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2009年03月23日

東京大学、5年雇用限度の撤廃を求める緊急学内集会へのメッセージ

東職
 ∟●3.17緊急学内集会へのメッセージ

雇止め撤廃集会へのメッセージ

 東京大学における非常勤職員の雇止めは以下の三重の意味で不合理な仕組みです。第1に、当の非常勤職員にとって雇用と収入の喪失を意味するだけでなく、彼らが現場で培ってきた能力や経験は雇止めになったとたんに無意味になってしまいます。第2に、非常勤職員の方に仕事をお願いしてきたさまざまな職場からは、雇い止めとなる非常勤職員の高い能力と豊かな経験が無駄に流出し、業務は確実に遅滞します。また、同じ仕事に新しい方を雇い入れ、仕事を覚えてもらうために有形無形さまざまなコストを負担することを強いられます。第3に、人を育てる場としての東京大学が人を使い捨てにしているという汚名を帯びることになります。
 このように合理化も正当化もできない仕組みなのに、法人化に当たって雇止め規定はなぜ必要と考えられたのでしょうか。雇用契約の更新限度を明瞭に定めなければ、何年でも居座り続け、継続雇用の期待権が発生してしまう、そうなったら解雇もできなくなる、この恐怖感が、雇止めという不合理な仕組みを生み出した最大の理由なのです。適性も能力も意欲も乏しい者が同じ職場に何年も滞留し続ける恐怖感が、本学教職員の間でささやかれ続けてきたのは事実でしょう。
 では、雇止め以外に居座り続けるのを防止する手段はないのでしょうか。また、適性、能力、意欲の充分な方をそうでない方と一律に扱って更新限度4回で切り捨てる以外に手だてはないのでしょうか。
 この問いに対して法人側は次のように答えました。すなわち、非常勤職員についてはまともな雇用管理が現になされていないし、また雇用管理をしようとしてもそれは事実上不可能である。雇用管理ができないなら、適性、能力、意欲の乏しい者が居座り続けるのを防ぐことはできない。これが法人側、ことに人事労務系が雇止めに固執する唯一の理由なのです。
 しかし、まさに、ここにおいて法人側は二重に誤りを犯しています。非常勤職員を雇う現場では苦労して獲得してきた外部資金を有効かつ適切に利用するために日々さまざまな努力を続けています。適性、能力、意欲の乏しい方を雇い続ける余裕などありはしませんし、多くの常勤教職員がそういう方の契約を更新しなかった経験をお持ちのことでしょう。度重なる定員削減と法人化後の人件費削減にもかかわらず東京大学の各部署の機能が維持されてきたのは、各部署が優秀で意欲のある非常勤職員を選択してきたからでもあるのです。さまざまな現場が非常勤職員の雇用について育ててきた知恵や経験を理解しようとも、それに学ぼうともしない法人側は、まず、この点で重大な誤りを犯しています。まっとうな雇用管理は現場においては実質的になされてきたのです。
 第二の誤りは、さらに致命的です。雇止めの規定は、短時間勤務有期雇用教職員就業規則の第11条第1項に定められています。そこでは非常勤職員の契約更新は「予算の状況及び従事している業務の必要により、かつ当該短時間勤務有期雇用教職員の勤務成績の評価に基づき行うものとする」と定められています。しかし、法人側は、雇用管理がないから勤務成績評価も現実にはなされず、したがって適性、能力、意欲の乏しい者が居残ってしまう危険性が発生するのだと言っているのです。自ら定めた就業規則の求める契約更新の条件が現実には満たされていないというのなら、規則通りに勤務成績評価を行うよう各部局・各現場に指導を徹底させるか、そうでなければ、実態に合わせて規則を改定するかどちらかが法人人事労務系の役割でしょう。しかし、そのどちらをするのでもなく、同じ第11条の第2項にしたがって雇止めだけは規則通りに実施させようとする、この自家撞着と、退嬰的で後ろ向きな姿勢、これこそが本学における雇止め問題の本質なのです。
 いま、われわれは、非常勤職員も、常勤の教職員も、そして法人としての東京大学全体も、雇止めといういまわしいくびきから自らを解放できる地点に到達しています。雇用管理の知恵と経験はすでに現場に蓄積されています。あと必要なのは、ほんの少しの勇気と、働く者への誠意です。その勇気と誠意も示せないほど東京大学は落ちぶれていないはずです。
 東京大学を活力の溢れる研究教育の場とし、働きやすく、働きがいのある場とするために、わたしたちは雇止め規定の撤廃を求めます。

2009年3月17日
小野塚 知 二
(2008年度本郷事業場過半数代表者)

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