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2014年09月13日

寺尾愼一学長による大学運営とその問題点

福岡教育大学の学長選を考える会
 ∟●く8月22日 【寺尾氏が生み出した「苦しみと悲しみ」のリスト】

寺尾愼一学長による大学運営とその問題点

福岡教育大学教職員組合
作成 2014年8月21日
改訂 2014年9月 4日

 福岡教育大学では、寺尾愼一学長の就任(2010年2月20日)以降、強権的な大学運営が常態化している。本文書は、福岡教育大学教職員組合の今後の活動に資するため、寺尾学長の4年半にわたる強権的な大学運営の諸事実を整理のうえ記録に留めたものである。今後、福岡教育大学教職員組合は、公器である国立大学の職員団体として、寺尾学長の大学運営の問題点について、文部科学省、国立大学法人評価委員会、報道機関、卒業生・在校生、保護者、地域住民等、広く社会に訴える活動を通して、早急に大学運営の正常化に取り組む必要がある。

 寺尾学長の就任は2010年2月であるが、最初のうちは無理な提案を強行しようとしても反対意見が強い場合は、ある程度抑止力が効いていた。これは国立大学法人法によって設置が義務づけられている「教育研究評議会」の委員のうち学長任命の委員の数が、理事・副学長3人、副理事4人、であり、各講座の教員代表16人が評議会全体の33人に対して半数近くを占めていたからである。しかし、その後、理事・副学長の数こそ変わっていないが、数の制限がない副学長は7人、副理事は8人にまで増員された。この理事を兼任しない副学長が評議員に入り、センター長・図書館長もそれぞれの担当副学長で置き換えられた結果、評議会の総人数は37人にまで膨れ上がり、講座代表の評議会に占める割合が相対的に低下し、教育研究評議会は学長が牛耳ることが可能になってしまった。さらに評議会に列席する監事からの発言や記名投票の強要など、評議員に圧力をかける運営手法が導入され、その結果重要事項の強行決定が続くようになったのである。

 その状況を時系列に整理する。
 以下では、太字は、特に大きな問題があると考えられる事項を示す。さらに、その太字部分に下線が引いてあるのは、「平成25事業年度に係る業務の実績に関する報告書」にて<実績>として上げられているものであり、<実績>と称する多くのものに問題があったことを表している。


【2011年】
・2011年4月 教員の「現員=定員」方針を発表。それまで講座間のポストのやりくりで均衡を保っていた教員の昇任人事が停止し教員人事の不均衡が固定化。

・2011年8月 人事院勧告に係る団体交渉の引き延ばし。団交申し入れが8月10日で9月30日には人事院勧告が出たにもかかわらず、団体交渉に応じず、応じたのは年明けになってからで、5ヶ月もの時間がかかった。これは閣議決定された国家公務員の臨時給与減額法案の国会審議を待ったためであり、その後も実質的な交渉には応じなかった。

・2011年9月 「大学教員人事制度の改革(案)について」発表。ポスト不足のため、資格を満たす教員が定年まで准教授に留まらざるをえない可能性が生じる。教授会での多くの反対意見にもかかわらず一方的通告で終わり、教育研究評議会で強行決定。

・2011年12月 教育組織改編案の強行。情報教育コース・スポーツ科学コース全廃、学部学生の総数減という学長提案が当初示され、その後に総学生数は維持するという内容に修正されたが、教授会では問題視する意見が出て採決の結果、○55、×53、白14、無効1、であり賛成が過半数に達しなかったため否決された。しかし、その後の教育研究評議会での採決では賛成多数で承認。両コースの2013年度廃止が強行実施された。

・2011年12月 教育学部長辞任とその後の混乱。上記の教授会での組織改編案否決に絡み、学部長が教育研究評議会席上において学長らから攻撃を受け、後日辞任した。しかしこの事実は構成員に通知もなく16日間にわたって学部長不在という事態を招いたあげく、学長自ら学部長事務取扱をし、さらにはすでに教授会で実施済みの次期学部長選考の結果についても無効であると主張。教授会は再度選考し直さざるをえず、結果は予定されていた次期候補者が再度選ばれたが、「残任期間」の規程により学部長任期が大幅に短縮されることとなった。

【2012年】
・2012年2月 再雇用特命教授の申請拒否。3講座から申請された特命教授が人事委員会による事前審査を通過したにもかかわらず、学長によって全て却下された。2011年9月の教授会では総務財務担当理事から「本人と講座が同意すれば(再雇用を)適用する」との説明があったにもかかわらず、である。

・2012年2月 追加予算配分のばらまき。教育・研究予算の追加配分を、本来その任をすべき予算配分委員会での審議・承認を経ないまま、100万円を複数の講座・センターにばらまいた。コンプライアンス(法令順守)やアカウンタビリティー(説明責任)も無視。

・2012年7月 給与臨時削減措置の強行。5月に突如イントラネットに「本法人職員の給与減額支給措置の検討について」という文書を掲載し、まともな労使交渉も経ないまま給与減額措置を実施すると表明した学長は、7月からその表明どおりに給与減額措置を強行した。この強行姿勢によって、国立大学法人としては全国で最初に、臨時減額分の未払い賃金請求訴訟を提起される事態を生じさせた。

・2012年7月 センターの統合と専任教員の配置換え強行。情報処理センター・図書館から学術情報センター、保健管理センター・体育研究センターから健康科学センター、教育総合実践センター・特別支援センターから教育総合研究所、という統合・再編が、歴代センター長の反対の意見書をも無視して強行された。さらにセンターの専任教員を一時、学長付という不明確・不安定な立場に置き、センター教員としての研究にも支障を及ぼした上に、強引に講座へ配置変えをしてしまう。

・2012年12月 勤勉手当成績優秀者対象者の講座推薦を拒否。多様な専門を評価するために、手当や昇給の推薦は講座から行ってきた経緯があるにもかかわらず、講座推薦を「学長の総合的判断」の名の下に拒否。拒否された中には、法人を相手取っての未払い賃金請求訴訟の原告や、学長への反対意見書を出した過半数代表者、講座主任などが含まれており、多くの疑義があるにもかかわらず「総合的判断」の説明は一切なし。2013年6月期においても原告1名がやはり推薦拒否され、学部長と学長の面談まで行われたが、学部長に迷惑がかかることを恐れた本人が辞退する結果になった。


【2013年】
・2013年1月 大幅な退職金削減の強行。国家公務員の退職手当の支給水準引き下げに伴い、またもや対等な立場での労使交渉もなく、また国家公務員ではないにもかかわらず、公務員準拠の削減を強行。退職金から最大で500万円を超える減額が実施されることとなる。

・2013年4月 労働委員会のあっせんを拒否。一向に正常化しない団体交渉について、教職員組合が福岡県地方労働委員会に申請した「あっせん」に対し、法人は自分に都合のよい「学長の出席がなくても交渉を進めては」というアドバイスを逆手にとり、以降は団交に学長は全く出てこなくなった。挙げ句には、法人は、「交渉のための資料を作る気もない」と断言してあっせんのテーブルを自ら蹴り、労働委員もその姿勢にあきれ果てる中、あっせん不調という結果に。

・2013年4月 改正労働契約法の悪用。労働契約法改正の趣旨は「5年を超える長期雇用の非常勤職員は正規雇用へ転換」というもののはずが、逆に、 5年で雇い止めになるような就業規則の改悪を、労使交渉も経ず、また過半数代表の反対意見も無視して、平然と行う。

・2013年4月 講座推薦の評議員の拒否。講座推薦の2013年度評議員のうち、未払い賃金請求訴訟の原告の教員について、原告であることを理由に指名拒否。該当者が組合の書記長でもあったことから組合活動の妨害であり「不当労働行為」であるとして中止要求するも受け入れず。この拒否は2014年度評議員選出の際も繰り返された。

・2013年5月 必要性に疑問のあるアカデミックホール竣工。図書館改修で教室が足りなくなるとの理由で、部活動などで活用されていた多目的グラウンドの一部をつぶしてまで250人収容のホールを1億円もかけて建設。しかし一部のシンポや研修会を除いて授業での活用はほとんどなし。既存教室とのアクセスが悪いせいだが、そのアクセスの悪さに対応するため授業間の休み時間の変更を教員や学生の反対を押し切って実施。この変更が年度終盤に強行されたため非常勤への連絡や学生への連絡が行き届かず混乱を引き起こす。

・2013年9月 教育実習の疑義ある変更の強行。2013年度の附属学校での教育実習は9月第2週からのAグループ3週間に引き続きBグループ3週間となったが、冒頭の2日間AB両グループの<参観>に当てられ、台風などの影響もあり実習に必要な3週間が確保できたのか疑義の声があがった。2014年度はさらにエスカレートし夏休み明けで児童への指導などで忙しい9月1日に<参観>を実施。附属側の強い反対も押し切って大混乱が懸念されることを「学長命令」として強行する。

・2013年11月 学長ヒアリングにおいて原告との対面を拒否。各講座主任を招集して行った、学生就職に関する学長ヒアリングにおいて、学長自らが招集したにもかかわらず、未払い賃金請求訴訟の原告である2名の教員が参加したヒアリングは学長が出席を拒んで実現しなかったり、わざと席をはずしたりした。同様の露骨な対面拒否は、年度当初に行われる人事要望のヒアリングの2013、2014年度でも繰り返され、その結果講座に迷惑をかけないため原告がそうしたヒアリングへの出席を遠慮せざるをえなくなった。

・2013年11月26日 学長選考、意向投票結果を覆す。意向投票結果は、長山芳子候補(現教育学部長)123票、寺尾愼一候補(現学長)88票。投票率は9割近くとなり、長山候補が過半数の票を獲得。しかし学長選考会議は候補者の適格性について十分な審議もせず、寺尾学長の再任を決定。

・2013年11月28日 教授会にて意向投票結果尊重の緊急動議。学部・大学院合同教授会において、「学長選考会議に対して意向投票の結果を尊重した再審議を求める。併せてその内容の公表を求める」緊急動議。投票総数150、賛成113、反対25、白票11、無効1の圧倒的多数で可決。

・2013年12月12日 次期研究科長の選出
大学院教授会において、2014年4月からの大学院研究科長候補者を学内規程に基づき選出。しかし、学長は、教職員組合が学長選考を疑問視して行ったビラ配布に同候補者が参加していた点をとらえ、以下にみるように後日に研究科長への任命を拒否。

・2013年12月20日「福岡教育大学のミッションの公表にあたって」説明会における暴言。この説明会の席において、学長は、教職員組合が学長選考を疑問視して行ったビラ配布について、関係者の処分をちらつかせる発言。当該学長発言は、大学ホームページにおいて公表され、自らの強権的姿勢を社会に知らしめることとなった。
(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/view.rbz?pnp=100&pnp=112&pnp=226&nd=226&ik=1&cd=1130)


【2014年】
・2014年2月20日 役職者の大幅増員。文部科学大臣が寺尾愼一氏に福岡教育大学長の辞令を交付。理事・副学長3名、副学長5名(教育組織・カリキュラム改革担当、学生指導・学生支援担当、学術情報・ICT担当、入試改革・就職担当、研究開発・外部資金獲得担当)、副理事8名。それまでは副学長3名、副理事5名であった。(前学長の時は副学長は理事兼任のみで、学長特別補佐が4人置かれていた)

・2014年1月~3月 次期研究科長の任命拒否。
既に選出されていた研究科長候補者が、上記ビラ配布に関与したことを理由に、学長は研究科長任命を拒否。当時の研究科長や教授会議長団が数度説得を試みるが、学長は頑なに拒否。

・2014年3月19日 教授会を経ずに教員採用できる教員選考特例法強行。「学長は,本学の大学改革を迅速且つ確実に実施するために特に必要と認める場合には,国立大学法人福岡教育大学教員選考規程及び国立大学法人福岡教育大学教員選考基準に関する規程によることなく,大学教員の採用のための選考を行うことができるものとする」という特例法を評議会での投票もせずに決定(3月24日規程制定)。役員の下に置く資格審査委員会(理事・副学長・副理事)で教員資格を審査できる体制。それまでは教員採用は全て教授会を経ていたが、これにより教授会を無視することが可能な仕組みができあがる。

・2014年3月~4月 大学院3次募集を強行するも定員満たせず。
3月の第2次の大学院入試の結果、定員割れが生じたため、学長は、学内の反対を押し切り、急遽新年度4月に第3次募集を強行。結果、数名の入学者を確保したものの、定員は充足できないばかりか、新年度の繁忙期に業務過多が生じ、4月からの授業進行にも影響が生ずる。

・2014年3月27日 基盤的研究費のいきなりの半減。
学長が、4月以降の教育研究費をほぼ半減することを、突如予算編成方針として発表。4月以降既に予定されていた教育研究業務に多大な支障を生ずる。削減した額については、全学経費としてミッションの達成に資する目的に使用するとされたが、現時点で十分有効に活用されているとは言い難く、本来必要な業務に資金が回っていない状況。

・2014年3月31日 研究科長選出の規程改正案を強行。
学長の命令によって急遽教授会が召集され、研究科長を学長が任命する規程改正案が提出される。出席122、投票総数122、賛成15、反対96、白票10、無効1の圧倒的多数で否決。しかし直後に開かれた教育研究評議会では学長が投票による採決を認めず、規程改正を強行決定。

・2014年4月1日 規程違反のまま新たな研究科長の選出を強行。
規程を改正したところで既に選出された研究科長候補者の資格に影響はないはずだが、学長が相部保美氏(前附属学校部長)を研究科長に任命。規程違反・違法状態のまま大学運営が進行することに。

・2014年4月1日 役職者のさらなる増員。
副学長を1名増員(教職大学院改革・現職研修担当)。計6名に。

・2014年4月 戦略室の運用停止の強行。
改革の加速を理由に、重要事項を審議していた複数の戦略室を運用休止に。法人規程にはない「部局長会議」による独断専決型の大学運営体制に。

・2014年4月 正門前に突如看板が。正門前に突如、大学名を記した巨大な看板が立つ。残念ながら主要国道の3号線側から門に近づくと街路樹で隠されてほとんど見えないのに効果があるのか。立てるのだけで260万円ほどかかっているのに夜間ライトアップまで。

・2014年4月 プール改修で50mが25mに。プールの改修工事が行われたが、せっかく大学生が公式記録をとることのできる50mプールだったのが、25mプールになって残りの25mはコンクリートで埋められる。理由は学長の「小学校のプールは25mだ。小学校の先生になる学生には25mプールを与えるべきだ」とのこと。

・2014年6月26日 教育学部改組案も強行姿勢。
部局長会議において、教育学部改組案(初等選修制廃止、共生社会教育課程廃止、環境教育課程廃止、芸術学科の新設)を提示。以後、教授会では学部長からの報告は行われたが、本件に関する審議も意見聴取もなし。

・2014年7月 「教員養成の質向上に関する諮問会議」をめぐる問題。当初の会議規程では委員20名だったが、第1回会議で女性の委員が一人もいないことの指摘があり、急遽規程から人数を削除して委員を29人に増員して女性に委員を依頼。最初の委員依頼時点での見識が疑われる。

・2014年7月17日 臨時教授会で学部改組案の教授会審議を求める決議。
部局長会議において、教育学部改組案の改訂版を提示。
臨時教授会において、次の動議を全会一致で可決。

「次のことを学長に求めます。
(1)教育学部改組においては、教授会での審議を経るとともに、生涯教育3課程の意向を十分尊重して検討すること。
(2)教育学部改組にあたっては、初等教育教員養成課程選修制廃止以外の可能性も含めて検討すること。」

今回の教授会は、教授会構成員80名の署名によって開催された。署名は教育学部長に提出されたが、学長は、教育学部長に対して業務命令により署名者名簿の提出を強要した。

・2014年7月18日
定例教育研究評議会において教育学部改組案を審議。共生社会教育課程廃止、環境教育課程廃止について、反対意見を押し切り決定。初等選修制廃止については継続審議に。

・2014年7月25日
副理事を新たに任命して申請した「地(知)の拠点整備事業」に2年連続落選。九州において国立大学が採択されていないのは福岡・大分のみ。福岡は西日本工業大学が採択された。

・2014年7月31日
学長が本年度に学外者を招聘し設置した「教員養成の質向上に関する諮問会議」からの中間報告。初等選修制に関しては、入試やカリキュラムとも関係し、これまでの歴史や成果もあるため、今後検討を継続すべきという内容。

・2014年8月6日
臨時教育研究評議会において教育学部改組案を審議。初等選修制廃止について、学長は投票による採決を拒否し、承認されたこととする。諮問会議中間報告も無視。

・2014年8月10日 度重なる役職者の増殖。
副学長を1名増員(博士課程設置構想)。計7名に。

・2014年8月 改組についての学生の嘆願にも威圧的対応。まだ改組もきまっていない春の段階で副学長(教職大学院改革・現職研修担当)から、いくつかの学科を名指しして「廃止することになっている」との学外の会合での発言があった。危惧した共生社会教育課程の学生が約250名もの嘆願署名を携え学長に学科廃止反対の直訴を行った。しかし直訴を受けた学長の対応は不誠実そのものであった。「なんとも言えない」とぼかしておきながら「勝手な解釈をしないように」と釘を刺したり、「学部長や講座の先生に聞くように」と責任転嫁しつつ「学長が言ったとか、そういうことがまた二次波及するからしゃべらないように」と口止めまでする始末。最後には「みなさんが就職した会社で何かあったら、社長や管理職に直訴などするのか? 経営判断が示されたら、それを受け入れるべき。あなたは学生で、私は、大学を経営している」といった威圧的発言まで。発言の中に「外部の雑音」ということがあったのを聞いて、該当課程の卒業生でやはり廃止を危惧して署名を集めた代表者が学長への面談を求めた際も、たらいまわしして何日も放置したあげく、事務次長にまる投げし、学長本人は会おうともしなかった。

・2014年8月 図書館の長期サービス低減と時期を失する閉館。
2013年夏からの図書館の改修工事のため、ただでさえ長期にわたる臨時図書館での限定サービスが続いた上に、改修が2014年4月には終わっているにもかかわらず、教員採用試験等で需要の大きい8月~9月を完全閉館に。学生への教育サービスの要となる大学図書館の役割を完全無視。


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