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2008年05月23日

横浜市立大学、専門家不在の「教員評価不服審査委員会」では公平な審査など望めない

大学改革日誌
 ∟●最新日誌(5月22日)

5月22日(2) 今回の教員評価システムの通知の中には、「教員評価の結果について」(通知)および、「平成19年度教員評価に係わる不服申立ての取り扱いについて」なる文書が入っている。「20年度に検討予定の苦情処理制度が整備されるまでの暫定的な取り扱い」だという。

 そして、「平成19年度教員評価不服申し立ての手続きに関する取扱」なる文書も入っている。

 直ちに気付く問題は、「教員評価不服審査委員会」の組織構成である。

 委員長が理事長(市長によって任命されたもの)、委員は、(1)事務局長の職にあるもの(・・・事実上、市長・市当局により任命されたもの)、(2)副学長の職にある者(・・・理事長および副理事長としての学長による任命なので、これまた市当局の意向下にあると考えられるもの)、(3)外部理事または学識経験者等(・・・これまた、誰が任命するかが明確に示されていないが、法人がどこかからつれてきた人物、その意味で、市当局の意向の下にある者)となっている。

教育研究の専門家はどこにいるのか?
教育研究の現場を知っているものがどこにいるのか?
どこに最先端の教育や研究で現場で苦闘している人がいるのか?
本学の学生と接触している人がどこにいるのか?
本学の院生と接触している人がどこにいるのか?
教育研究で日々精力をつぎ込んでいる人がどこにいるのか?
評価も不服審査も、素人・門外漢がやっては正当なもの・公平なものとならないのでは?
評価におけるピア・レヴュー原則を不服審査においても実現すべきではないか?
評価や不服審査において、大学の自治が大切にされなければならないのではないか?
裁判においてさえ、市民参加が求められる時勢ではないか? 大学教員集団における「市民」とは?

 教員組合は、管理職がはいる不服審査委員会では、そもそも公平な審査など望めない、ということで、不服審査委員会の構成を問題にしてきた。まさに、今回の委員会構成は、不服審査の必要条件・前提条件を満たしていない、一方的なものというべきであろう。

 これを見て、配布されたSDシートのあり方・記述項目とあわせるとき、教員の閉塞感・窒息感・意気粗相の思い(「これでは何を言ってもどうしようもない」との思い)が、つのるのではないか? 恐るべきシステムだと感じる。観念的か? 2007年度は、処遇への反映がない、ということで、不服も少ない(表面化しない)はず。

 さて、来年度は?
 若い人はやりきれない思いでいっぱいになるのでは? 定年まで残り3年未満となった私は、どうとでもなるとして、若い人が気の毒。思い過ごしか?
 過敏すぎるか? 今年度の評価にほとんどの人が満足して、不服申し立てをしないですむのなら、そんなに過敏になる必要はないか?

 95%の人が参加し、そこで「重圧感」のもとにあるのならば、われわれのようなものも同じ苦痛を味って、連帯して不服申し立ても積極的に行うべきか?

 昨年参加した人の実感、観念的でない意見を、どしどし組合に伝えておくべきでは?[1]

 そうした意見をバックにして、教員組合による不服審査委員会のあるべき姿の提案とその実現が、必要となろう。

 すでに寄せられた怒りの声によれば、たとえば、「対象は全教員」としながら、その除外者の第④のグループとして「年度末退職者等」とある。これはいったいどうしたことか?と。

 年度末退職者は、来年度処遇に関係ないので、その処遇との関係だけで「除外」する、参加しなくていい、ということかと。評価システムは、一方では大学の活性化といっているではないか、活性化が目的ならば、年度末退職者が目標を立て、それを関心ある人々が参考にし、刺激となって、「活性化」に資することもあるのではないか、と。

 また、管理職の権限が絶大な部局では、SDシート作成段階から評価の段階まで、相当恣意的なことが行われているようで、目標100%達成=B、目標110%達成=Aであるなら、自分はAのはずだと交渉したが、内容も読まないままでBとしてしまっている、と。他方、その管理職の覚えめでたい若手教員は、「沢山仕事をしている」との理由で、Aの評価を与えられていると。

 「上から」の覚えめでたく、A評価をもらった人が「不満」を漏らすはずがない。したがって、管理職(一次評価者、二次評価者など)との関係が良好な教員は、「寛大」(おお甘)な評価をされている可能性があり、実際に、ある関係者からは、そのデータを見たとの情報が寄せられた。A評価をした評価者のコメント部分が、不当な理由付けとなっていると怒っている。しかし、そうしたA評価のコメント・理由付けが公平かどうか、本人と評価者しか知らないとすれば、暗闇の中でのお手盛りが横行することになりはしないか?

 権力=権限と恣意的評価とが結びつくことが危惧されたが、すでにそれが発生しているようである。少なくともその教員は不服審査の申立てを行ったという。今後の成り行きを見たい。処遇と関係させるとき、深刻な問題と化するのではないか?
 
 不服審査の制度が機能するかどうか、一人では弱い立場であろうから、教員組合執行部(とくに委員長や書記長)にどしどし意見を寄せられることが望まれる。


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