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2008年07月08日

横浜市立大学、教員評価制度に関する組合の質問への当局の態度は官僚的形式主義

大学改革日誌
 ∟●最新日誌(7月7日)

 以下の組合質問事項に対する法人側回答内容について,不勉強で法的な構造と論理がよくわからない。つまり,「地方独立行政法人法第七十七条第3項」と「学校教育法第九十三条(大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない)」との関係である。

 卒業の認定は,教授会以外の組織では行い得ないのであるから,当然ながら卒業を認定する内容,すなわち学位を授与するに値する科目編成とその認定水準等々(教育課程の編成に関わる事項)は教授会の重要な審議事項にならねばならない。これは大学にとっての普遍的な事柄である。法人の組織である「教育研究審議会」と大学の組織である「教授会」の関係について,かつての都立大労組が書いた「法人と大学との一体化は、学校教育法の否定ではないのか?」が参考になるのかもしれない。

教員評価制度に関する組合の要求声明(2008.6.9)と当局回答(7.1)

…(中略)…

9. 学校教育法に基づいて本来教授会が審議事項として決めるべきことが教育実績の評価を行う前提となる。カリキュラムの編成を全面的に教授会・コース会議の権限とせよ。

A 地方独立行政法人法第七十七条第3項では、公立大学法人は定款で定めるところにより教育研究に関する重要事項を審議する機関を置くものとされており、公立大学法人横浜市立大学定款では「教育研究審議会」を置いております。定款第21条(5)では、「教育課程の編成に関する事項」は教育研究審議会で審議することとなっているため、本学ではカリキュラムの編成を全面的に教授会・コース会議の権限とすることはできません。……

7月7日 教員評価制度に関する組合の質問に対する当局の態度は、「定款」その他の事項をそのまま前提として、「規程にそっており」、「何も問題ない」とする官僚的形式主義の回答である。およそ内容を具体的に検討するものとなっていない。その結果、たとえば、教育研究の現場においてどんな問題が発生しているか、これはあずかり知らない、ということである。役人とはこのようなものなのだろう。それはしかし、大学の自治を担う主体としての態度ではないであろう。
 教員組合が問題にしているのは「規程」の内容、その妥当性、その制定過程の問題性なのだが、それらについては、自分たちは知らない、関係ない。自分たちは、「規程にしたがっているだけ」と。大学における自由な教育研究はこうして圧殺され、息苦しくされるのであろう。SDシートの問題性など、何もないかのようである。
 規程の制定・改変は誰が行うのか?
 「規程」の自治的自立的制定こそは、大学自治の根本に属する。その規程の改正、規程の妥当なあり方の検討、これがまったく無視されている。つまりは、「決められたこと」をただそのまま繰り返すだけであり、回答は、当局が「規程」の新たな創造の主体ではないことを示している。当局は自治の主体ではないのである。単に、どこかで「決められたこと」を執行するだけの役割しかもっていないことを示す[1]。教員組合が求めていることは、内容的には、まさにその規程の改正である。

 全国の大学の中で、「学長」、「学部長」など管理職の任命を実質的に行政的な意味での「上から」、「外から」自由に行えるようなシステムは、いまのところ例外でしかないし、基本的には憲法に違反するであろう。回答が示す「定款」「規程」は、「大学の自治」がない現状を肯定している。「定款」、「規程」の運用における問題も見ようとしない。現在の大学で唯一自治的自立的である教員組合の質問に真正面から取り組もうという姿勢でないことだけは、今回の紋切り型の回答が示す。

 「大学自治」における問題の一番具体的な事例は、PE問題であろう。

 2年次にPEだけを理由とする留年生をかなり大量に生み出すことが、どのようにして正当化できるのか?
 しかも、2年次に4年間もとどめておくことは、どのようにして合理化できるのか?
 PE一科目のために、3年間、4年間留年させるのか?
 むしろ、3年目の留年は認めず、退学させるのか?(しかし、2年以上の留年は退学と前もって示してはいない。)

 PEだけの画一基準で2年次から3年次に進級させないことに、どのような教育上の合理的な根拠があるのか?
 PE一科目だけのために、2年間も留年させるだけの意義が、PEにあることの説明は十分になされているのか?
 PE・TOEFL500)TOEIC600) を2年次までにクリアしないと、なぜ3年次の科目、たとえば文科系では3年ゼミを取ることが許されない(ゼミ履修登録不可)のか?
 3年次のゼミは、PE・TOEFL500点(TOEIC600点)を前提としたカリキュラム体系・実際の内容となっているのか?

 学問分野を問わず、2年次から3年次への進級の必須の条件とすることの合理的説明は?
 なぜ、医学部は、国際総合科学部とちがって、PEが卒業要件やその他の基準となっているのか?
 なぜ、どのようなカリキュラムの合理性によって、国際総合科学部はPEの進級基準を2年次から3年次の段階に設けるのか?
 なぜ卒業要件であってはいけないのか?
 なぜ、普通の科目と同じように、各学生の到達度により、各人の専門・進路に対応して、「秀、優、良、可、不可」の段階的能力判定ではいけないのか?

 これらに関して、多くの教員、そして多くの学生は問題にしてきたが、今だ、合理的な説明は一切ないと考える。
 逆に、医学部との違いひとつとっても、実際に行われていることが、この専門・進路・学生諸個人による段階的能力判定というごく普通の成績認定の妥当性を示している。
 制度導入・決定段階の異常さが、そしてこの間の審議否定の異常さが、きちんと検証されていないのである[2]。

 現在のシステムでは、この制度を決めた過程の検討を含め教育研究審議会(その長としての学長)から、明確な説明が必要だと思われるが、・・・
 3月で本学を去った前学長はなんら十分な説明をしなかった。今回の当局回答と同じように、「決められたこと」、「決まっていること」だからと、仮進級制度も初年度入学者に対してだけ認めるという態度を貫徹した。その結果が、累積する留年生ということになる。

 コース会議・代議委員会などでこれらに関する議論がでても、審議対象となってこなかった。
 こうした事態は、「定款」「規程」を根拠とすれば、許されることか?
 学校教育法上許されることか?

 「定款」、「規程」は、国家の定める法律に優先するか?国家の諸法律を規制する憲法に優先するか?
 企業内の私的制裁を、企業の「規程」だからといって行うことは許されるか?
 企業の「規程」は、法律の範囲内でなければならないのでは?
 そうした問題には一切応えようとしない態度が、今回の当局回答にも示されているといえよう。
 すなわち、根本問題は、回答の背後、当局の意思決定とその過程の根幹、にある。

 PEに関するアンケートを行うという。アンケートを入念に行うことは重要。しかし、アンケートへの回答において、いくらいい結果が出ていても、それを制度改正に結びつける柔軟な意思決定システム・意思決定過程がないならば、何も問題は解決しないであろう。「アンケート」なるものが、適当につまみ食いされた苦い経験も、想起される。
 その点、教員評価問題と同じであろう。


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