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2009年04月09日

日本私大教連、教育再生懇談会の「第三次報告」に関する声明

北海道私立学校教職員組合(道私教組)
 ∟●日本私立大学教職員組合連合(日本私大教連)中央執行委員会 声明

教育再生懇談会の「第三次報告」に関する声明

2009年4月7日
日本私立大学教職員組合連合
(日本私大教連)
中央執行委員会

 政府の教育再生懇談会(以下、「懇談会」)は、2月9日付で「これまでの審議のまとめ――第三次報告――」(以下、報告)と題する文書を発表した。報告は大きく三部で構成され、「携帯電話利用の在り方について」、「大学全入時代の教育の在り方について」、「教育委員会の在り方について」という内容が盛り込まれている。
 報告の内容に入る前にまず指摘しておきたいことは、「懇談会」が時の政権によって都合よく利用される危険が大きいという点である。教育再生懇談会、その前身である教育再生会議ともに、閣議決定によって設置され、内閣官房に担当部署を置くという「教育再生懇談会担当室の設置に関する規則」が制定されているのみである。内閣府設置法を根拠に設けられている経済財政諮問会議等の重要政策会議や各種審議会など内閣府に置かれた諸会議・諸機関とはまったく性格を異にするものである。安倍首相(当時)の肝いりで設置された教育再生会議は、首相の「戦後レジームからの脱却」方針のもと、教育基本法改悪とその具体化を軸とする「教育改革」の推進装置として機能し、時の政権の恣意性を具現化する役割を担っていた。そもそも、日本の教育を議論する機関として中央教育審議会(以下、中教審)が設置されており、文部科学大臣の諮問に対して教育機関・地方自治体・実業界等から選任された委員が相応の時間を費やして審議を行い、日本の教育を左右する答申等を打ち出している。したがって、教育再生懇談会は恣意的に設置されたものであり、屋上屋を架して教育政策に百害を持ち込むものでしかない。
 さて、大学に直接関わる内容として、第二部「大学全入時代の教育の在り方」について、以下に日本私大教連中央執行委員会の見解を示す。
 全体として、2008年12月24日に中央教育審議会から答申された『学士課程教育の構築に向けて』と重複する内容が多く、重なっている論題の結論もほぼ同趣旨である。このことから、導き出す結論が先にあって、報告書が出されたという疑念を持つ。
 この報告と中教審答申を比べたとき、最大の相違点はその分量である。中教審答申が本文だけで58ページもあるのに対して、この報告では大学教育に関わる部分がわずかに5ページ分である。この分量で、「大学教育の質担保、高等教育に対する公的支援、トップクラスの人材育成」という重要課題を並べること自体に無理があろう。いずれの課題も、正確な現状認識の上に立って緻密な議論をすべき内容である。以下、各論点に対して見解を述べる。
 第二部の総論に相当する「1 危機に立つ大学教育」において、「(3)トップクラスの人材を育てられる環境となっているか」という問題設定を行っている。そもそも、「トップクラスの人材育成」という問題意識が時代錯誤的である。後の4で、これが具体的には大学院の在り方と高大連携を指していることが示されるが、その内容は大学院生への経済的支援を拡充する、大学が「優れた資質を有する」高校生をいち早く確保するという程度であり、考え方の根底には「高等教育は一部の少数者を対象とする」というエリート主義があるとの印象をもつ。また、高大連携の例として「国際科学オリンピックなどで特に顕著な成績を示した高校生に」「推薦・AO入試等の利用により」「特段の配慮を行う」という提案がなされているが、このような思いつき程度の考えを並べること自体、この会議の見識を疑う。
「2 大学教育の質を担保する」というのも、高等教育の本質に関わる論点である。この報告から窺えるのは、中教審答申とも共通する「産業界からの要請」に傾いた思考である。即ち「短大を含めた大学進学率は5割を超えているから、卒業時の質が落ちてきている」という前提での議論は、「大学を卒業して実社会に出ても即戦力になっていない」という論と結びつくであろう。その思想は「教育サービスの充実により、付加価値のある人材を送り出さなければならない」という表現に端的に現れている。さらに具体策として提示されている項目を見ると、「課題解決力、コミュニケーション能力」「英語力」など実用指向のものばかりが並べられている。一般論としてこれらが重要であることは言うまでもないが、この種の教育にばかり偏ることは高等教育の本質を見誤ることになるであろう。
「3 高等教育に対する公的支援」においても、看過できない主張がなされている。それは「質の保証をなおざりにしたまま、高等教育の量的拡大に応じて公的支援を増額することについて、納税者の賛同を得ることはできず、質の担保に努力しない大学は淘汰されることも止むを得ない」という主張である。「納税者の賛同」などという主張は、財務省の見解かと見紛うばかりである。「大学財政が私費負担に依存せざるを得ない構造を転換する」というのであれば、高等教育に対する公財政支出は経常費補助を盤石のものにすることが基本であるという認識を持つべきである。
 この報告で唯一評価できることをあげれば、「給付型奨学金」を提案している点である。国公私立を問わず高等教育の学費が高い日本において、公的な奨学金が貸与制のみであるため、学生や保護者にとっては二重の負担であった。給付型奨学金の創設は日本私大教連がかねてから要求してきたところでもあり、この制度に限っては速やかに実現することを求めるものである。ただし、報告で「優秀かつ経済的に困難な家庭の学生」に対象を限定していることは再考を要する。日本私大教連はこの報告が基本的に持っている問題点を指摘しつつ、給付型奨学金を実現させる方策については切り離して要求するものである。
 以上のとおり、今般出された教育再生懇談会の報告に対して、日本私大教連中央執行委員会は大きな危惧と憂慮を表明する。今後の大学教育のあり方を論じるならば、これまで旧文部省時代から採られてきた高等教育政策を真正面から総括し、責任の所在を論ずることから始めるのが正道であろう。この報告に盛り込まれているような雑駁な対症療法的な施策では、日本の高等教育が置かれている現状を打破することには結びつかない。
以上


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