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2006年02月24日

都立大・短大教職員組合、2006年春闘方針(案) 首都大学東京の現状

……

2.大学改革問題

1.大学をめぐる現在

(1)学長選考の民主化を求める動き
 最近、法人化によって新しい制度が導入された学長選考をめぐって、国立大学で大きな問題が起こっています。新潟大学では教職員らによる意向投票の結果とは違う人物を、学長選考会議が学長候補に決定しました。これに対して今年1月、この決定過程は国立大学法人法に違反するとして、候補者決定の無効と文部科学大臣への候補者推薦の取り消しを求めて訴訟が起きています。そもそも学長選考とは、大学にとっては「顔」となる人物を選ぶ行為です。選考過程に正当性がなければ、このように訴訟になるでしょう。またもしならない場合でも、そのようなプロセスで学長になった人物に対する教職員からの信頼は生まれません。候補者の選考過程は、それが十全に民主的であれば、どの候補者が当選したとしても、まがりなりにも自分たちが選考に関わったという実感を投票者に与えるものです。そのことは、大学という場において非常に重要なことなのです。正当な手続きによって選ばれたのではない学長、あるいは部局長に対して、教職員が信頼を寄せることはありえません。

(2)任期制教員再任拒否問題
 また、任期制をめぐって見過ごせない事件もおきています。京都大学再生医科学研究所教授が任期終了時に再任を拒否された問題です。この教授は処分の取り消しを求めた裁判を起こしましたが、高裁は一審と同様、請求を棄却しました。司法は、任期制を適用された教員は任期が切れた時点で退職することが前提なのであり、再任拒否は行政訴訟の対象となる「処分」ではない、という判断をしています(『日本経済新聞』2005 年12 月28 日)。つまり大学教員任期法に規定された任期制は、あくまでも一旦退職するということを内容として含んだものであることを示しています。
 従って「全員任期制」という法人の方針は、先の判決に即した理念の上においては次のような結論を導き出します。所属する教員は誰一人として、基本的に5年の任期の間しか雇用は保障されておらず再任を絶対に保障するものでない。従って教員の側からすれば、任期の期間を越えて大学の将来について責任を負う必要はない、ことになります。もちろん現在、首都大では任期の有無にかかわらず、多くの教員が大学の再建を期して努力しています。そして1年更新、最大3年の雇用など厳しい条件のなかで働いている固有職員が、派遣職員と並んで大学の業務を支えています。「全員任期制」という理念がもたらす論理的帰結からすれば、こうした現在の本学の現状は、まったくの僥倖であることを、法人当局は認識するべきでしょう。

2.首都大学東京の現状
(1)大学のHPなどで露出する石原知事
 つい先頃まで、首都大学のHPを開くと石原知事の動画があらわれ、「こんな大学、世界にないぞ」というセリフが飛び込んできました。また今年のセンター入試の2日目『読売新聞』朝刊の解答速報の下欄に首都大の宣伝広告があり、ここにも西澤学長と一緒に石原知事が写真入りで出ています。このHPや新聞広告、考えてみれば異常です。独立行政法人になって東京都からは独立したはずなのに、いったいなぜ石原知事が、あたかも大学の「顔」であるかのように前面に出てくるのでしょうか。
 運営費交付金で運営されているから、出資をしている自治体の首長が大学のHPや広告に登場するのは当然だというのでしょうか。そんなはずはありません。都立の大学の時代には制度上、設置者=知事との関係は現在以上に近かったにもかかわらず、大学の広告等では総長、学長が大学の「顔」であったはずです。初代の安井誠一郎知事以来、都知事がこのように露出した例はないのです。また法人化した国立大学の宣伝物のなかに、小泉首相が学長と同じくらい大きな写真入りであいさつをしている姿も、全ての国立大学について調べたわけではないにせよ、見出すことができません。首都大のHP、新聞広告が、いかに奇怪なものであるかがわかるのです。
 このエピソードは、8 月1日以後の知事と東京都の、大学に対する扱いを、象徴的にあらわしています。この問題は、本来であれば法人の長、学長が抗議するべき問題でしょう。


(2)大学運営の現状
 開学から1年を経た、「世界にない」大学の現状はどうでしょうか。新大学は開学早々から、学内運営に未曾有の混乱を招くことになりました。2003 年8 月1日に石原知事がそれまでの改革大学構想を一方的に破棄し、突然にぶち上げた新大学構想がいかに実質を伴わない空疎なものであるのかが改めて明らかになったのです。華々しく喧伝した新大学の目玉商品も、ほとんどが実効性に乏しいものとなっています。しかも不幸なことに、2006 年度の大学案内は相変わらず大学の本来の特徴を正確に伝えず、実行不能なこれらの目玉商品を掲載したままです。
 しかも新大学の開学準備には、大学管理本部と都の路線に迎合した一部教員との密室で行われたため、全体として機能不全に陥っているのが新大学の現状です。法人化以前より大学運営が改善されたと考える教職員は、おそらくほとんどいないはずです。この間の大学改革論議のなかで必ずいわれてきたのは、過去の大学というものが評議会、教授会などの機関による協議を経ていたために、迅速な意思決定ができないというものでした。そして評議会、教授会の権限を削減し、「トップダウン」による運営を行うべきであるということは、「東京都大学改革大綱」に貫かれた思想でもありました。8月1日以後の大学との協議を無視するやり方も、そうした思想がグロテスクにあらわれたものだったといえます。しかしこうしたふれこみにもかかわらず、評議会、教授会が機能していた昨年度までに比べて、首都大開学後の大学運営が円滑に行われているとはいえません。むしろ停滞していることは、誰の目にも明らかなのです。
 ふりかえってみれば、年度当初に科学研究費申請書類の所属機関代表者を、学長ではなく理事長に書き直させ大混乱が起きました。この誤りは、経営を教学の上に置くという当局の発想から生じたものです。一部の私大では理事会の権限が非常に強い場合がありますが、経営と教学についての最低限の区分はわきまえているはずです。東京都の唱える理念が、いかに大学の常識とかけ離れたものであるかを示しています。また研究費配分をめぐって大きな問題が起こりました。経営企画室は、傾斜的研究費の配分について、首都大に就任しなかった教員に対する差別的取り扱いを行いました。これは「同意書」、「意思確認書」以来の「踏絵」政策の一環でした。また大学の実態をふまえないで基礎的研究費の配分を行ったため、研究室運営に大きな支障がでる事例もありました。教員の研究費が実際のところ、教員の狭義の個人研究にあてられているわけではなく、院生・学生の研究・学習の保障を含む学科、研究室全体のために使われるという、大学における教育研究のあり方に対するまったくの無理解が、こうした問題を引き起こしました。また大学の教育研究全体を見渡し、院生・学生の研究・学習への配慮もしながら教育研究の活性化につながる予算配分を行うためには、経営企画室が一方的に配分にたずさわるのではなく、教育研究審議会などの機関が十全な権限をもつ必要があります。
 また、オープンユニバーシティで、法人当局が来年度「300講座」実施という方針を無理矢理に押し通そうとして教職員の間に混乱が起こっています。これは大学の教育研究を発展させるために設定するはずの「数値目標」が一人歩きし、法人幹部がこの「数値目標」を達成することを自己目的化したことのあらわれでした。

(3)「トップダウン」の実態
 ところで、学内意思決定機関の権限が奪われてしまっていれば、なおさらそれを補う主体がなければ組織は動きません。常に大学全体に目配りをし、的確な判断力によって、機関の機能不全化のもたらす弊害を克服できる主体でなければならないはずです。おそらく世間では、そうした主体の決断を「トップダウン」と呼んでいるのではないでしょうか。ところが、この大学で「トップダウン」というタームが、世間とはまったく別の意味で使われていることは、いまや自明のことです。先にみたオープンユニバーシティをめぐる問題も、このことと無関係では決してありません。
 2月14日の教育研究審議会における来年度の「教員管理職等」についての「学長発言骨子」は、ようやく学内の混乱を認識してそれへの対応を行おうとしてする姿勢がでてきたかのうようにみえます。しかしそこで提起された案は、相変わらず大学運営停滞の原因がどこにあるのかということについての理解がまったくないものとなっています。
 図書情報センター、基礎教育センターには「部局長補佐」を2名まで配置可とする、都市環境学部には「部局長補佐」を2名まで増員可とする、オープンユニバーシティには「副オープンユニバーシティ長」を新設するとあります。図書情報センター、オープンユニバーシティ長は学長が兼任してきたものの、実質的にまったく業務に関与しない状況が続いていたことへの対応だと思われますが、「部局長補佐」、「副オープンユニバーシティ長」を置くことで「長」としての責任をなお一層回避するものではないでしょうか。まったく業務を行わないにもかかわらず、いつまでも「長」の椅子にあることの意味が理解できません。また都市環境学部長の「部局長補佐」の増員は、都市環境学部長が工学研究科長、都市科学研究科長を兼務することに伴う措置のようです。いたずらに規則にない新しい役職を作り、一人の人間が兼務するというのではなく、当該部局のなかから構成員の信頼を得た教員を研究科長に選出するべきです。
 先に本学では「トップダウン」というタームが、別の意味で使われていると述べましたが、本来の意味における「トップダウン」でも、大学という組織の運営を円滑に行っていくことはできないでしょう。そうではなく、むしろ教職員が大学運営に主体的に参加し、教育研究審議会、教授会に十分な権限が与えられ、学部、研究科、オープンユニバーシティ、図書情報センターなどの機関の長が自覚と責任観念を備えていくことで、改善できるに違いありません。
 このような現在の大学運営の混乱を収拾し、大学再生の舵を切るためには、法人の代表である理事長及び学長が開学1 年の経過について、全教職員の前で経過の報告を行い最高責任者として不十分であった諸問題について率直に責任を認めると共に、2 年目に向かって、混乱の修復への協力を、一般教職員に虚心坦懐に呼びかけるぐらいのことがあってしかるべきです。何故なら、2 年目には、日野キャンパスと南大沢キャンパスとの間の研究室の移動問題、荒川キャンパスへの2 年生の移動、短期大学の最終年、学生サポートセンターの活動修正などの新たな課題が存在し、全学的な取り組みが整然と実行されなければ、新たな混乱が増えるばかりになるからです。全学を挙げて取り組むべき課題が目白押しの2 年目に向かって、理事長や学長がその第一線に立ち、教職員と共に取り組む明確な姿勢を示すことこそ、最高責任者の取るべき態度であると思われます。

3.大学運営の根本的刷新を!
 組合は、以上の問題を放置すれば、首都大は大学としての体をなさなくなると考えています。また組合として特に放置できない問題は、教職員の労働条件に悪影響を及ぼすことです。法人、大学行政が合理的に運営されていない、あるいは指揮系統が不全であれば、朝令暮改の連続となります。そうすれば教職員に過重な負担がかり、労力を合理的に配分することができずムダも生じます。都立の時代は、「管理運営事項」であるとして労使協議の対象とすることを拒否されてきた事柄も、教職員の労働条件に少しでも関わるものであれば労使協議の対象となります。
 2005 年8 月1 日に開催された組合主催の集会「新大学開学4ヶ月を検証する」および、11 月4 日の組合、学生自治会、「都民の会」共催の「首都大学を考える会」の場において、60 年近い都立4 大学の教育研究の成果の蓄積の継承と発展を図る上で何が必要かということが議論されました。組合はこれらの集会での議論も参考にしながら、大学の再生に向かって努力する方針です。当面、法人、大学で生じている問題を一刻も早く解決するために、組合はその役割の範囲内で、問題点を徹底的に洗い出します。また場合によっては学内外にもこうした現状を伝え、真の大学改革のあり方についての議論を喚起していきます。
 また教職員ばかりでなく、大学に学ぶ学生、院生の学習、研究条件の改善を行っていくことも必要です。新大学の開学以来、南大沢キャンパスでは昨年に比べ多くの学生が学んでいます。そのため昼食時には生協食堂が混雑する状況が生まれていました。そのため食堂混雑の緩和策を求める署名を学生自治会と共に実施しましたが、短期間で905 名もの賛同者がありました。この賛同署名は多くの建設的な意見を添えて、学生自治会執行委員らと共に、12 月初めに法人事務当局へ提出しました。これ以外にも学生、院生の学習、研究環境をめぐって改善の余地があります。こうした要求にもできるだけ応えて、大学運営の刷新を求めていかなければなりません。
 なお、開学2 年目を迎えるに当たり、大学運営の実態などに関して、組合員を中心としてアンケートを行い、現状把握と打開の方向性を導き出す活動を展開していきたいと考えております。


投稿者 管理者 : 2006年02月24日 00:05

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