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2014年06月01日

徳島大学教職員労働組合、「大学から活力とイノベーティブな精神を奪う学校教育法改正に反対する声明」

徳島大学教職員労働組合

大学から活力とイノベーティブな精神を奪う学校教育法改正に反対する声明

 去る4 月25 日、政府は学校教育法並びに国立大学法人法改正案を閣議決定し、国会に提出しました。学校教育法改正のポイントは、大学運営に対する学長トップダウン体制を確立するため、教授会の審議事項を制限して学長の諮問機関化する点にあります。また、国立大学法人法改正のポイントは、学長選考会議に学長選考基準策定権を与える点、経営協議会の学外委員を「過半数」とすることで、学内構成員の意向を軽視した大学運営を行いやすくする点にあります。いずれの改正案も、研究教育に対する現場の教職員の意見を排除し、政府-学長による強権的な独裁体制に教職員を隷従させ、政府の意向に沿った教育と研究を強要することを目的としていると言わざるを得ません。

 政府が目指す「大学改革」のキーワードは「グローバル人材育成」と「イノベーション」です。これらは一見するとよいことのようですが、要するに「グローバル人材育成」とはグローバル企業の即戦力となる人材の育成であり、「イノベーション」とは、iPS 細胞など政府が重要だと考える分野での産業応用のための技術開発ということです。こうした狭い見地に縛られれば、大学における研究教育は多様性を失い衰退を余儀なくされることは間違いありませんが、そうした反対意見を封じることが結局のところ今回の法改正の目的ではないかと思われるのです。

 現在、大学では政府に言われるまでもなく、よりよい市民を育成し、科学研究を推進させるために真摯な取り組みを行っています。「グローバル化への対応」や「学問上のイノベーション」も取り組み課題の一つです。もちろんそうした取り組みに対して否定的な態度を取る教職員もおりますが、それは批判的精神の現れであり、さらには合意形成がまだ不十分であることを意味します。

 今回の改正案は、大学の自治を奪うことで、自主的自発的に真摯な努力を惜しまず働いている大学人を、「言われたことだけをする立場」に貶め、大学人から研究教育に対する主体的な取り組みへのモチベーションを奪うものです。その結果、大学の研究教育機能は大幅に低下し、政府が目指すグローバル化への対応もできず、イノベーションも起こせない大学になってしまうことが予想されます。

 学問におけるイノベーションは従来学説への批判から起こります。つまりそれは、「政府の命令に服従する姿勢」とは正反対の、批判的精神からのみ起こるのです。軍隊さながらのトップダウンによる組織運営を大学に持ち込もうとすることは、研究教育の実情を知らず人間精神の本性への洞察を欠く愚者の選択と言うほかありません。

 安倍晋三首相は5 月6 日、経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会の基調演説で、大学について、「学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています」などと発言しました。

 これが首相の「大学観」なのでしょうが、さまざまな業種、企業に通用する実践的でかつ普遍的な「職業教育」などというものは存在しません。社会生活に役立つ能力として大学で育成することができ、また育成すべきことは、創造性につながる「批判的思考力」をおいて他にはありません。ある特定の業種、企業に必要な知識や技能は個別的なもので、その業種や企業でしか教育することのできないものですから、大学がそれらを一括して肩代わりすることなど不可能です。

 そもそも、民主主義国家が大学を税金で設置し教育を行うことの意義は、営利に向かないが人類の普遍的価値に寄与する学術研究を推進し、あるいは民主主義社会を構成する市民に必須の能力を育成することにあります。民主政治を衆愚政治に陥らせないためには、市民は、健全な批判的精神と対話的理性を持っていなくてはなりません。

 こうした目的を担う高等教育は、私企業の利益のために利用されるべきものではありません。私企業の利益のための教育は、私企業が自らのコストで行えばよく、またそうする以外のよい方法はないのです。これまで日本企業は従業員のリストラと非正規従業員への置き換えを進めてきた結果、人材育成能力を失いつつあります。しかしそれは企業運営の失敗であって、大学がその後始末をするいわれはありません。

 大学人や学生から主体性を奪い、命令に服従する人間を育てようとする今回の改正案が成立すれば、日本全体から活力とイノベーティブな精神が失われ、今後何十年にも及ぶ大きな禍根を残すことになります。教育本来の意義に立ち返り、主体的に思考する精神を育成するための自由で民主的な大学を取り戻さなくてはなりません。国会が今回の改正案を廃案とし、研究教育の実情と人間精神の本性への洞察にもとづく賢明な大学政策が実現されることを期待します。


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