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2007年9月25日

横浜市立大、「全員任期制」 任期更新をめぐる労使の対立点

大学改革日誌
 ∟●最新日誌(9月24日)

9月24日 任期更新をめぐる労使の対立点は、つぎのようなものである。

 第一の根本的対立点は、法人サイドは、「全員」任期制を掲げていることであり、他方、教員組合は、公務員時代の身分継承の法理からしても、また、大学の自治(学問の自由の制度的保障)の見地からも、全員の有期契約はありえない、大学教員任期法に基づく限定的な任期付ポストの設定がありうるだけだ、との立場である。

 その立場からすれば、法人化後に採用され、募集時点で「任期制」を承諾していた教員についても、一定の条件を積めば、テニュア(定年までの雇用保障)を与えることを制度化すべきだということになる。法人サイドは、任期制が、大学の活性化に繋がるものとして、「全員」任期制を主張しているが、その合理的説明はない。法人サイドが任期付教員の解雇を行う自由のカードを一枚もったというところであり、任期をつけた教員の教育研究の活性化が、公務員時代の身分を継承している教員の活性度とどのようにちがうかの実証も検証も、今のところ示されていない。

 第二の対立点は、法人化に際して、「任期制に同意」した元公務員身分の教員と、法人化後に採用されて「任期制」を承知の上で職についた教員に関して、任期に関する契約(雇用契約)が結ばれているとする法人サイドと、それは明文化された形では存在せず、明文化された雇用契約でもって初めて任期に関する雇用が成立するとの立場(弱い立場・不利な立場)を擁護する教員組合のスタンスである。事実において、法人とそれぞれの任期付教員との間に、現在示されているような雇用契約文書は存在しない。(現在示されている雇用契約書なるものが、いつの時点で、誰に対して出されているのか、明確な説明はない。)今回初めて、その文書が教員組合に提示され、周知のものとなった。

 これまで、2005年4月の法人化発足時点では任期に同意した教員に関して、明文化された雇用契約のない任期であった、ということは事実である。そのことの重みをどのように考えるか、これが、法人サイドと教員組合とが対立するところである。

 この対立点が深刻な問題となるのは、助手、助教、准教授などであり、それぞれの最長任期延長期間が限定されているからである。

 (教授は、「考え方」に示された最低限の条件をクリアすれば、再任の回数制限がないので定年までの身分・雇用は確保できる。しかし、任期制とは、その期間内に「最低限の条件をクリアすればいい」ということを意味するのか?それは大学の教育研究の活性化と整合するのか、という根本問題はある。無限定の、「全員」任期制などというものが、いかに、教育研究の活性化とは矛盾するかを典型的に示す事例といえよう。)

 今回、当局が示した理事長見解(昨年末に新給与体系の提案に際して、その一部に付随的に盛り込まれていた副理事長見解を補足した3月時点での理事長見解)は、再任基準をめぐって不安を抱える教員に対して、再任における最低限クリアすべき条件を示そうとするものであり、ある意味では、再任審査の許容度を広く設定したものである。

 しかし、そのことは、今回、雇用契約に署名すれば、その署名の事実を持って、任期雇用の開始が2005年4月時点であったことを認めることとされ、この2年半の雇用契約書なしの宙ぶらりんの状態が、更新限度の年数(最長任期期間)関しては、一方的に法人サイドに有利に解釈されることになるのではないか、という問題がある。助手、助教、准教授にとって、3年間、雇用保障が延びるか短縮するかは、巨大な処遇の利益不利益、安定・不安定に関わる。

 法人サイドは、あきらかに、2005年4月の法人化開始とともに任期が開始したと解釈して、今回の再任手続きに入っているが、この間の、雇用契約書を個々人の教員と結ばなかったという問題点に関しては、その責任を逃れようとしている。(再任教員に対して提示しようとしている雇用契約書が今回初めて示されていることからしても、2005年時点にそのような契約書が存在しなかったことは厳然たる事実である)。

 助手、助教・准教授という身分的に不利な教員に対する配慮がないかぎり、若手教員のやる気、本学への帰属意識は希薄なままにとどまり、それは教育の活性化や充実には結びつかないだろう。とくに、学部の構成からして、教授数、准教授数等において厳しい制約がある医学部の場合、その問題が深刻となろう。

 第三の対立点は、4月の昇任が「経営的観点」から、拒否されたことにみられる人事評価のあり方の問題が、任期更新の審査でも、制度的に内在しているということである。昇任においては客観的基準が提示されているが、その運用が、一般教員の信頼を得ていない。何はともあれ「任期制に同意」し、教育研究の実績は積まなくても法人の意向に沿った学内事務的なこと(管理職業務)をやれば教授になれる、といった風評が流れるのは、そのあたりに問題があるからであろう。

 昇任問題と同じように、いくら「最低限の条件」を、法人が再任の条件として示していても、いざ審査の段階となると、「経営的観点」を理由に、再任を拒否することができる状態となっている。まさに、人事こそは、大学自治(学問の自由)の根幹に関わるものであり、そこでの教員の安全(自治)が確保されていない問題である。

 法人サイドの今回の再任手続きに関する文書では、今回のやり方が「教員評価制度の未確立」な段階での過渡的・臨時的な措置であることが文章化されて、示されている。教員評価制度が確立すれば、別の再任基準・別の再任手続き・別の再任審査機関等が適用されることになる。したがって、教員評価制度が未確立な段階(「考え方」の審査に当たっての基準や運用、その組織など)での「再任審査」が、業績の形式面だけを審査するものとならざるを得ないことを認めているといえよう。ただ、当局がそのことを、該当教員に分かるように説明しているわけではない。当該教員が不安に駆られているとしても、当然である。

 第四の対立点は、一見すれば、再任とは関係がないような問題、しかし、再任問題と深く関わる問題としての、昇任審査基準、その適用、判断主体(機関)の問題である。当面の再任は、「最低限の条件」でクリアさせておいて、昇任基準に関しては厳しく適用すれば(基準自体が厳しくなっている、あるいは、経営的観点を持ち出せば)、昇任不可能で、任期切れ、解雇に追い込まれる。この問題である。

 今回の「再任審査」の形式性やハードルの「低さ」にだけ注意を向けようとする態度が、法人サイドの発言に見られるが、それは、根本的に重要な問題を隠している、見ようとしない、態度といわなければならない。


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