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2007年8月23日

琉大の処分取り消し評価、学問の自由と自治が重要

■沖縄タイムス[論壇]、2007/08/21

 琉球大学はこのたび、米軍統治下の一九五六(昭和三十一)年に起きた、島ぐるみ闘争に参加した学生のうち七人に対してなした処分を取り消すとともに処分を受けた人たちに対し陳謝した。当時琉大学生会の土地問題対策委員であり、この闘争に積極的に参加した者の一人として感無量なるものがある。周知のようにこの闘争は、米国のプライス勧告に基づく軍用地料の一括払いと新規土地接収に反対する沖縄住民が思想、信条を超えて団結して行ったものである。
 当時、琉大学生会も全学生が一致団結して住民の先頭に立ってこの闘争に加わることを決め、七月二十八日、那覇高校校庭で開催された四原則貫徹住民大会に参加するため首里の琉大キャンパスから会場までデモ行進を行った。このデモは当時の米民政府布令に従い、事前に警察署長の許可を得て行ったもので、交通規制に当たった警察官も車両の交通を規制してデモ隊を優先的に通過させた。
 国際通りでは大勢の人たちが沿道に出てデモ隊に拍手や声援を送り、中には飲み物を提供する人もいた。大会は参加者十五万人ともいわれ、その熱気は会場の内外を覆い尽くした。事の重大さに気付いた米民政府は、この闘争を弾圧するため、琉大学生会を標的にし、大学当局に対し、学生に反米的行動があったとしてその責任者の処分を求めた。当時大学の意思決定機関であった理事会での審議の内容、処分決定に至る経緯および処分理由などについては現存する学籍簿の記載以外に公式記録は存在しないため、正確にこれを把握することはできないが、安里学長は当初処分に反対の立場を表明していた。ところが米民政府の処分に応じなければ援助資金の打ち切りや大学の廃止もやむを得ないとする強硬な態度に屈し、結局大学存続のため学生を処分せざるを得なかったことがうかがえる。
 当時新聞紙上に掲載された理事長および学長声明を見ても処分理由は明らかではなく、また学生らの行動が学籍簿記載の通りであったとしてもこのことが、除籍処分に値するとは到底認められない。大学当局は大学の存続のため、心ならずも学生の処分をしたが後に本土の大学に要請して自ら処分した学生の転学手続きを行っている。当時副学長であった仲宗根政善氏が処分学生の転学依頼のために京都の大学に赴いた際に詠まれた次の歌が大学当局者の悲痛な思いを表している。
〈自らの切りし首をささげつつ 雪の降る中御所を過ぎ行く〉(『蚊帳のホタル』)
 大学の存続のためとはいえ時の権力に屈し、心ならずも処分をせざるを得なかった学長はじめ大学首脳の苦悩と屈辱は察するにあまりある。また何ら責任もないのにもかかわらず除籍という重い処分を受け、大学を去って行った学友の無念を思うとき、いまだに胸の痛みを禁じ得ない。今般これまで闇に葬り去られようとしていた過去の真実を明らかにし、その反省に立って是正措置を講じられた岩政輝男学長の英断に対し深甚なる敬意を表するとともに長年にわたる労苦に耐えた学友の皆さまにあらためてねぎらいの意を表したい。
 琉球大学がこの貴重な過去の教訓を糧に、今後学問の自由と大学の自治を重んずる素晴らしい大学に発展することを心からお祈りする。(比嘉正幸琉球大学同窓会顧問・弁護士、76歳)

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