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2007年8月21日

横浜市立大学、学長選挙は外部支配が貫徹するシステム

大学改革日誌
 ∟●最新日誌(8月20日)

 山形大学の学長選挙の問題点は、新聞報道を通じて確認していたが、今回の声明は、大学自治・学問の自由について今一度、基本から考えるための素材を、豊富に提供している。

 しかし、この声明を読むと、実は、本学の本質的根本的問題性がより鮮明になる。

 学長選挙などは本学では存在しないのである。その意味では、学内教員・職員の意向などはじめから無視するシステムとなっている。学長は、行政的に「外から」「上から」決めてやるから、学内の教員は、すべてそれに従え、学部長その他も、経営陣・学長が決めてやるから、下のものは文句言わずに従え、というのが官僚主義的な現行システムである。

 現在の本学のシステムでは、学内教員の推薦による候補は誰もいなかった。初めから結論の出ているシステムで、ただ「選挙」、「選考」の外面を取り繕うだけのシステムに、圧倒的多数の教員はそっぽを向いたということであろう。かろうじて10人程度(?)に満たない人々が、「学内候補」の推薦なるものに、「協力」しただけである。しかし、推薦人の数が当局制定の規準からしても少なすぎて、経営サイドで「候補者」に「推薦」したというのが実態である。

 どちらになるにしろ、外部支配が貫徹するシステムとなっており、一切、内部の教職員の意向は問われることのないシステム(学内教職員の意向は、経営・管理に都合のいいものだけが「つまみ食い」されるシステム)である。学長の決定(大学管理職の選任)における大学の自治破壊の程度は、完璧、ということであろう。

 それが、「改革」過程で、大学院のあり方や学部コースのあり方を決めた(現状では、今後も)。そこで、大学院担当のあり方に関しても、大きな問題を残し、大学院手当て問題で噴出した、というところであろう。

 そうした制度の中であれ、下からの教職員の合理的で民主的な意見がまったくくみ上げられない、その可能性がまったくない、というわけではない。(当局は運営の円滑化のためにも、さまざまの権限を持っていることからも、「協力者」を通じて、下からの意見をくみ上げる姿勢は持っているであろう。)下からのぎりぎりの、正当な合理的意見、現場の意見をくみ上げない組織など、崩壊するであろう。

 代議員会などにも、一定の自治的機能は残っている。しかし、現行システムの中では、きわめて限界のあるものとなっている。

 その意味で、現在の状況下で、教員組合は、自治的自主的な現場の意見を結集し、公然と表明し、一部なりとも実現していく学内構成員の組織として、かつての教授会機能をも担うべき組織として、重要性を増している、といえるであろう。

 現行の官僚主義的システムの必然的帰結として、大学院手当て問題などもまったく事務的に処理して、教員管理職さえ知らない(・・・とされる)うちに、7月以降の削減、といった事態が発生した。それについても、教員組合は抗議しており、今後交渉を行うが、22日には、「任期制更新問題」での第一回団交が開かれる。

 教員組合は、そもそも、全員任期制などということに原則的原理的に反対している。大学教員任期制法に合致した限定的なものを適切な形で、大学自治原則のうえで、導入することに反対した教員はいない。全国の国公私立大学でも、「全員任期制」を強行している(あくまでも掲げている)のは、本学と首都大、国際教養大くらいのものであろう。今回の問題は、法人化への移行期に、さまざまの不利益を恐れ、あるいは一部は約束された有利さに惹かれ、制度の不明確なままに「任期制同意書」にサインしてしまった教員に関する問題である。

 制度が不明確なため、合意が成立していないたくさんの問題があるので、そこをきっちりしていかなければ、教員は奴隷化されてしまう。表面上の言葉の甘さ(実際の意味からすれば、愚弄ともとれるが)でやり過ごすと、更新回数制限との関係で重大な不利益が発生する可能性があるからである。

 大学自治回復(憲法的保障の実現、憲法の活性化・実質化)の見地から、当局の態度を質し、大学の自由で民主的な活性化の一歩としたい。


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