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2014年06月27日

改正学校教育法等衆議院文部科学委員会、池内 了氏の参考人質疑

改正学校教育法等衆議院文部科学委員会、池内 了氏の参考人質疑

衆議院文部科学委員会 参考人質疑(平成26年06月04日)

名古屋大学名誉教授 池内 了氏

○池内参考人 おはようございます。池内です。
 私は、ことしの三月まで大学に勤めておりまして、最後は総合研究大学院大学というところで理事をやっておりまして、幾つか、文部行政というのか、そういうことを直接扱う事柄が多くありました。かつ、私は、勝手に威張っておるわけですが、国立大学を五つ回ってきました。京大、北大、東大、阪大、名大と回ってきまして、いろいろな大学のいろいろなやり方、考え方、そういうのを経験してまいりました。その中で、大学というのはどうあるべきかということを常々考えてきたわけであります。
 私は、直接、今回提案されている学校教育法及び国立大学法人法を一部改正する法律案がこの委員会の主たる議案でありますから、それに対して、的を絞って私の思うところを述べさせていただきたいと思います。

 私は、今回の法律案、特に学長の役割の明確化ということですか、無論、そこに一応一番の焦点が当たるわけですが、ありていに言いまして、学長のリーダーシップとかガバナンス強化ということもいろいろ言われておりますが、要するに、学長の決定に少しでも影響を与えかねない教授会をおとなしくさせて、学長が今まで以上に思いどおりにできる、運営できる条件を整えようという意図が背後に隠れている、これはそういう印象が強いわけです。
 これまでの国会審議の速記録なんかを見ましても、学長に特別な権限を与えるわけではないとおっしゃっている。まさに私はそうであると思っております。権限を与えるのではなくて、周りの条件を、教授会が関与できる部分を縮小した結果として、学長の権限が自由に振る舞えるような条件づくりをやろう、そういうことでありますね。
 その結果としては、教授会がいろいろな問題に関与できなくなる、そして、教員は大学全体の運営に興味をなくして、個別化してばらばらになる、大学が一体として教育や研究あるいは地域貢献などを行う情熱を失ってしまう、その危険性が非常に高いと私は考えております。
 その結果として、本当に望まれている、知的基盤社会を構成し機能させる人材を養成するという、大学の非常に重要な社会的責務を全うできる条件がどんどん小さくなっていく、私はそのように非常に憂えております。
 大学は、そもそも知の共同体と言われております。インテリジェンスの共同体です。そこで自由な研究、教育、意見交換、それから自由な意見表明、これは不可欠なわけです。それが学問の自由あるいは大学の自治の根幹であり、現実に定着してきました。いろいろな形で、憲法にも「学問の自由」ということが明記されております。
 したがって、教育と研究にかかわる問題は、大学を構成する人間誰しもがいろいろな形で責任を持って、かつ、責任を持ってやるということにやりがいを感ずるものなんですね。まさにそこが、大学でいろいろ学び、あるいは教え、あるいは研究をし、それでいろいろな地域貢献を果たしていく、そういう、大学を構成する人間のやりがいがそこにあると思います。
 したがって、大学の自治というのは、大学を構成する人間、それは教員であれ、事務員であれ、院生であれ、学生であれ、それぞれの立場に応じた責任範囲で行うべきです。無論、いろいろな責任の幅があります。学長なら、学長というのは一番大きい幅が無論あるとは思います。
 教授会の自治というのも、当然ながら、非常に重要な側面をなしております。教授会の自治のみで全て決まるというふうなことは私は一言も申しませんし、教授会の自治が根幹をなすという意味で非常に重要であるというわけです。それは要するに、教授というのが教育研究の根幹にかかわることに主な責任を持っておるということです。それから、教育研究の内容をよく知っている、学生たちと日常的に接している、彼らの状況をよく把握しているというわけです。
 ということで、学生全体あるいは大学全体の事柄に関して最も状況を把握しやすい条件にあるのが教授である、その教授たちの自由な意見の交換こそが大学の自治を形づくっていく基本条件である、このように私は考えております。
 今回の教授会の役割の明確化という法案の中で、教授会が、学生の入学、卒業及び課程の修了、学位の授与、その他教育研究に関する重要事項で学長が教授会の意見を聞くことが必要であると認めるものについて、学長が決定を行うに当たり意見を述べることとするというふうに改正案がなっております。ここには、学生の身分にかかわること、それから教育課程の編成にかかわること、教員の研究業績等の審査もこの身分にかかわることであると思うんですが、そういう事柄に関しては一切規定されていないわけです。
 極論いたしますと、リーダーシップということをえらく頭に置いた学長さんが出たとしますと、教授会の意見を聞くことが必要であると認めなければ聞く必要がないわけです。あるいは、学長等の求めに応じて意見を述べることがある。求めがなければ教授会は意見を述べることができないわけです。
 ということは、極論しますと、教授会は、一年に一回、三月にだけやればよろしい、卒業と入学と学位の授与だけをやればよろしい、それ以外は、学長が求めに応じあるいは必要に応じということを認めなければ、教授会がたとえあったとしても、何ら意見を表明することはできないわけです、学長に対して。
 無論、そういう学長にはならないであろうとおっしゃるであろう。しかしながら、私自身が一番心配するのは、出発点においてはそうであったとしても、例えば、一人そういういわば変な学長があらわれましてそういう規定にしてしまったとすると、それを変えることは非常に難しくなる。それが当たり前のようになっていくというわけです。だから、私自身は、権限の濫用ではなくて、結果的に、学長が権限を強化していく状況が生まれていくというふうに思っております。
 私は、教授会の自治という言い方をいたしますと、教授会自身が、今の教育研究にかかわること、学生の身分にかかわること、教育課程の編成にかかわること等いろいろ、これは教育研究に密接に関連していることですから、当然、規定するならば規定すべきであると思っております。
 が、それ以外に、学長人事を含めて大学全体にかかわる人事、それから予算配分とか大学の運営方針、あるいは学部にかかわる部長、教授の人事、学部の授業等について審議し意見を交わすことが非常に重要な事柄であり、それが、大学運営全体に目配りして、特に教員や学生の立場からの視点を生かしていく、大学運営にそういう意見を生かしていく。私自身は、それを明文化しておかなければ、教授会の意見が聞かれなくなって、結果的には、教授がそういう意見を聞かれないあるいは意見が採用されないということは、狭い意味での教学事項の議論しかできなくなって、視野の狭い教員になってしまうというふうに思っております。
 その意味で、幅広い、まさに多様性と平野先生がおっしゃいましたが、多様性のある大学、それをいかにまとめ切ってガバナンスにつなげるか、リーダーシップを生かしていくかということが学長の腕の見せどころなんですよ。
 そういうことを全部排除していって、剥ぎ取って、学長さん、自由におやりなさい、それでは本当の大学の自治あるいは学問の自由というのは今後守られていくかどうか、私は非常に心配でありまして、この点に非常に大きな懸念を抱いております。
 以上であります。どうもありがとうございました。(拍手)


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