が提訴取下げ)
・ 03年10月以降の賃金仮払いを求めた仮処分再申立裁判
 (5回の審尋を経て04年8月三教授側勝訴)
・ 南日本新聞社と八尾教授に対する学園側の名誉毀損・損害賠償訴訟
 (03年4月提訴、4回の口頭弁論を経て04年1月に三教授側全面勝訴)

なかでも、仮処分決定に対する学園当局の異議申立裁判において、裁判所が「学問的立場の違いを理由に懲戒処分」すべきではない旨を説示した上、「債権者らには懲戒事由に該当する事実は認められない」から「解雇は…無効である」という判断を示したことの意義は極めて大きい。

5. 本訴の判決は8月30日

 最も重要な裁判は2002年11月に三教授側が提訴した本訴(「解雇無効・地位確認等請求裁判」)であるが、これも途中3回の円卓審理を挟んで計15回に及ぶ口頭弁論が去る5月17日に終結した。このうち、第6回から第9回の口頭弁論では被告学園側3証人と現理事長(前学長)本人への尋問、 第9回から第12回の口頭弁論では証人1名を含む原告側4教授への尋問が行われ、それらを通して本件処分の不当性は一層明らかになった。

鹿児島国際大学三教授解雇事件略年表 2005年8月

鹿児島国際大学三教授解雇事件略年表

2005年8月30日

1999年7月31日 経済学部教授会の決定に基づいて「人事管理論および労使関係論」担当教員
〈教授または助教授〉が公募された。
   10月13日 全国から10名の応募があり、教授会は教員選考委員会を設置し、委員会は12月17日までに応募者中で研究業績が抜群の候補者を面接対象者に選定した。
(のちの裁判における菱山前学長の供述によれば、学長は応募締切後に旧知の教授から特定の大学院生について宜しく頼む旨の電話依頼を受けていたという。)
2000年1月14日 第4回委員会で本人面接が行なわれ、その後とくに意見もなかったので投票に入り採用候補者が決定された。ただし、投票後に主査が反対票を投じたことを告げて採用反対の意思表示をし、委員会決定を踏まえた業績評価報告書の作成を断ったので、教授会への報告書作成などのため更に4回の委員会が開かれた。
 2月22日 経済学部教授会への選考委員会の報告と提案が行なわれ、長時間の論議を経て承認された。ただし副査による業績評価報告等を批判して主査と6名の教員が投票への参加を拒否して退席。後に彼らは理事長と学長宛に上申書を提出した。
 3月13日 菱山学長は津曲理事長と連名で、教授会が決定した採用候補者に採用不可の文書を送付し、その後この人事についての「調査委員会」を理事長の下に設ける方針を示した。ただしこの方針は教授会や大学評議会の承認を受けていない。
 〔4月 5日〕 〔学長を委員長とする「大学問題調査委員会」が、学園理事長、大学事務局長と2名の外部委員(共に学長の前任大学における後輩同僚、うち1名は上記の大学院生やその指導教授らと共同研究を進めていた教授)を含む5名で発足した。この委員会は11月25日までに計5回開催され、7月に上申書を提出した7教員からの事情聴取を行った上〕、8月と11月に経済学部長と委員会関係者に対する事情聴取を行なった。 (なお〔 〕内は被告学園側が提出した裁判資料による。)
2001年〔7月23日〕 〔上記調査委員会での審議と聴聞を総括して、菱山学長が「調査委員会報告」を作成し委員らに「報告」した(それが承認されたかどうかは不明)。〕
 〔10月 1日〕 〔この「報告」に基づいて学園理事会が懲罰委員会を秘密裡に設置した。懲罰委員会は理事長、学長、学者理事(学長の前任校での後輩同僚)、学園事務局長、大学事務局長の5名で構成された。教授会を退席して「上申書」を提出し、その後学長秘書室長に任命されたH氏もオブザーバー参加した。〕 委員会は三教授とK教授宛に「懲戒理由書」を発送し11月に弁明聴聞を行なった。
 〔12月17日〕 〔大学評議会の下に学長を議長とする「採用人事調査委員会」が秘密裡に設けられた。委員は教授会審査を経ずに新規採用された教授らで構成された。〕  
2002年〔3月12日〕 〔懲罰委員会が三教授を「懲戒退職」とする懲戒処分案を決定した。〕
 3月29日  〔学園理事会が上記処分案を承認し〕三教授らに「処分通知書」を送付した。 〔この決定に際して、懲罰委員会と理事会は懲戒処分の就業規則上の根拠を明示せず、就業規則に定められた労働基準監督署長の認定も受けなかった。〕
2002年4月 5日 三教授は鹿児島地裁に地位保全等の仮処分を申請。同裁判の審尋は4月30日、6月7日、8月2日、8月30日に行われ、9月30日に仮処分決定が下された。「懲戒解雇は無効」と判断、「地位保全」と以後1年間の賃金仮払い等を命じた。
 10月25日 学園側、裁判所が懲戒解雇を「無効と判断」しても「解雇する」との「処分通知書」を三教授に送付した(「予備的解雇」通告)。
 11月19日 三教授が「解雇無効・地位確認」等を鹿児島地裁に請求し本訴開始。第1回口頭弁論は2003年1月20日。以後2月24日、4月7日、5月26日、8月11日、(9月24日と10月29日の円卓審理をはさんで)、12月22日(第6回)、 2004年2月2日、5月17日、6月7日、8月9日、9月13日と重ねられ、11月16日の第12回口頭弁論で証拠調べ(尋問等)を終了した。うち第6~9回は被告側3証人と被告代表菱山泉理事長(前学長)本人への尋問、第9回~12回は証人1名をふくむ原告側4教授への尋問。 尋問修了後に被告側が予備的通常解雇について追加準備書面を提出したいと要求したので、それについての口頭弁論が2005年2月1日に設定されたが、被告側はこの準備書面を提出しなかった。3月1日の第14回口頭弁論では裁判所による事実整理案が示され、(4月25日の円卓協議をはさんで)、5月17日の第15回口頭弁論で弁論は終結、判決は8月30日と決まった。
 12月25日 学園側が地位保全などを命じた仮処分決定に対する異議を鹿児島地裁民事部に申立て異議申立裁判開始。その審理は本訴裁判の中で進められ、2004年3月 31日に学園当局側の主張と請求を全面的に却下する決定が下された。 三教授らには「懲戒事由に該当する事実は認められない」との判断を示し、学園当局が通告した予備的普通解雇も「解雇権の濫用に該当し無効である」とした。
2003年4月22日 学園当局が、本件処分と裁判をめぐる新聞報道および「教授」の肩書記載が学園の名誉を毀損したとして南日本新聞社と八尾教授を鹿児島地裁に提訴、総計645万円の損害賠償等を請求した。この名誉毀損・損害賠償訴訟については、6月4日、8月20日、9月24日、11月26日と計4回の口頭弁論が行われ、翌2004年1月14日に学園側の請求をすべて棄却する判決が下された。
 10月15日 三教授が2003年10月以降の賃金仮払いを求める新たな仮処分を申請。その審尋は10月29日、11月26日、12月22日、2004年1月14日、5月17日と5回にわたり行われ、8月27日に同年6月から本訴第1審判決月までの生活費などの仮払いを命じる決定が下された。
2004年4月17日 仮処分決定への異議申立を鹿児島地裁が全面却下したことについて学園当局が福岡高裁宮崎支部に保全抗告したが、9月13日にはこれを取り下げた。
2005年8月30日(火)13:10 鹿児島地裁で本訴(解雇無効・地位確認等請求裁判)の判決言渡しが行われる。その後14:00頃から「鹿児島国際大教職員の身分を守る会」による報告集会が県文化センターで開催され、17:00からグリーンホテル錦生館で立食パーティーが行われた。


投稿者 管理者 : 2005年09月01日 01:13

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