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2008年2月12日

横浜市立大学、学長辞任の意味するもの

大学改革日誌
 ∟●最新日誌(2月9日)

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横浜市立大学の未来を考える
『カメリア通信』第52号

2008年2月8日(不定期刊メールマガジン)
Camellia News No.52, by the Committee for Concerned YCU Scholars
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学長辞任の意味するもの

国際総合科学部
一楽重雄

 去る1月17日に私は大学で学長辞任のニュースを耳にした。まったく予想外のことではあったが、正直なところ、この閉塞した市大の現状が少しでも変わるならこれは歓迎すべき事態だと思った。

 しかしながら、まさに任期半ばであり、「これからの学部の内容を今度は外部ではなく、教員自身が考えてほしい、この大学のメジャーをどうするか、そのメジャーに合わせて教員を集める、その逆ではないのだ」と、ついこのあいだまで熱を込めて言っていたのは誰だったのか。このように想いをめぐらしていると、つい先日の安倍元首相の辞任劇が思い出された。そういえば似ている。

 両者ともに決断が遅い。学長は、昨年の秋になって「教養の理念(プラクティカル・リベラル・アーツ)」についてペーパーを書いた。そして、教員との懇談会をコースごとに開いた。どちらも確かによいことではある。しかし、教養の理念は3年前に言うべきことだったし、教員との懇談も最初の任期の一年間にすべきことであった。いくら遅くてもしないよりはいいと私は建設的に考え、学長と数学グループとも懇談の機会も持った。そこでは、「プロジェクトRは外部であった。それではだめで、教員が学部の内容を考えてほしい、内部で考えなければいけない」と言われたのであった。しかしながら、そういわれて真剣に学部のことを考えようとなるはずもない。なぜなら、今の市大では「真剣に考えれば、それだけ考え損」になるだけだからである。つまり、大学の自治をすべて取り上げた大学改革のどこも変えずに、「単位認定の権限のほかには何も決定権は渡さない、もちろん人事権も渡さない、カリキュラムの編成権も渡さない。でも教員が考えて欲しい」とは、いくらなんでも虫がよすぎる。

 実際、誰一人として懇談会に参加しなかったコースもあったと聞く。学長がテンプル大学に移る理由は明確ではない。いずれにしろ、4年の任期の2年終わった段階での辞任とは、「無責任」以外の何物でもなかろう。体を壊したとか、4年かけて行う改革があまりにうまく行って2年でめどがついてしまった、とでも言うのなら別であるが、実際は、さきほど述べたような状態である。そして何よりも大学案内や、京浜急行の吊り広告に、学長の顔写真が大きく大きく出ているのである。

 本来、市大では教員管理職の任命権はすべて学長にある。学長は、強大な権限を持っている。にもかかわらず、我々から見て学長の意向によると思われる人事は、昨年4月の比較的若い教員を副学長に抜擢したもののみであった。すべて遅すぎた。そのあげくに、学長職そのものを投げ出したのである。

 本来、「大学の自治」は憲法に規定された「学問の自由」を担保するための具体策であり、学校教育法第59条には、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない」と規定され、教授会自治が謳われている。しかし、法文には「教授会自治」とか「大学の自治」という文言が見られないため、横浜市の一部の政治家や官僚は、まったくこれを無視しているのである。

 憲法上の学問の自由の観点とは別に、「教授会の自治」なくしては大学の運営自体が困難である、ということが今回の学長辞任劇で明白になった、と私は思う。オールマイティのはずの学長自身が、尻尾をまいて逃げ出したのはなぜか。それは、「大学の自治をまったく否定したところでは、大学運営さえままならない」ということなのである。

 教授会の自治や教員による学長選挙にもいくらかの問題点はあっただろう。しかし、現在の市大の方式のどこにそれより優れた点があるのだろうか。伝統ある私立大学と違い、「にわか経営者」や「雇われ学長」が自分のことだけを考えてことを運ぶとするならば、もはや市大に未来はない。

 たとえ、少しずつではあっても本来の大学の姿を取り戻すことが、どの立場の人にとっても、今必要なことなのではないか。「公立大学初の・・・」は、もうたくさんである。何も代わり映えしなくてもいい、通常の責任感と常識を持ち合わせた学長が選ばれることを切に期待する。

 当局は、教員に対して辞職にあたっては6ヶ月前に申し出るようにと就業規則を定めた。「それを守らない場合には、契約違反として損害賠償の請求も考えられます。しかし、そういうことはしません。」と説明してきた。教員には6ヶ月前にと言っておきながら、任期2年も残しての突然の辞職、これこそ損害賠償の対象ではないだろうか。本人の希望だからやむをえないで済むものなのだろうか。いったい、契約はどうなっていたのか、疑問の残るところである。

 もう一点見落とせないことがある。それは、学長が学生に対して辞任についての説明をまったくしていないことである。学生に対して、きちんと説明をしないと「学長は市大のことより、自分のキャリア形成を重視した」と思われても仕方ないのではないか。


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