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2007年9月25日

立命館・長田理事長の「高等教育の費用負担と制度改革」を読んで

京滋私大教連
 ∟●機関紙(第125号)2007. 9. 25

長田理事長の「高等教育の費用負担と制度改革」を読んで

重本直利(大学評価学会事務局長)

 長田稿の基本的な考え方は,わが国の経済が衰退し,国際社会への影響力に陰りが見えるという認識を示した上で,「国家的活力を取り戻す」ことにある。このために、氏は「私立大学の実績と多年にわたって積み重ねてきた教育経験を総動員して、活力にあふれた個性的、創造的人材を育み、新しい多様な価値を創り出し、わが国を真の意味で再生させねばならない」というのである。そして、手始めに「国立」(国立大学法人)と「私立」(学校法人)を「隔てる壁を撤去」し、撤去後は、三つのカテゴリー(研究専念大学院〈五.六校〉、学部・大学院大学、学部教育重点大学)に大学を「種別化」すべきと提言するのである。それは一学校法人理事長からの「経済活力再生国家戦略としての高等教育論」である。明らかに、国家、経済の視点に偏向した考え方である。ここから出された氏の大学「種別化」の具体的提案は論外(「論ずるだけの価値のないこと」、「もってのほか」)である。以下五点の問題点を指摘する。
 第一は、氏の社会的要請は、産業技術水準などの経済界の要請に向けての高等教育の「効率化」と「高度化」となっている。それは多様・多元な社会的要請の中身からみれば著しい偏向である。社会的要請には経済以外にも教育、福祉、労働、文化、地域、社会的弱者などの側面がある。さらに「ユネスコ二一世紀高等教育世界宣言」は「貧困、暴力、飢餓、環境汚染、病気」などの多様な諸問題を解決し「暴力や搾取のない社会」の創造を高等教育の目的としている。高等教育への社会的要請は多様・多元である。
 第二は、いわゆる大学の「大衆化」は世界的な現象である。氏は四年制大学での進学率が日本で四〇%と強調しているが、OECD各国平均で五○%余、いくつかの国ではすでに七○%を超えている。短期大学・専修学校を入れて七〇%を超えるという日本的現状を、氏の言うような「誇るべき現象」とすることはできない。そこでは、高学費の故に、経済的な困難をかかえ勉学を大きく妨げられ、あるいはあきらめざるをえない多くの人々がいる。その現実を理事長は直視しなければならない。高学費の日本的現実は、一八歳以上となっても自律・自立して学べる人は皆無という異常な状況を生み出している。学費が払えなければ学べない現実は一体何を意味しているのか。この日本の高学費は、四年制大学の進学率を四割程度で足踏みをさせ、「自らの意思で誰でもいつでも大学教育を受けることができる」という「大学の大衆化」を大きく妨げている。これは「恥ずべき現象」である。
 第三に、氏は「学費は、国立法人、私立大学法人の設置形態を越えて自由裁量」と提言している。日本政府は、国際人権A規約第一三条二項cの「無償化条項」の留保について、「非進学者との負担の公平の見地から、当該教育を受ける学生等に対して適正な負担を求めるという方針をとっている」と国連の当該委員会に回答したが、氏はこれをはるかに乗り越えた地平に踏み出している。氏の主張は「受益者負担」原則の徹底を意味する。これは、「教育についてのすべての者の権利を認める」と定める国際人権A規約第一三条一項等の人権条項に明らかに違反し、さらには本条約の趣旨を踏みにじる提言である。
 第四に、氏の事実認識の誤りを二つ指摘する。まず、「国立大学は国家戦略を支える人材育成を目的としており」という認識は、「学問の自由」、「大学の自治」を理念とし国家権力とも一線を画した国立大学のこれまでの歴史の側面をふまえない一面的・偏向的な認識である。また、「受益者負担」原則は、氏が述べるように「私立大学」のみに適用されているのではない。現在,国立大学法人の授業料が約五三万円、初年度納付金八○万円余であることを考えると、「受益者負担」原則は現在の国立大学法人にも適用されている。「まず負担ありき」の現実からは、「負担できる者のみが受益者となれる(= 負担者受益)」原則であるといった方が適切であろう。明らかに教育における人権侵害である。
 第五に、氏の大学人としての根本的な資方も全く読み取ることは出来ない。長田稿には少なくとも、国立大学法人化の問題点も、国際人権A規約第一三条の「無償化条項」も「ユネスコ二一世紀高等教育世界宣言」の基本的な考え方も全く読みとることは出来ない。


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