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2012年02月18日

図書紹介、『立命館の再生を願って』

 総長理事長室長だった鈴木元氏が「立命館の再生を願って」を出版し、立命の現状をかなり詳細に公表しました。
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立命館の再生を願って

目次

はじめに 3
第一章 立命館の歩んできた道 23
(1) 立命館の創立、立命館禁衛隊、「京大事件」(瀧川事件) 23
(2) 末川博総長の誕生と全構成員自治の確立 29
(3) 「同和問題」、大学紛争に直面しての新しい問題 37

第二章 大学紛争を克服して 47
(1) 私立大学問題と私学助成 47
(2) 立命館における改革の開始 54
(3)成果を生んだ教訓と問題点 62

第三章 新たな前進を目指しての模索 72
(1)次の前進に向けて、解決を迫られていた課題 72
(2) 新しい学園運営の改革を求めての模索 90
(3) 到達点がつくり出している新しい問題 107

第四章 混乱のはじまり 128
(1) 一時金問題 128
(2) 「人事問題」と「2006 年総長選挙」 138
(3) 「退任慰労金」問題 146
(4) 「特別転籍」問題と「裏切り」 157
(5) 「一時金問題」の解決を巡って 174
(6) 「迎合」ポーズ 168
(7) 総長理事長室の廃止 172
(8) 「学園憲章」「中期計画」を巡って 174
(9) 2008 年、評議員選挙における違反行為 181
(10) 「慰労金問題」の解決を巡って、長田理事長に辞職を勧告 184
(11)「足羽問題」 187
(12) 岐阜市立商業高校合併問題 199

第五章 茨木キャンパス問題 205
(1) 衣笠キャンパス狭隘克服なのか、立命郎大学3分割なのか 207
(2) キャンパス問題の原則 211
(3) 浮上した疑惑 216
(4) 全学合意と理事会構成について 227

第六章 引き続く異状事態 233
(1) 川口総長、見上副理事長が長田理事長に退任を求める 233
(2) 「「権力にしがみつく人間」」を公言し、学外理事に担がれた長田理事長 235
(3) 政策科学部と経営学部の2015年茨木移転決定 239
(4) 大分国際交流会館購入の提起 243
(5) 茨木市との「基本協定書」ならびに「覚書」の締結 247
(6) 「「山之内』は購入しない」ことを決定 249

第七章正常化と再生をめざして 263
(1) 事態の正常化が第一の課題 264
(2) 理事会構成と選挙基盤の改革 268
(3) 総長選挙規程の改定 280
(4) 学部長理事の責任と教職員組合などの役割 283
(5) 教学改革の方向 298
(6) 教学(教育・研究)を支える財政 320

最後に 306
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p14 出版にあたって

私は、かつて学生時代、大学紛争において「命をかけて学園の正常化に努めた」校友の一人として立命館を愛し、その発展を心から願う点で人後に落ちないと思っている。そうして総長理事長室主長として学園の中枢にいた一人として、今円の異常事態について、本文で記載するが少なからずの責任を感じている。そうした二つの見地から本書は「もう一度、立命館に元気になってもらいたい。再生してほしい」との願いから記した。

その際の私の立場は、大学紛争後、専務理事そして理事長であった川本氏等の立命館の指導部が明快な理念を掲げて教職員と団結して改革を進め、大きな前進を実現したことを正確に評価する。その上で、成功の陰にあって進行していた弱点が2005 年以来一気に吹き出し混迷・混乱に至ったことの教訓を引きだし、今後の立命館の再生のカにしていただきたいとの思いである。

また今回、立命館で起こったことは、予てから全国の多くの私立学校法人において教戦員、学生がぶつかっていた問題でもある。そこで私は、「改革の立命館」と言われていた立命館が、なぜ「あっと」言う間に混乱におちいり、全国の私立大学でよくある、”一部の理事が学外理事に依拠して専制的な大学運営を行うような事態になったのか”、ということを解明する。そのため日本の私立大学の歴史的経緯、私立学校法の問題点、克服の方向について私の意見を記し、立命館をはじめとする全国の私学関係者の生きた教材にしてもらいたいと思っている。

ところで本書を出版する前に、私は上記のように一年間、「理事ならびに関係者の皆さんへ」の文書を発表してきた。それに対していくつかの意見が寄せられてきた。それは本書に対しても予測されることなので、あらかじめ解明しておきたい。

一つは「立命館の恥を世間さらすのは許せない」とするものである。

前述したように、私は2009 年度は長田理事長への進言を口頭で済ませてきたが、残念ながら是正されなかった。そこで2010 年度は「理事ならびに関係各位へ」と題した文書で情報の提供と提言を行ってきた。そして今や長田理事長は立命館大学の教学機関では全く支持されない、就任してはならない理事長になっているにもかかわらず、学外理事と任命制の役職理事に依拠して居座っている。彼に退陣を迫るには、もはや社会的批判によるしかないと判断したのである。

二つ目は、「鈴木氏は総長理事長室室長として川本氏を支えてきた中心人物であり、その人が、今になって何を言おうが信用できない。まず川本氏を支えてきた事を自己批判すべきである」とする意見である。

(1)この論の前提には、川本前理事長時代を「全否定する傾向」がある。私はそうは思わない。彼には功罪がある。大学紛争の正常化にあたって大きな役割を果たし、大学紛争を正常化した全学の力と団結に依拠して改革を進め、ようやく多くの点で10私大に追い着き、立命館の社会的位置を今日あるところまで到達させた点で、彼の功績はきちんと評価しなければならないと思っている。しかし本文で詳しく叙述するように、次第に改革を全て自分の成果とみなすような態度をとるようになり、一時金カットのような反労働者的行為、自ずからの慰労金倍化にみられるような学園を私物化する傾向を示し、学園に混乱をもたらした。

人間はある瞬間に変わるのではない、徐々に変わっていく。今から見れば、川本氏は滋賀県と草津市から琵琶湖草津キャンパス(BKC) の提供を受け、理工学部の拡充を図るために産学連携を開始したころ、つまり専務理事から理事長に就任するころから、単なる「そういう傾向もあった」という段階から、大学経営を民間経営のように考え、教授会や労働組合などを敵視する考えに基づく行動へと質的に変わっていったのだと考えられる。

当時、川本氏と共に仕事をした人々の中に、彼の批判されておかしくない側面に気付いた人もいたし、時には論争した人もいた。しかし「功績第一」で根本的批判を行ったり解任を求める行為までには至らなかった。そのため川本氏の徐々の変化を止められなかった。これは急速に大きくなった組織に現れがちな弱点である。これを止める組織的保障は、選挙と任期制であるが、立命館はそうした近代的組織改革が遅れていた。

(2) 「しかし鈴木氏は川本氏の決定的な変質である一時金カット、慰労金倍額を決行した時の総長理事長室室長ではないか、その責任は免れない」とする意見である。

私は、自己弁護するつもりはない。しかし物事は事実に基づいて正確に把握する必要がある。後にも述べるが、私は総長理事長室室長であったが、学園に混乱をもたらす入り口となったこの三つの重要案件の事前の相談にも、議決にも、執行にも関わっていない。そして私は、長田理事長に一時金について和解することを進言していたし、慰労金について長田理事長の辞任と森島常務の解任を文書で求めている。私が反省しているのは、もっと早く、決断し行動すべきであったし、私の意見を公表してでも断固として止めさせる行動を取るべきであったということである。

この種の問題は、大きな組織の中にいる幹部として、長に異論を持った時の身の処し方の問題でもある。私は理事長に進言したり、文書で申し入れたが、当時公表しなかった。公表しておれば、違うことになっていたかもしれない。

この問題の難しいところは、一時金一カ月カットも慰労金支給基準の倍化も、理事会において特段の反対意見も出されず「可決」されたことである。つまり当時の常務理事を含め学部長理事の誰一人として、明確な「反対の意思」を表明されなかった。私は当時の事情を配慮して、慰労金問題について提案者である長田理事長、森島常務、そして川本前理事長、推進の議長を進めた川口総長の責任、とりわけ寄付行為細則に定められている常任理事会に諮らず直接理事会に諮った手続き上の瑕疵、一方で一時金をカットしておいて自分たちの慰労金は引き上げた社会的公正さに欠ける点などだけを追及し、学部長理事などの責任についてあえて追及してこなかった。今もその配慮は正しいと思っている。

しかし私が総長理事長室室長であったから川本氏などにアドバイスして実行されたなどという憶測は事実に基づかないし、正しくない。また、全ての常務理事ならびに学部長理事が反対の意思表明をしていない議題を理事でもない私が止めなかったことが問題であるとの批判は、組織の中に居る人間に対する批判としては適切でないと考えている。

そのような意見を述べるのなら、当時私に「川本氏をいさめてほしい」と忠告をしてほしかった。それもなく私に責任があるかのように言うのは、NHKスペシャルで放映された番組「日本海軍400 時間の証言」でも明らかにされたように、御前会議をはじめとする会議において発言権と議決権を持ち執行に責任を負っていた海軍の、幕僚・高級将校が、心中、日米開戦に疑問・反対を持ちながらも陸軍の責任にしたり、誰一人として反対の意思を表明しなかった事を「やましき沈黙」と報道されていたことと同じではないか。これらについては本文中でさらに詳細に検討している。

いずれにしても重要なことは、一刻も早く、立命館が正常化され、新しく前に進むようになってほしいことである。本書はそのために書いた。また全国の私学で学園の発展・改革のために奮闘している教職員、学生の皆さんの参考にしていただきたいと思っている。

もとより一個人が記す本であり、それが完全なものであるなどとは思っていない。しかし立命館と私学の歴史と実状を比較的良く知っている人間として、立命館の「再生の礎石」となる本、そして全国の私学改革の参考になる本を執筆する義務があると思って叙述した。

忌憚のないご批判は甘んじて受ける。同時にあくまでも現在の事態を打開するためにはどうすればよいのかという、建設的批判を期待したい。

なお本著では、立命館の創立以来の簡単な歴史、ならびに改革の経緯について述べることによって、この間の混乱の下地と、「改革の立命館」がいとも簡単に「混迷の立命館」に自壊していった要素を記述している。時間の無い人は、第一章、第二章は飛ばし、「第三章新たな前進を目指しての模索」から読んでいただき、必要を感ずれば第一章ならびに第二章を読むというやり方をされたら良いと思います。

2012 年1 月3 日 鈴木 元

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p287

しかし今回は教職員の一時金を一方的に一カ月カットしておきながら、その責任者である理事長と総長の退任慰労金支給基準は倍化するという社会的道義に反する行為や、何の教学的プランも無いままに学園を三分割するという無謀なやり方に対して、多くの教授会が反対の意思を表明した。それにも拘わず、教授会で選出されている学部長理事が慰労金支給基準倍額や、一時金の一カ月カット、政策科学部ならびに経営学部の2015年移転に対して最後の議決の段階では反対の意思表示をしなかった。

学部教授会の意見より理事長や総長の意見の方が正しいと思うのなら、その意見で学部教授会を説得する義務がある。各学部の意見と異なる意見を何の相談もなく常任理事会で賛成することは、学部長理事制度を自ら否定する行為でもある。

それではなぜそのようなことが起こったのか。

[1]茨木問題は

「経営学部と政策科学部が既に教授会において移転決議を上げ、しかも土地も買ってしまっているとなって、あえて反対し続けることは教学機関の分裂となり、現実的ではない」。

そして、茨木を認める代わりに山之内を認めさせるという、密室での政治的駆け引きを優先させたこと。

「「基本構想』には必要不可欠な衣笠やBKC のキャンパス整備が記載されている。これとセットにして2015 年経営・政策の移転が書き込まれている。したがって『基本構想」に反対することは、全てを否定する事になるので、条件付きで賛成せざるを得ない」。

こうした巧妙な既成事実の積み重ねと、全学的に見ると事実上多数の教職員が反対しているにも拘らず、役職任命制等の理事が多数いる常任理事会や理事会においては「少数派に見えることがあり」、あえて言えば、しだいに根負けしていったと言える。

いずれの社会でもそうであるが「権力側に居る人間」は自らの政策が否定され、下野せざるを得ない危険がある時、地位と権益を守るためになりふり構わず粘ることがある。それに対して「正義と道理を説く」側に属する人々は、自らの主張が通らなくても、受ける被害は部分的であり最後の奮戦に粘り負けする場合が多々ある。正義は粘り強くなければならないし、またそれを支える力が必要である。

蛇足であるが、教授会同士の当面の和を大切にしたり、密室での山之内取引についての話に目を奪われ、学園三分割等様々な問題で立命館に大きな困難をもたらす点を軽視してはならなかった。多数決決定で購入されたからといって、期日を決めて使用しなければならないことにはならない。山之内など京都市内での目途が立てば、茨木は部分使用や全面売却すればよいのである。

そして今回の最大の問題は、長田理事長、森島常務などに「学部長理事などはこの程度のもの少々の無理でも既成事実を積み重ねて粘ればやがて屈してくる」との判断を与えたことであり、今後の学園運営に禍根を残すことになった。

同時に冷静に見るなら「茨木を認める代わりに、山之内の折衝に入る」との密約は、学園内にエゴイスティクな物取り主義を蔓延させる危険を作り出している。だいたい山之内が推進できるなら、茨木は必要でなくなる。「茨木も山之内も」は学園の財政を含めた効率的運営を阻害するものである。

そうした無責任主義が立命館中高校の長岡移転、北海道慶祥中高校の札幌市内移転と、際限ない物取り主義を生み出し、学園が積み立たててきた1000 億円はあっという間に使い果たすことになるであろう。

教授会を中心とした学内の反対意見を無視して、学外理事の力も借りて多数決決定した茨木購入のしっぺ返しは、各学部教授会をはじめとする各部門のエゴを蔓延させることになり、長田理事長、川口総長、森島常務は「解任されたくなければ、この要求に応えるべきだ」との暗黙の圧力に屈するか、「もうお金は無い」と切実かつ当然の要求も機械的に拒否するかの道に入りつつある。

[2]一時金一カ月カット

当初においては、研究費の再配分とセットで提案された。したがってそれは検討の余地のあるものであった。しかしカットした資金による再配分という考えが合意されなかった時点で止めるべきであった。それが全学の圧倒的多数の意見であった。

しかし学部長理事はあえて反対せず、一カ月カットだけが実行された。これは複雑な心境であったと思う。しかしあえて言えば、これは常任理事会での惰性、無責任さの表れだと思う。組合交渉において説明の矢面に立つのは理事長や専務理事であった。学部長理事は出席はするが、労使交渉の矢面には立たなかった。しかし常任理事会においては「学部長理事は学部教授会の代表の立場だけではなく、経営者としての立場、責任もはっきりさせてもらいたい」との追及を繰り返し受けることの方がしんどかったのだろう。

[3]慰労金、足羽問題

これらは、どう考えても異常である。しかしいずれも「川本理事長に関わった問題」という事で遠慮があった。個人的権威主義と闘えなかったのである。部落解放同盟による立命館への介入は、当時の末川博総長が部落解放同盟委員長の朝田善之助とあらかじめ妥協した上での行為であった。当時、末川氏のその行為を知っていても、公然と批判する人はいなかった。私たち学生は知らないが故に、また何の利害関係もないが故に闘えた。

[4]組織と人間

これらの問題を見ると、改めて「組織と人間」という問題にぶつかる。学部長理事制度は現在の日本においては相対的に良い制度であると思う。しかし相対的に良い制度が必ずしも良い判断をするとは限らない。最後はその組織を構成している人間の民主主義的責任感の如何にかかってくる。

先に1996年(2006年?)の総長選挙について触れた。私は今から考えれば、必ずしも適切な選挙制度ではなかったと考えている事を、反省も含めて明確に記しておく。しかし川本理事長が強引に「川口を含む三名でいく」主張したとか、「今日、この場で決める」と言ったことを、選挙制度を変える理由にしたことは承認しがたい。そんなことを言っているから「推薦の問題」だけに焦点が行き、肝心の選挙人振り、そして選挙の執行上の問題で重大な問題がありながらまともに追及し改善を求めることにならなかった。

「言えなかった」ことを理由にするなら「当時の理事会では、一時金カットに反対する雰囲気ではなかった」ということになる。「はじめに」でも書いたように、太平洋戦争の開戦を決めた当時の国家指導者たちが、あとになって「『反対であったが、当時はそのような状況でなかった』と言うのと同じある」と言っているのである。学部長理事は不十分な意見であっても学部多数の意見を貫くか、また反対意見を説得し尽くす責任と勇気を持たなければならない。
 そうでなければ、どのような組織改革論も意味をなさなくなる。
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