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2013年12月24日

全大教、(声明)文部科学省の「国立大学改革プラン」の撤回を求める

全大教
 ∟●(声明)文部科学省の「国立大学改革プラン」の撤回を求める

(声明)文部科学省の「国立大学改革プラン」の撤回を求める

2013年12月23日 全国大学高専教職員組合中央執行委員会 声明

 文部科学省は、11月26日に「国立大学改革プラン」を発表した。
 このプランは、「ミッションの再定義」による各国立大学の強引な特徴付けと、「機能強化の方向性」として国立大学を事実上ランク付けするとともに、種々の財政誘導策によって、文部科学省が考える方向へ一方的に「大学改革」を進めさせようとするものである。政府が、大学を産業政策の中に組み込み、産業競争力強化の観点だけに立った「大学改革」を行わせようとするものである。
 大学は時の権力から独立し、学問の自由が保障されるもとで、社会全体に奉仕する責務を負っている。大学の自治という組織原理がそのことを支えている。大学が社会と関係しつつ、大学が自主的な判断で社会に貢献していくということが大切なのであって、国が方向性を決め強引に強要していくものではない。こうした施策が実施されていけば、大学の活力、批判力をなくし、結果として社会の活力が低下し、また権力の暴走を抑止する力が弱まるといった、歴史的にも重大な事態が危惧される。

 2004年に国立大学法人制度がスタートし、10年が過ぎようとしている。このプランは、国立大学法人法にもとづくものではない。法人法に定められている中期目標という制度とは無関係に、文部科学省という「官」が、国会と大学を無視して、国民の監視の届かないところで勝手に定め、実行しようとしているものである。国立大学は文部科学省のものではなく、国民のものである。教育を行政に従属させるやり方は、第2次大戦の反省に立ち、政府から独立した立場から教育を担ってきた大学の位置づけに反するものである。
 国立大学法人化以降、国立大学は運営費交付金削減による財政難と制度の不備とで苦しめられ続けてきた。そのなかで教職員は必死の思いで教育と研究にたずさわってきたが、産出できる論文数は減少し、丁寧な学生への教育も困難になってきた。文部科学省は法人化の負の側面、政策の失敗を認めようとせず、そのつけを大学と国民に押し付けようとしている。
 このプランは、グローバル化の中での国家戦略に偏向し、成熟社会の中での国民の福祉という視点が全く欠落している。「国際化」「理工系の充実」は重要であるが、限られた資源の中でそうした方向ばかりを重視し、他を切り捨てる姿勢は、学生、国民のニーズにも背くものである。
 このプランには学生の姿は全く出てこない。このプランを描く文部科学省の目には学生の姿は目に入っていない。あるのは、国が国際競争の中で勝ち抜いていくためのコマとしての「人材」を、大学がどう効率的に養成するかという観点のみであって、学生が学び、成長し、それぞれの力で社会に貢献するという、そういう人生に対し、大学がどのように役に立つようになっていくか、という観点が全く欠落したものである。
 このプランの中には、国立大学を3つの方向性で種別化していく考えかたが示されている。全国に86ある国立大学は、それぞれの地域において、総合的に知と文化を担うべき立場として地域の期待をうけ、地域に貢献してきている。子どもたちを都会に出さずとも、身近にある国立大学で教育を受けさせることができる地方大学の存在は、地域にとってかけがえの無いものである。その大学が、国立大学の中にあって限定的な「方向性」を規定されることは、教育の機会均等を侵し、地域の発展にとってマイナスとなるものである。それぞれの大学が、文部科学省が決めた「ミッション」に特化していくことは、それぞれの大学中にある分野の多様性を失わせ、そのことは国全体の学術の活力を失わせることにつながる。大学を文部科学省が決める方向性で縛り付ける発想は、大学というものの普遍性、大学が有する普遍的価値に対する理解が欠落していると言わざるを得ない。
 さらにこのプランでは、「人事・給与システムの弾力化」として、法人の教職員の人事の仕組みに文部科学省が介入する姿勢を明確に打ち出している。こうしたやり方と、描かれている中身は、大学に混乱をもたらし、教職員の中に過度の格差をうみだし、今後大学で教育と研究に真剣に携わっていこうとしている若手のためにならないばかりか、その将来に不安を与えるものである。シニア層の教員を若手・外国人に振り替えるとして、シニア層を狙い撃ちにしている。大学という知と文化を支える組織においては特に、この年齢層の教員の重要性が高い。この面でも、このプランは不適切なものである。
 このプランは、「ミッションの再定義」、運営費交付金の配分、大学評価、第三期目標をてことして、文部科学省が考える方向への「改革」を強要するものに他ならず、行政の暴走であるとともに、大学の自治を破壊し、国立大学の責任と自主性を蔑ろにするものである。
 中央教育審議会大学分科会がまとめようとしている「ガバナンス機能強化」とあいまって、このプランは、国立大学という国民共有の財産を、取り返しのつかないまでに毀損するものである。

 全大教は、これに反対し、文部科学省が「国立大学改革プラン」を撤回したうえで、大学の自治にもとづく、自発的な改革を見守り、支援することを強く求めるものである。


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