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2014年01月28日

佐賀大学退職金減額無効訴訟、訴状と意見陳述書

ペガサス・ブログ版
 ∟●訴状(2013年(平成25年)11月7日)
 ∟●退職金減額無効訴訟,第一回公判


平成25年(ワ)第443号 退職金請求事件
原 告  豊 島 耕 一 外
被 告  国立大学法人佐賀大学

意見陳述書

2014年1月10日

佐賀地方裁判所民事部 御中

原告  豊島耕一

私は原告の1人,豊島耕一と申します.今回の提訴に踏み切った理由と目的について述べたいと思います.

1 私が退職する直前,昨年1月1日に実施された就業規則の変更によって,退職金が本来の額から約6%減額されました.これは労組や過半数代表者との合意などの手続きを踏むことなく行われ,しかも該当者への通知が実施の数日前というものでした.使用者が一方的に就業規則を変更できる要件を定めた労働契約法10条に該当する事情は見当たらず,したがって同9条が禁止するところの「労働者と合意することなく」行われた不利益変更であり,違法なものと断ぜざるをえません.

この提訴の直接の目的はもちろん,大学当局の不当な行為による私自身の経済的損失を回復することです.しかし同時に,今回の大学の決定の背景にある国立大学と文科省,政府との関係における問題も同時に明らかにしたいと思います.そうしないと今後も同じ過ちが繰り返され,しかもそれは退職金や賃金問題に限られたものではなく,大学の使命という問題にも影響を及ぼすことになるからです.それについて述べたいと思います.

2 大学が今回のような一方的措置を行った背景には,2012年8月7日に閣議決定され,同年11月16日に国会で可決成立した国家公務員退職手当法改正法があります.この閣議決定では,本来,国家公務員退職手当法が適用されるはずのない非公務員型の独立行政法人の職員についても,国家公務員同様に退職金を引き下げるよう各国立大学法人に要請するとされました.文科省を通じてのこの要請に佐賀大学がそのまま従った,というものです.

このような要請にどのような合理性・正当性があるのかは全く判然とせず,少なくとも何らの法的根拠もないことは明らかです.したがってこれを受け入れるのか否かは大学が自主的に判断すべきことです.

しかし大学がこの判断を十分な考慮の上で行ったと言う形跡は見られません.むしろ,政府の言うことに逆らってはいけないと頭から決めてかかったものと思われます.一昨年12月25日の組合との交渉のやり取りを見ると,大学側は「政府の要請に従わなかった場合,リスクが生じると思っている.リスクと言うのは,大学に余分な財源があると文科省や財務省にみなされて,その分をどこかで削減されるおそれがあるのではないかということ」だと述べています.

このことは,なんら強制力のないはずの「要請」が,実は,「言うことを聞かないと予算を減らすぞ」という政府・文科省による脅しとして作用していることを表しています.いわば,政府による大学への「公的なパワハラ」です.

3 この「パワハラ」は,退職金や賃金という労働条件の問題だけではなく,最近では大学の研究・教育内容にまで及んでいます.例えば,「大学のミッション再定義」と称して,文科省が各大学に大学の研究・教育の方針を出させる,つまり言わば「模範解答」を要求する形で,研究・教育・管理運営の在り方に介入しています.つまり「大学の自治」や「学問の自由」という民主社会の基本的な価値まで脅かしています.

4 このような政府による大学介入の背景には,2004年に実施された「独立行政法人」(法人化)というシステムによる影響が大です.この制度はグロテスクなもので,「独立」という名前とは反対にむしろ官僚統制を強める作用を持つものです. 以前からも政府・文部省からの国立大学支配の問題というものはもちろんありましたが,法人化によって予算が国会事項でなくなり,名実共に官僚の裁量に任されることになり,透明性がなくなったのは決定的です.つまりこの制度は「独立」という名前とは反対にむしろ官僚統制を強めるものです.ここに中央官僚による「パワハラ」の余地が拡大された大きな原因の一つがあります.まさにそのパワハラによって今回の退職金減額もなされ,また数年前からの賃金減額もなされているのです.

5 このような背景があるとは言え,しかし法規上はあくまでもそれぞれの国立大学に広汎に自主定な決定権が与えられているのであり,本件の退職金や,あるいは賃金についても同様です.国際的にも,1998のユネスコ高等教育世界宣言に「高等教育機関は,自身の内部問題を管理する自治権を与えられなければならない」(13条b項)と謳われているとおりです.したがって,国立大学には,当然のこととして予想される社会の様々の圧力から自主・自治を守り抜く法的,道義的な責務を負っているのです.今回の佐賀大学当局の行為は,これに全く背くものと言わざるを得ません.

6 私は、自分自身に降り掛かった使用者の違法な行為については,教育者としても,また長年お世話になった佐賀大学への「忠誠」,ひいては大学という文化と制度への責任という意味でも,二重,三重の意味で見逃すことは出来ません.つまり,学生に対しては,自らの権利を守り不正と戦うべしとこれまで語って来たので,今回の事態を放置することはみずからそれを裏切ることになり学生たちに示しがつきません.また,退職したとは言え,これからも大学の自治や学問の自由という価値を擁護し続けたいと思っています.さらには,佐賀大学において正常な労使関係が損なわれることに抵抗し,正常化するための職員の方々の努力に,たとえ微力でも加わりたいと思います.

 私は法学系の人間ではありませんが,イェーリングの「権利のための闘争」という本は法科学生の必読の古典とされているそうです.その中に「倫理的苦痛」という言葉があります.それは,物理的な身体への侵害における肉体的苦痛と同様に,権利侵害に対する警告として与えられるものだそうです.この警告への感性を私は大事にしたいと思います.

7 今回の大学の決定に当たった当事者の方々に悪意があるとは思えません.組合との交渉の席で彼らが述べたように,大学を「リスク」に晒さないようにとの思いからのものでしょう.多くの退職者の方々が不利益を受けたにも関わらず,このように提訴に踏み切る者が少数であるのも,そのような事情を知っておられるからでもありましょう.いわば「思いやり」です.しかし,リスクを避けると称して原則を曲げることが,そしてその集積が,やがて巨大なリスクを発生させるということを,社会のさまざまな事象を通じて私たちは知っています.ですから私はこれは過剰で不適切な「思いやり」であると判断せざるを得ません.

8 政府・官僚による法に基づかない支配の弊害は既に多くの人によって指摘されています.それが社会の根本的な公共財である学問を扱う大学の世界に及ぶとすれば,その社会への影響はまさに根本的です.つまり「リスク」を避けると称して大学が政府の言いなりになるとすれば,それは社会に大きな危険を及ぼすでしょう.そのような事態への警告として,その名を冠した奨学金や日米交流事業で有名なフルブライト上院議員(故人)が残した言葉を引用して,私の意見陳述を締めくくりたいと思います.

「大学が,その本来の目的に背いて政府の付属物になり,目的よりも技術に,理想よりも手段に,新しいアイデアよりも伝統的な権威に傾くならば,大学は,学生に対する責任を果たしていないだけでなく,社会からの信頼をも裏切っていることになる.」


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