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2008年3月28日

横浜市立大学、学位審査謝礼等問題は何を物語るか-市大の真の改革を望む-

大学改革日誌
 ∟●最新日誌(3月26日(4))

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横浜市立大学の未来を考える
『カメリア通信』第56号 転送歓迎
2008年3月26日(不定期刊メールマガジン)
Camellia News No.56, by the Committee for Concerned YCU Scholars
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学位審査謝礼等問題は何を物語るか
―市大の真の改革を望む―

国際総合科学部
一楽重雄

 現在、マスコミをにぎわしている医学部長の学位謝礼金問題を見ていて、学内者として実にもどかしく悲しい想いがする。謝礼金問題自身もさることながら、その処理の不手際さは目に余るものがある。最近には、副学長の長女の学位審査についても疑問が出てきた。長女の学位審査の主査を自分がするというのは世の中ではまったく「非常識」だが、恐らく医学部では「常識」だったのだろう。なぜなら、自分が主査になると言ってなれるわけではないからである。私の知る限りでは、主査副査の決定は研究科委員会(大学院の教授会)においての審議事項だからである。

 これらの問題の元を質せば市大の「似非改革」にある。このところ「改革」という名目さえあれば中味を議論することなく進められ、反対する人たちは「抵抗勢力」とレッテルが貼られてしまう。市大の「改革」は、矢吹先生が早い段階で喝破されたように現実には改革どころか「市大潰し」であった。実際、私の所属する数理科学科はまったく専攻を廃止され、文字通り「潰されて」しまった。それも「前年の志願者倍率はもっとも高かった学科が」である。合理性のない結論であったが、「改革」が、新聞報道を期待し「日本初」を狙うだけの市長の野望によってなされたものでしかなかったのである。

 今回の問題を考える視点はいくつかある。

 まず、第一に、このような時代遅れの問題が「改革」以後も持ち越されていたのはなぜか。世間の「常識」は市大医学部の「非常識」のままにされたのはなぜであったか。それは繰り返しになるが、そもそも大学の問題点をきちんと検討して、その解決策として市大が「改革」されたものではなく、単に市長のパフォーマンスで「改革」されたからである。ある程度政治的な力を持っていた医学部は、「改革」の計画段階で実質的に改革の対象からはずされていた。他の3学部はひとつに統合されてしまい、教授会がまったく機能しなくなった。医学部ではそれと違って、4年制になった看護学科をも併合するような形で大きくなり、医学部の教授会は力を残した。大学改革では「講座制廃止」のはずだったが、実際には何も変わってはいない。教授が絶対的権威になってしまう講座制の問題点が何ひとつ解決されていないということが、今回の事件では明白になった。横浜市は、「改革」の題目として医学部については他に「医学部附属病院」を「大学付属病院」にすることを挙げた。これは始めからどちらでもよいことであって、実際上大きな違いは出るはずもない。

 戦後60年以上経過した今になっても市大医学部は「民主化」の必要性があるのである。

 この問題が示す第2の点は、これまでにも何回か指摘してきたが「教授会の自治」をまったく排除してしまっては、大学の運営自身がうまく立ち行かないということである。今回の事件によって、それが学外の人々にも分かる形で顕在化したと思う。

 大学当局のこの問題に対する不手際さは相当である。嫌疑をかけられている教授自身が、学長候補所信表明という場違いのところで、コンプライアンス委員会に対する不満、大学の自治の崩壊に対する告発を行い、それでやっと大学当局が動き始めた。しかも、動き始めてもコンプライアンス委員会の「人選を間違えた」とか決定的な不手際を続けている。新聞にも「歯切れの悪い説明に終始した」などと書かれ、文部科学省には連日呼び出されて、きちんとした再発防止策を出せなどと言われる始末である。これまでも日常業務については、小さなトラブルや予定の遅れは日常茶飯事であったが、学生に迷惑をかけないようにということで現場の教職員が一生懸命努力するから、それらが大きな問題にならなかっただけなのである。

 一般の会社や役所のように日常的な業務自身が、上下関係の中で処理されるような責任体制のところと独立した教員が各人の責任で授業をするのが基本である大学の体制とでは、運営が同じようにできないのは自明である。このことが「大学改革」を進めた横浜市にはまったく分っていなかった。

 これをよく示すのが、今回のコンプライアンス推進委員会の改組である。当初、7人の管理職プラス弁護士の委員会ではことが処理できず、急遽、それも問題が当事者自身の告発で明るみに出てから、4人の外部委員を主とする体制に変えたということによってよくわかる。大学の教員管理職と一般の職場の管理職では意味がまったく違う。つまり、教員管理職の場合には、通常の意味での部下が一人もいないのである。しかも、本来業務である研究教育は続けている。だから、このような委員会を管理職で構成しても、教員管理職は忙しくて何もできない。事務職員の管理職の場合には、長が委員であればその部下が実際の仕事をする。だから、会社や役所では、管理職ばかりの委員会も意味があるが、大学ではそうではないのである。

 この違いも分からないで管理職に権限を集中させているのが現在の市大である。人事委員会も当初のコンプライアンス委員会も管理職ばかりで構成している。いわば、理事長・学長独裁体制とでも言うべきなのが市大の組織である。しかも、そのトップの理事長は非常勤ときているのだから、ちょっと大変な問題になると文部科学省に怒られてばかりという無様を見せることになる。さらに教員管理職は学長の任命である。その学長が公立大学初の外国人学長で「雇われ学長」であるから、市大にどんな人がいるかもよく分かっていない。しかも、任期制に同意しない人は管理職にしないなどとしているから、人材が払底する。もともと管理職に向いていない人が、かなりの大学幹部になっていたりする。

 今必要なことは、教授会自治の一定の回復とその欠点を補う制度の創設である。学部ごとの教授会自治だけでは、今回のような問題は解決が難しいのは確かであろう。したがって、各学部の独立した教授会の上に何らかの組織を作るとか学長権限を以前より強化して学長室を作るというようなことは考えられる。その一方、今回のような問題では教授会自身が主体性を持って解決を図るのでなければ、調査さえ満足にできないだろう。

 外部委員を中心とした4人の委員会、それも他大学の学長、市役所の局長、そして弁護士が委員の委員会で果たして十分な調査ができるとも思えなかったが、ちょうど、今日結果が新聞に掲載された。案の状、「一部に現金の授受があった」ことだけを認めただけの結論である。通り一遍な結論であることは想像以上であった。外部委員を含む別な委員会を立ち上げてそこで十分な調査をするようにも求めているとのことだが、これではコンプライアンス委員会の役割はいったい何なのか疑問である。

 この調子では、これから設置される委員会でも、実態が究明され、問題の解決に向けて医学部の改革へ進むという道筋にはなりそうにない。「ともかく、形をつけて市会から追求されたりしないようにすること、それさえできればそれでいい」という横浜市のご都合主義でことが進むのではないだろうか。

 独立行政法人になって、教員だけでなく事務職員も法人固有職員の採用を始めた。横浜市からの出向者ばかりではなく、大学のことを自分のことと考えて働く人は必要であるから、それは当然であろう。ところが固有職員の採用は、教務や入試関係ばかりであり、大学の予算や計画に関わる部門は依然として横浜市の出向者が占めている。しかも、先日の学長選考を見れば分かるように、実は市が大学をリモートコントロールしている。

 大学の自治を持ち出すまでもなく大学の運営をスムーズにするためだけにも、大学は独立行政法人らしく独立し、責任体制をきちんとすることが必要である。今回の問題の処理がきちんとできなければ、理事長を初めとして大学幹部は責任を明確にすべきである。そして、本当に大学の経営ができるひとが固有職員として大学を切り盛りしてくれなくては困る。間違っても、役人の天下り先にしてはいけない。これについては、市会がしっかりと監視する必要がある。

 現在の市大は「大学ではない」として市大を去った人、あるいはこれから去る人もいる。まったくそのとおりだと思う。

 市大の「改革」を根本から見直すべき時期だと思う。本当の「改革」とは何か、この機会に元に戻って考える必要がある。それをしなければ、「市大が市民にとって存在価値があるもの」になるという改革の目的は決して実現されないだろう。

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編集発行人: 矢吹晋(元教員) 配信ご希望の方は、
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