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2015年06月17日

国立大「改革」 無理ある要請だ。撤回を

道新(6/17)

 下村博文文部科学相はきのう国立大の学長を集め、中期目標(2016~21年度)の策定に当たって踏まえるべき基本線を示した。

 各大学は国や経済界が描く大学像に沿うように特色づくりや学部再編を進めてもらいたい―。文科相の要請には、こうした国の意思が強くにじんだ。

 だが、大学を鋳型にはめ込み、研究現場から自由や自主性、多様性を奪えば、知力が先細りするのは目に見えている。文科相は要請を撤回すべきである。

 要請は、すでに文科省が各大学に通知した「人材育成などで地域に貢献」「強みある分野で世界的、全国的な教育研究」「全学的に世界で卓越した教育研究」の三つの枠組みに沿った改革方針だ。

 各大学はいずれかを選んで研究内容や組織を見直す。国から高い評価を得れば交付される運営費が増え、場合によっては逆もある。

 1兆円を超える運営費の分配が各大学で収入の3~4割を占める以上、従わない選択肢はあるまい。今後、お眼鏡にかなう目標や計画が出せるかを競う状況が生まれることは避けられない。

 特に問題なのは、教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院に対し「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に取り組む」と促したところだ。

 経済成長や技術革新を重視するあまり、実利や短期的な成果が期待できない分野を切り捨てる発想が見て取れる。

 しかし、人文・社会科学の基礎を成すのは価値観や倫理、社会思想の探究であり、それは健全な批判精神や創造力につながる。

 それなくして社会が進むべき方向づけや心の豊かさの実現、すべきこと、なすべきではないことの判別はままならない。

 15日に開かれた国立大学協会の総会で学長らから懸念が相次ぎ、里見進会長(東北大学長)が「短期で成果を挙げようと世の中が性急になりすぎているのでは」とクギを刺したのはもっともだ。

 文科省の方針の下敷きには政府の産業競争力会議からの要請がある。4月の会議で、大学の役割を明確にし交付金の配分にメリハリを付ける方向を打ち出した。そもそもそれが筋違いで無理がある。

 04年に国立大学が法人化された際、各大学が独自性を発展させ、主体的に研究を切磋琢磨(せっさたくま)する将来像を多くの教員が描いたはずだ。

 その期待を裏切るばかりか、反対の方向に向かうようでは大学の未来は危うい。

国立大学改革 人文系を安易に切り捨てるな

読売新聞(2015年06月17日)

 「知の拠点」としての役割を果たせるよう、国立大学が自ら改革を進めることが重要だ。

 文部科学省が、86の国立大学に対し、組織や業務の全般的な見直しを求める通知を出した。各大学は通知を踏まえて、来年度から6年間の運営目標と計画を作成する。

 2004年度の国立大学法人化により、大学の運営や財務は自由度が高まった。にもかかわらず、依然として魅力や個性に乏しい大学があるのも否めない。

 大学が、グローバルに活躍する人材や地方創生の担い手を育成する機能への期待は大きい。文科省が今回の通知で、各大学に改めて、強みや特色を明確に打ち出すよう促したのは理解できる。

 昨年の学校教育法改正で、学長はリーダーシップを発揮しやすくなった。学長が人事や予算の権限を適切に行使し、戦略性を持って、教育・研究の環境整備を図ることが欠かせない。

 疑問なのは、文科省通知が、文学部など人文社会科学系や教員養成系の学部・大学院について、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換を迫った点だ。

 確かに人文社会系は、研究結果が新産業の創出や医療技術の進歩などに結びつく理工系や医学系に比べて、短期では成果が見えにくい側面がある。卒業生が専攻分野と直接かかわりのない会社に就職するケースも少なくない。

 社内教育のゆとりが持てない企業が増える中、産業界には、仕事で役立つ実践力を大学で磨くべきだとの声が強まっている。英文学を教えるより、英語検定試験で高得点をとらせる指導をした方が有益だという極論すら聞こえる。

 だが、古典や哲学、歴史などの探究を通じて、物事を多面的に見る眼めや、様々な価値観を尊重する姿勢が養われる。大学は、幅広い教養や深い洞察力を学生に身に付けさせる場でもあるはずだ。

 必要なのは、人文社会系と理工系のバランスが取れた教育と研究を行うことだろう。

 文科省は来年度以降、積極的に組織改革を進める大学に、運営費交付金を重点的に配分する方針だ。学生の就職実績や、大学発ベンチャーの活動、知的財産の実用化の状況といった指標を基に、評価するという。

 厳しい財政事情を踏まえれば、メリハリをつけた予算配分も大切だろう。ただ、「社会的要請」を読み誤って、人文社会系の学問を切り捨てれば、大学教育が底の浅いものになりかねない。


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