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2008年3月31日

横浜市大の学位審査謝礼金徴収問題、「小悪を懲らしめ、巨悪を逃す」ことにならないか

横浜市議会議員 大田正孝氏ホームページ
 ∟●横浜市大の学位審査謝礼金徴収について
学問の自由と大学の自治の危機問題
 ∟●横浜市大の学位審査謝礼金徴収について 

横浜市大の学位審査謝礼金徴収について


 最高学府の頂上部博士課程でこのような前時代的陋習が未だに残っていることに驚かざるをえない。横浜市大の評判はいよいよ地に堕ちたというべきか。思うに、市大の不祥事は医学部の専売特許である。こうしたことが起きるたびにわれわれは肩身の狭い思いをさせられるのだ。そうした者のひとりとして、今回はもはや怒りを飛び越しえ悲しみさえ感じる。もともと別大学のような扱いを受けてきたが、非難を受けるときだけは、世間から見ると横浜市大という同じ看板の下で平等となる。
 ここでは、なぜこうした非常識が起きたか、そして、どうしてそれが今の時点で暴露されたか、さらに、これは何をもたらすかの3点に限って私見を述べてみたい。

 横浜市大では数年来、「大学改革」が進行中であることは周知のとおりである。予め断っておくが、筆者はこの改革に賛成しているわけではない。その逆だ。この改革がまやかしで、事実上の市大潰しであると思っている。これについては後で述べることにしたい。
 医学部だけは、6年前に大学改革論議が始まった早い段階で外部(おそらく横浜医師会)からの圧力が加わったらしく、この改革から外れた。瀬戸キャンパスの商学部、国際文化学部、理学部の3学部10学科が国際総合科学部として1学部1学科に統合されてしまったのとは対照的に、福浦キャンパスの医学部は独立性を維持し、医学科と看護学科の2学科体制になった。ここではふれないが、看護は医学部に併合されるのに強く抵抗していた。
 しかも、医学部では講座制に基づく教授会が機能しつづけているのである。教授会が機能しているのはあたりまえのことのように思われるかもしれない。しかし、瀬戸では後述するように、これは機能していない。講座制に基づく医学部教授会というのはどのようなものか。ひと言でいえば、徒弟制度だといえようか。講座というのは生化学、細菌学、公衆衛生、法医学など基礎講座を指し、研究と教育を主務とする。医局というのは内科、外科、小児科など診療科を指し、研究・教育と同時に診療を主務とする。教授会は、各講座と各医局を代表する教授から構成され、それ以外の者(助教授、講師、助手など)はコミットできない。講座または医局を統轄する教授は当該の講座ないし医局のなかのあらゆる業務に関し絶対的な支配権を有する。テーマ設定(診療方針)、計画、準備、業務の割当など、万事が共同研究(診療)を前提にして教授の指揮下に行なわれる。個人的な研究(診療)というのはありえない話だ。そのほか教授会は人事権を一手掌握しており、各講座ないし医局のメンバーの採用・昇任・異動の権限をもつ。つまり、教授を頂点とするヒエラルキーが、医学部のすべての業務を支える基盤である。
 以前、市大病院の外科手術で患者を取り違えて手術してしまうというとんでもない事件が発生したことがある。この事件の裏に学閥間の対立と同時に医局の家父長的体質が絡んでいた。民主主義がなく意志疎通がうまくいかなかったのだ。エライ教授を前にしては医局の構成員、医療技術者、看護士にいたるまで、診療・手術について何もいえない緊張萎縮した態度で臨まねばならない。
 教授が定年などで医局(講座)を去って空きポストができると、「跡目相続」めぐる醜い争いとなるのが相場で、かつては学閥間(東大系、市大系、その他大系の3学閥)での争いだったが、市大閥が多数を占めた今では市大内の争いとなっている。教授が代わると、全員とまではいかないまでも、医局員の多数がごっそり入れ代わっていく。居残っていては甚だ居心地が悪いのだ。出入りの製薬会社までもが入れ代わる。こうした利権と嫉視反目の土壌があるゆえに、ライバル蹴落しのための暴露合戦にも力が籠もる。医学部内に最低限の民主主義が機能していれば、あるいは、外部の眼が行きとどいていれば、今度の学位審査の謝礼金問題は内部の力で解決された可能性は大であった。
 今度の問題は、全国の医学部がかかえる構造的体質がはしなくも露呈した事件である。医学の研究・教育に金がかかるのは周知のとおりだ。そこから宿命的な金権体質が育まれる。医学部と製薬資本とのつながりは公知の事実である。今から15年以上も前のことだが、市大医学部の放射線科の教授が機器購入に際し賄賂を受け取った事件が起きた。当時、類似事件が他大学でも頻発しており、厚生省が本格的調査に乗り出した。しかし、この調査は中途で放棄されてしまった。薬剤資本と医学部の癒着は摘発したら切りがなく、全国の大学が染まっていることが判明したからだ。結局、こうした不祥事を極力起こさないような精神や形ばかりのシステムだけを提案して、それで幕引きとなってしまった。
 いまの医学部が一つだけ今回の市大改革に同調した事柄がある。それは教員の全員任期制に同意したことである。この任期制は医学部内でも論議があったのは事実。それゆえに改革に反対するという動きも当初はたしかにあった。しかし、最終的に受け入れを認めたのは、教授会が機能しているかぎり、任期制の導入が直ちに教員の身分保全に影響を与えるものではないとの判断が働いたからだ。
 教授を除く医局員の人事異動は、前述したように日常茶飯事だった。ほとんどの医局員はもともと市大一箇所に留まっているのではなく、数年単位で系列病院を転々と渡り歩くのが慣わしだ。資金を貯めて開業医として独立するのがゴールである。かくて、任期制の導入により「身の危険」を感じたのは医局教授と基礎講座の教授のほうである。しかし、教授会が外部力によって侵されないかぎり、だれか同僚教授に5年毎の任期更新の時機がめぐってきたとき、相互に地位を保全しあう暗黙の合意さえできていれば、教授の身分を失うことはない。現に、そうした暗黙の合意はあるようだ。


 よく言われることだが、「医の常識は世の非常識」というアフォリズムがある。お金のない学生から謝礼金を取るという非常識に、金を取られる本人はもとより、部外者でも怒りを覚えない人のほうがどうかしている。事件告発は内部からの通報となっている。そうかもしれない。それはむしろ当然だろう。だが、大学当局はずいぶん前からこの非常識を察知していながら放置してきたこと、そして世論の怒りをバックに腰を上げたことである。筆者はここに何か政治的な意図を感じざるをえない。結論を先取りすれば、教授会潰しではないかということだ。
 そもそも、ここ数年来の市大改革の主眼は以下の諸点にあった。
(1) 大学の目的・使命を地域サービスにおくこと
(2) 研究よりも教育および診療に重点をおくこと
(3) 大学の管理機能権限を設置者(横浜市なかんずく市長)に集中すること
(4) できるだけ独立採算制を敷き、経費節減を計ること
(5) 大学の"独善性"の温床たる教授会を解体すること
(6) 全教員を任期制の下におき、競争と危機意識でもって操縦すること
 これは中田市長のイニシアティブによって推進されてきた。これらのもくろみは瀬戸キャンパスでは着々と実を結びつつあるが、福浦キャンパスでは前述の理由により、ほとんど骨抜きになっていた。ここで眼をしばらく瀬戸キャンパスに移したい。
 瀬戸キャンパスの教授会は有名無実の存在である。大学自治の要としての教授会というのは予算編成、研究、教学、人事、入学者選考について独立的権限をもっている。しかし、瀬戸の教授会はそのほとんどを奪われ、教学権の一部(末端業務)だけが残されている。教学権の中核たるカリキュラム編成権は、市長が任命する教育研究審議会が握っている。いま問題となっているのは「トイフル進級条件」である。つまり、トイフルなる外部試験に合格しないと2年生から3年生に進めないのも、教授会がなんら与り知らぬところで決まった条件だ。この進級条件のせいで毎年、百名ずつが累積的に留年していくのだ。
 市議会の質疑応答でしばしば市当局は「それは、独立性をもつ大学が決めたことであり、市としてはなんともはや...」と弁解する。これは詭弁であり、もっと正確に、「市長の選んだ大学当局者が決めたことである」と言うべきである。教授会はたしかに形だけは存在する。年1回だけ新学期の初めに1時間ほど開かれる教授会がそれだ。その場で1年間の大まかな方針が伝えられ、業務の実行運営の一切を代議員会に付託して閉会になる。学部長とコース長(ともに教育研究審議会が任免権をもつ)と、コース教員が選出する代議員を集めて月1回開かれる代議員会の会合では、当局の方針が説明されることはあってもほとんど決定はしない。わずかに決定権があることといえば、学生の単位認定の承認、不正試験の処罰、休退学申請の承認のみである。代議員会の下にコース会議(月例会、7コース)があるが、そこでは代議員会報告を受けるだけで何ら決定しない。権限がないからだ。
 学部長、コース長は管理職扱いであるが、彼らはすべて教育研究審議会が指名するのである。カリキュラム編成も、教員の採用と昇任も、その業務評価もそうである。つまり、ふつうの大学教授会がもつ教学権や人事権は市大瀬戸キャンパスでは否定されているのだ。教育研究審議会とは別に経営審議会があるが、両機関とも、そのメンバーの任免権をもつのは市長である。よって、大学のすべては市長によって管理されていることになる。
 そのうえに全教員に任期制がのしかかる。任期は博士号をもつか否かで5年と3年に分かれる。任期が来れば査定を受けて、留任か退任かが決まる。採用も昇任も任期に同意することを条件づけられている。その人がいかに優れた研究者、教育者であってもそうなのである。要するに、雇用条件がきわめて不安定な職場なのだ。昇任についていうと、コース長はまず教育研究審議会からの諮問に基づきコース内から昇任候補者を挙げる。当局が最終的に昇任させるか否かを決定する。
 ここで奇妙な出来事が生じた。コース長は教授候補者を推薦したが、その人が任期に同意しないために昇任を見送られ、結局、その人は有名国立大学の教授として転出してしまった。こうした例は過去に多数いるが、今春は2人だけいた。一方、研究業績が少ないためコース長が推薦しなかった人が(当局の特別推薦によって)教授に昇進させられたばかりか、その1年後には副学長にすら昇るという奇怪なことが起きた。
 およそどんな社会組織体であっても、3年ないし5年でクビになる処に進んで就職したがる、あるいは長居したがる人はいないだろう。この任期制を嫌って市大を脱出した人はいままで何人もいる。中でも痛ましいのは、研究者としての矜持を踏みにじられた思いに駆られ、行く先さえ定めず(就職先を確保せず)市大を辞めた人が何人もいることである。人はつねに瀬戸際に立たされることによって初めて奮い立つというのであれば、公務員にせよ会社員にせよ、すべてそうすればよいのではなかろうか。当局が範とするアメリカの大学ですら、任期更新一回で無任期採用になるようになっている。教授になってもなお任期制に従わねばならない大学とは、世界広しといえど、横浜市大と首都大学ぐらいなものだろう。これでは、育った順に巣立っていくのは避けられない。出て行く本人の幸せはともかく、研究教育を本務とする組織体としての大学は死を迎えることになる。このしわ寄せのいちばんの犠牲者は何も知らず入学してくる学生ではないだろうか。

 話を戻すことにしよう。今回の謝礼金徴収の暴露によって医学部の威信は地に堕ちた。かくて、講座制に根を張る、腐った教授会の体質が明るみに出た。かつて一講座=複数教授制にしようという話も出たことがあったが、結局は沙汰止みになってしまった。世論は怒っており、われわれ大学関係者が憤怒の嵐の矢面に立たされている。これによって、ほんとうはいちばんの責めを受けるべき市当局は免罪され、かえって順風満帆、医学部教授会を徹底的に解体し、市大の統制にいっそう精を出すのではないだろうか。穿った見方をすると、ひょっとしてこれは最初から仕組まれた罠ではなかっただろうか。不正暴露は単なる「悪の粛清」にとどまらない別の力学作用をもたらす。表現は悪いが、「小悪を懲らしめ、巨悪を逃す」ことにならないか――市大の将来を真に憂えるわれわれが心配するのはこのことである。


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