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2009年10月22日

横浜市立大教員組合、「昇任人事の審査に当たって任期制への同意を求める手続きの廃止を求める」

大学改革日誌
 ∟●最新日誌(10月21日)
 ∟●横浜市立大学教員組合「学長に対する要求書」

10月21日 教員組合が、昇任審査にあたって、教学の長である学長を使って任期制への同意を強制するシステムについて批判し、撤回を求める文書(学長に対する要求書)を学長等関係者に提出した。この間、当局は、「任期制が大学の方針」などと、「改革」過程で非常に反対の強かった「全員任期制」をあくまでも全教員に強制するやり方を貫いてきた。その決定的な手法が、昇任審査において、任期制に同意していない教員に圧力をかけ、同意しているかどうかを判断基準にして、昇任審査を進めるかどうか、決めていることである。

 一方で、昇任には、普通の大学と同じように業績基準がある。これは当然のことである。

 しかし、他方で、本法人では、さらにその上に「任期制への同意」を条件としているわけである[1]。

 事実、任期制に同意しない教員については、昇任差別を行った。三人の教員については8カ月ほど昇任を遅らせた(うち一人は、その差別的措置の間に他大学への転出を試み、それに成功したが、その転出直前に昇任を発令した)。その三つの事例を「例外」として、その後は、「任期制に同意していること」を条件に、昇任審査を行っている。

 この間、組合の会議で確認できた限り、昇任した教員はすべて任期制に同意させられている。逆に、任期制への同意を拒絶している人々は、本学を去っているか(准教授から教授への昇任が「経営上の理由」を根拠として先延ばしされている間に、いわゆる一流大学に教授として転出した)、そもそも、そのような実質的な任期制への同意強制を避けるため、昇任審査に臨もうとしていない。

 昇任と任期制同意を結びつけるやり方は、不利益措置であり(大学教員任期法によるならば、京都大学井上事件が示すように、業績の有無・多寡にかかわらず任期満了で雇い止め・解雇することは合法であり当然となるし、本学のように労働基準法第14条の特例措置を適用するとすれば、3年なり5年なり、身分移動の自由を束縛することになる、本学の場合、「任期制」の二つの側面が複雑に絡まりあっている・・・いずれにしても当該教員にとって身分上、重大な不利益・不安定措置以外の何物でもない)、違法であるとの立場を、特に文科系教員を中心に、教員組合は繰り返し表明してきたところである。

 当局は、その法的問題を真剣に再検討することなく、任期制同意を事実上、昇任を契機に、教員に押し付け、強制している。今回の組合の要求書は、そのことを示している。
 なぜそのようなことが可能なのか?

 市長任命の理事長以下、「市当局」の観点だけから、物事を進めることができるようになっているからである。事務局長は元市職員、幹部職員は2-3年で「出世して」帰還する市派遣職員、というシステムが、「任期制」を業績競争・業績評価の鞭として多かれ少なかれ必要と共感する人々(主観的な「勝ち組」)と一緒になって、こうしたことを可能にしている。
 そこでは、「任期制に同意」すれば、業績の点でははるかに上の「非同意教員」よりも先に昇任する、といったことが可能になる。業績基準と「任期制同意の基準」とは、ここでも矛盾を生じる。

 「改革」、法人化後の学長が、当局任命(大学構成員による秘密自由の選挙なしの「上から」「外から」の任命)であって、そうした「当局」によって選任された以上、教員組合に寄せられた非公式情報では、学長が該当者に任期制に同意するよう電話をかけたりしたという。ある若手教員は、それでも最初の年は拒否したが、次の年には任期制に同意して昇進したという。実際にどうなっているかは、客観的な事実において、文書書類で検証されるべきであろう。

 認証評価に関する評価委員(学位授与機構から派遣された委員)の訪問調査に際して、評価委員は、「Q.昇任の規程について9条3項に新たな労働契約についてとあるが、これは任期制を了解することとセットになっているのか?任期制を認めなければ昇任は認めないということか?」と問いただしている。

 当局の回答は、明確に「Yes」といえば違法となること(少なくとも教員組合が一貫して批判している問題点を孕むこと)を知っているものとなっており、当局に責任がおよぶかたちでの返答を避けている。
 すなわち、質問への焦点をずらして、「A:昇任の推薦があった場合、推薦した方から本人がその契約に了解するとの報告をもらっている」と返答している。責任を、「推薦者」に押し付けているのである。学長は自ら副理事長として、「任期制同意の状態を審査の前提とする」旨の文書を出して、明文でもってその責任を負っており、さらに、学長名の文書を学部長や研究科長に出すことで、学部長や研究科長に責任を転嫁する、分担させるという構造になっている。
 これは、「昇任を手段とした任期制の強制」を明言することが危険(問題化する)と知った上での法人当局の返答の仕方であろう。そうでなれば、明確に{YES}と答えればいいのである。
 問題がないのであれば、なぜはっきりと「YES」といわないのか?「YES」といえないところに、問題の焦点がある。

 教員組合のこれまでの文書の数々、そして今回の要求書が示すように、個々の教員に対する実質上の強制(不利益措置)が現実には行われ続けている。これは、コンプライアンス(倫理法令順守)を掲げる法人(学長も副理事長である)にふさわしくないことを示しているであろう。

 しかし、学位授与機構の評価委員が、果たして、こうした問題をその評価において明確に適切に指摘するかどうか、予断を許さない。

 本学の統治システムは、市長が任命する理事長以下で構成する経営審議会優位である。大学の「自主・自立」が各種文書にちりばめられてはいるが、実態は、まったくそうなっていない。そのことを端的に示すのが、学長以下の管理職の任命における大学構成員の民主主義的な意思確認の徹底的な排除である。どこにも選挙規定がない。この間、民主的な選挙制度が検討された形跡さえない。したがって、本学の教学や中期計画に関する全文書は、憲法についてわが国を代表する規範的テキスト・芦部憲法の見地によれば、憲法第23条が求める大学の自治・学問の自由の制度的保障に求められる「大学の自主的判断」という基準をクリアするものではない。

 そうした当局の態度を批判しているのが教員組合である。前回のウィークリーで問題視された「提案BOX」は、教員の下からの各種意見を適当に当局(憲法23条が求めるような「大学の自主的判断」を形成するシステム、大学統治における民主主義的正統性などを欠如した当局)の好みに従って、その意味で「つまみ食い」できるシステムである。「提案BOX」の危険性の指摘、注意喚起の意味は、そこにあろう。

 「任期制への同意は手続き上の問題である」と当局はいうが、いったいそれはなにを意味するのか?
 「同意」が「手続き」とは?
 普通の常識的理性的な日本語なら、「同意」は同意であり、「手続き」とは全く別のことである。あえて、そのような意味不明のことを回答するところにも、「倫理法令順守」という見地から見れば、問題があろう。
 教員組合は、法人化後の採用にあたって、「任期制」の公募に応じてきた教員の身分の安定化のために最大限の努力をしてきた(テニュア制度の早急な導入を求め、その実現以前にも非更新の可能性を厳格に制約するため)が、法人化への移行にあたって任期制への同意を拒否した教員(認証評価委員への当局答弁では、非同意が「3割」いるとされる)への不利益措置をも許さないとの見地に立っているわけである。
 現在の教員評価制度が、結局のところ、「上から」、「外から」任命した管理職によって運営される以上、公平な評価に対する懸念は大きいものとならざるを得ない。この間、実際に教員評価に基づく差別的昇給が行われ始めたが、だれに、どの程度プラスされたのか、その全体像は秘密のヴェールに包まれている。「秘密のヴェール」は、疑惑・疑念の発生基盤である。

----------学長に対する要求書-------------

2009年10月15日

公立大学法人横浜市立大学
学長 布施 勉 殿

横浜市立大学教員組合
執行委員長 山田俊治

要求書

 教員組合は、教員の教育・研究条件の向上を図るとともに、教育現場から本学の真の改革を目指して取り組んできたが、昇任人事の審査に当たって任期制への同意を求める文書(「教授・准教授及び助教昇任候補者の推薦について」平成21年10月1日学長発)について、労働条件の重大な変更に関わる問題として見逃しがたく、再度その文書の取り下げを要求する。

 平成20年2月4日の団交において、任期制への同意は手続き上の問題であると回答していたが、任期制が人生を左右する雇用関係になっている教員にとっては、単なる手続き上の問題ではありえない重大な雇用関係の変更になっている。また、学長が「任期制への同意状況等も判断に加味した上で」人事委員会へ諮問をすることは、教学の長である学長が雇用関係にも踏み込むことであり、労働契約の相互性を犯すものとして許されるものではない。第7回合同調整会議議事録でも、認証評価委員から昇任規程と任期制の関係について疑義が提出されているように、本来合理的な根拠をもたない規程によって、これまでにも、優秀な教員を失ってきたことに鑑み、昇任人事の審査に当たって任期制への同意を求める手続きは、廃止することを求める。


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