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2006年03月15日

助手・助教問題について、任期制導入の企み

京大職組理学部支部ニュース、No.05-5(2005.3. 9)

助手・助教問題について

副支部長 吉村洋介

 昨年2005年7月に学校教育法が改正され、来年2007年4月から大学の教員制度が大きく変わります。中でも50年以上にわたる懸案事項であった助手制度について、大きな改変が行われることとなりました。現行の助手を「(新)助手」と「助教」に切り分け、助教については独立して教育研究に携わる存在、教員として認めようというのです(法人化前、公式には助手は「教官」であっても「教員」とは言えない存在でした)。このこと自身は一昨年9月、京大が公式に助手の英訳をinstructorからassistant professorに変えたのと同様、かっての遺制を清算しようとするもので、「助教」という名称はともかく、評価できるものといえましょう。

▼助手・助教とは何ものか

 この時にあたって、まず問われるべきは(新)助手、助教の位置でしょう。現在の助手を(新)助手と助教に切り分けたとして、(新)助手とは何ものになるのでしょう?(新)助手は教育の支援者として位置づけられることになっています。それなら(新)助手と技術職員はどう違うのでしょう?また今も残る教務職員制度とはどのような関連で理解されるべきものなのでしょうか?

 助教は独立して教育研究に携わるものとなるといいます。それでは助教は単独で学生・院生の指導者、分科・研究室の代表者となりえるのでしょうか?そしてたとえば総長や部局長の選挙制度も含め、助教の声を大学の意思決定に反映される道筋はどのように整えられるべきでしょうか?また講師と助教の役割はどのように整理されるべきなのでしょうか?

 こうした問題は法律の改正の時点でも明確にされず、個々の大学の自主性にゆだねられた形になった重要な論点でした。

▼任期制導入の企み

 最近、京大内でもこの学校教育法改正にともなう教員組織のあり方についての議論が始まりつつあります。しかし当事者である助手抜きの、教授層だけの議論に止まっているのが現状のようです。そのため従来の助手制度の問題点を明確にする努力(それは教授層のこれまで の怠慢を問うものでもあるでしょう)はないがしろにされ、助教に任期を付すかどうかという点に議論が集中しているように見えるのは寒心に堪えません。

 またその「任期制」についての説明も杜撰なもので、なされる説明が教室ごとに異なっているようです。だいたいが語られる任期制がいかなものかも、明確ではありません。たとえば文科省から「交流人事」でやってくる方々は、任期果てると違う任地に赴かれるではありませんか。理学部中央事務の顔ぶれは3年ぐらいの任期が終わると、次々変わっていくではありませんか。こういったものも「任期制」にはちがいありません。
 「任期が来たらクビ」という法的な任期制の導入を意図するのでしょうか?それなら背景となる文化・ライフスタイルの異なる米国の例をいたずらに引き合いに出すのではなく、この7年にわたる日本での経験に照らして、その施策の当否をまず語るべきでしょう。

 性急な現状の身分変更を企てる前に、当事者たる助手、さらには学生・院生、ポスドク諸君の声も聞いて、まずは(新)助手・助教の職務内容、大学の中での地位を議論するところから始めていただきたいものです。

投稿者 管理者 : 2006年03月15日 00:01

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