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2008年2月29日

北陸大学不当労働行為問題、薬学部3教員授業復帰 中労委で和解成立

北陸大学教職員組合
 ∟●組合ニュース268号(2008.2.22発行)

薬学部3教員授業復帰 中労委で和解成立

 2月12日、教職員組合は1月11日に交わされた確認書に従って6年制薬学部授業担当外しの件で理事会と和解調印した。当日は、審査委員長の下で「将来のためのステップ」(審査委員長)として約30分間新旧学長と当事者3教員の5者面談が行われ、その約10分後に、中労委審査委員会室で、教職員組合と大学理事会それぞれの代理人が用意されていた中労委「和解勧告書」(後掲)を受諾する旨の押印をし、最後に審査委員長が和解を認定した。

 和解の内容は、1月11日に合意した5項目である(和解勧告書)。和解の核心は、「大学は、佐倉及び荒川の両名について、6年制薬学部担当とし、田端を同学部兼担とする」ことである。そこに至るまでに教務上の手続きなど(「所定の手続き」)を経ることになるが、「平成21年4月までの可及的速やかな時期に6年制薬学部の授業担当とする」とされた。佐倉、荒川両組合員の大学院担当については、「平成20年度において4年制薬学部大学院担当とする」ことが取り決められた。これによって、大学院については今春から、6年制薬学部については遅くとも来春までに授業担当が実現することとなった。

 組合側は、この勝利内容を得るために、石川県労働委員会で認定された「不当労働行為」に関して直接的な言及がないことに異議を唱えなかった。これは、中労委審査委員(3名で構成)の強い勧めもあり、当事者の将来を考え、実質勝利にとどめることにしたからである。この和解により、石川県労働委員会の救済命令は法律上失効する。とは言え、理事会が同委員会より不当労働行為を厳しく認定され、救済命令が発令された、という事実は消えることはない。

 和解が成立した以上、当事者双方は、約束の期日までにそれぞれの履行義務を果たさなければならない。

和解の内容

 和解勧告書は、全体の構成を見ると、第1項は精神的に和解を包括する「前文」で、真の和解はここに盛られている精神の理解如何にかかっている。ここには社会の期待も込められていると考えるべきである。第2項以下は、一つ一つの独立した条項である。条項毎に当事者双方が履行しなければならないことが記載されている。

 第1項は、既に「組合ニュース」第265号で、その意味の概略を示したので、参照されたい。

 第2項は、アンケートに対する「回答」に関するものである。アンケートとは平成16年6月の「国試対策と留年生対策」、平成17年3月の6年制薬学部配置希望調査にともなう「6年制薬学部教育への抱負」である。これらアンケートへの記載内容を理事会は問題視したが、文字通りアンケートであり、これを持って個人評価の根拠とすることは字義からの作為的逸脱であり、アンフェアである。そのことは石川県労委も認定したところであった。同県労委は、6年制教員配置基準を明示していなかったと認定した上で、「恣意的裁量を許す基準に基づき、6年制担当教員の適否を適正に判断することはできない」、したがって、事前に利用目的を明示しなかったアンケートの回答により、不適任とすることは正当な理由にならない、と判断していた(「命令書」25~27ページ)。今回和解の条件として、理事会はそれを再度尋ねたいということであった。組合はアンケートの回答内容が6年制薬学部復帰の条件でないことを確認し、事後に問題を生じないように中労委の仲介という条件付きで、和解のために再回答した。回答の内容自体は、正当かつ良識的な見解以外特別なことはありえない。

 第3項は、既述の通り和解の核心である。この条項は、和解のために大学(理事会)が約束した義務である。理事会は3名を6年制薬学部担当または兼担としなければならない。また2名の組合員を平成20年度において4年制薬学部大学院の担当としなければならない。

 第4項は、学部授業担当の義務履行時期の明示である。大学(理事会)は、可及的速やかに3名の組合員を6年制薬学部の授業担当としなければならないことが明記された。ここで重要なことは、最終期限を平成21年4月までとしつつ、できるだけ早く授業に復帰させることを約束している点である。なお、「実現可能な段階」は担当できる授業枠が生じた段階を意味し、「所定の手続」は大学において一般的常識的に行なわれている教務上の手続を示すものであることが、和解勧告案の作成段階において明確にされている。この条項により、授業復帰は遅くとも平成21年度までと明示されたのである。

 このように、第3項及び第4項は、今回の救済申立の核心である。組合は、不当労働行為意思によってなされた3名の6年制薬学部授業担当外しの撤回を求めてきた。中労委では和解によって不当労働行為の認定には至らなかったが、3教員の担当回復は約束された。組合がこの和解を実質勝利と判断した理由である。

 第5項は、組合側の譲歩であり、組合側が履行しなければならない義務である。しかし、和解条項の第4項と第5項は関連づけられていない。したがって、第5項は義務ではあるが、授業復帰の前提条件ではない(論文提出後に授業担当を決めるものではない)。

 この条項のポイントは、研究業績に関する、他の教員の場合と違う特別扱いとなっていることである。当該2教員にのみに特別な義務を課すことは、それ自体差別であり、組合が県労委へ救済を申し立てた趣旨からも、本来、到底容認し難いことである。しかし、中労委で再度救済命令を勝ち取ったとしても、さらに行政訴訟などで紛争が長引きそうなこと、このことによって3人の当事者本人と大学(理事会ではない!)が回復できないダメージを被るのは容易に予見できることなどを深慮して、大局的な見地から耐え忍ぶことを選択した。組合にとっては、ましてや本人らにとっては、苦渋の選択であった。審査委員長自身、前回1月11日の審問で、「このような形の論文作成は本意ではない」と遺憾の意を表明しつつも、その上であえて「忍ぶこと」の意義を説いたところであり、耐え難きを耐えてこの第5項目を受け入れる決断をした。

 しかし、和解成立に至ったことにより、石川県労委の判断が覆ったということではない、大学理事会はその判断と命令の重みを決して忘れてならない。教職員の努力もさることながら、理事会の反省なくして北陸大学の未来はない。・・・・


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