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2006年11月14日

小樽短大閉校へ 

<緊急リポート 小樽短大閉校へ>上 市民「再建のはずが…」 「熱意」届かず 街の体力の衰え象徴

北海道新聞(2006/11/09)

 「短大ひとつ生かせないほど街が疲れていたのか」「再建が進んでいるんじゃなかったのか」-。小樽短大の二○○八年三月閉校が明らかになった八日、同短大を陰に日なたに応援してきた地元関係者らは表情を曇らせた。街を挙げた「熱意」で育ててきた短大が消えるショックは大きい。

■「小樽の財産」
 同短大誕生は、市PTA連合会が一九五五年の総会で「小樽に女子短大を」と決議したことに始まる。これを契機に機運が高まり、六三年には当時の市医師会長、故石橋猛雄氏を会長に、各界の代表が顔をそろえる設立期成会が発足した。
 小樽市史によると、全市的なPTAアンケートを行って要望を聞き、大きな特徴でもある英語科設置を決定したという。退潮期といわれた経済界も資金集めに駆け回り、六七年四月、念願の開学を果たした。
 開かれた大学を目指し、市民対象に公開講座も積極的に展開。二年生の男子学生の保護者は「教職員の並々ならぬ努力を感じた」と話す。それだけに、市民も関係者も同短大を「街の財産」と口をそろえる。
 しかし、卒業者数で見ると九五年度の三百八十人をピークに学生数は減少。九九年に男女共学としたが、学生数回復の起爆剤とはならなかった。
 経営危機がささやかれ続けたが、状況が変わったのは今年夏。同短大を運営する学校法人小樽昭和学園(現・小樽高川学園)の地元経済人を中心とする理事有志が「何とか存続を」と奔走。学校再生の実績があるタカガワ(徳島)の高川晶会長に経営支援を求めた。
 高川会長は「街を挙げてつくった短大の灯を消したくないという思いに感銘した」と話し、経営を引き継いだ。地元の熱意が通じたかに見えた。
 それが一転しての閉校決定。小樽市幹部は「経営支援を受けて再建が進んでいると思っていたのだが…」と絶句。タカガワの支援取り付けに走り回った同学園理事の西條文雪・西條産業社長は「つらい。残念だ」と漏らした。

■存続の道なく
 多くの要因が重なったとみられる閉校については「残念だが、あきらめるしかない」(市幹部)といい、存続の道は途絶えたよう。同短大と市民の支援の歴史を知る市内の会社役員は「熱意が届かなかったのか」と市民の思いを代弁する。
 夏のおたる潮まつりに同短大生と合同参加し、地域の祭りでも学生と協力してきた入船六・三町会の片桐康彦会長は「十四万都市として、短大一つ支えきれないほど、衰えてしまったのかと。寂しくて残念でならない」と言葉を絞り出した。
 小樽短大の閉校決定は、景気低迷や人口流出に悩む小樽の課題を浮き彫りにしたともいえる。

<緊急リポート 小樽短大閉校へ>下 「最悪」は回避 系列校の再生に活路 出願ゼロに苦渋と安堵

北海道新聞(2006/11/10)

 「ぎりぎりのタイミングだった」。小樽短大が将来の閉校を明らかにしたのは七日。
 同短大は十月二十日から推薦入学の願書受け付けを始めており、職員の一人は「もし一通でも願書が来ていたら、その子の人生を狂わせてしまうかもしれなかった」と苦渋と安堵(あんど)の両方をにじませた。
 ただし、願書は出ていなかったものの、系列校の小樽明峰高には同短大への推薦入学を希望している生徒もいたため、進路変更など最優先で打開を図る考えだ。

■2校は順調
 母体の学校法人小樽高川学園は、同短大、同高校に加えて、小樽看護専門学校も経営。地元には「三校一体で再建してほしい」との期待があっただけに落胆も大きい。「最初から短大の閉校ありきだったら、民事再生法の申請前に別の枠組みを模索できたかもしれない」と市内の経済関係者は唇をかむ。
 一方、学園関係者には「看護学校と明峰は順調だから、再生の可能性はぐっと高まる。企業でいえば、不採算部門を切るのは当たり前の手法かもしれない」との見方もある。
 短大は一九九七年から定員割れを始め、今年は定員の四分の一近くに学生が減ったが、他の二校の経営は悪くはない。明峰高(生徒数二百三十八人)は三学年合わせて五百三十六人という定員には達しないものの、不登校や中退経験者などの受け皿としても頼られる存在で、生徒の八割は札幌など市外から通学。看護学校(学生数百五十八人)は、後志唯一の正看護師養成機関という特色から、毎年定員を上回る入学者が集まる。

■良さ伝わらず
 「少人数だけに、濃密な授業とコミュニケーションができ、学生の意欲も高い。だが、そうした大学の良さがうまく伝わらなかった」と無念の表情を見せるのは、同短大のエリック・ハグリー教授(37)。インターネットで海外の外国人学生とつなぎ、英会話を学ぶ最先端の授業を実施してきた。
 同短大はまた、高校生や市民向けの模擬授業などを行う「オープンキャンパス」や社会人入学にも力を入れてきた。
 「先生に質問しやすいアットホームな雰囲気で、勉強の場としては最高」と一年半後、最後の卒業生となる一年生の松井進悟さん(19)。別の教授は「学生が集まらず経営難に陥った代わりに、少人数で満足度が高い大学教育が実現した。皮肉な結果だ」とため息をつく。
 社会人入学の二年生竹原史子さん(66)は「六十過ぎた私を受け入れ、視野を広げてくださった大学に感謝したい」。あと少しで卒業だが、来年も聴講生として勉強を続けるつもりだ。開学から三十九年。二○○八年三月をもっての閉校を、地元も学生・教職員も惜しんでいる。


投稿者 管理者 : 2006年11月14日 00:00

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