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2016年02月21日

酪農学園大学で進行している事態を憂う

酪農大はやっぱり素晴らしい!
 ∟●寄稿(第10回)酪農学園大学で進行している事態を憂う!!

酪農学園大学で進行している事態を憂う!!


神沼 公三郎(かぬま きんざぶろう、北大名誉教授)


理由になっていない学長解任の理由

 2015年7月、酪農学園大学の干場信司学長が解任された。常識的に考えて、学長が解任されるとは学長自身によほどの非違行為があったか、あるいはそれに匹敵するぐらいに何か重大な一件があったのだろうと想像する。そこで私は、若いときからの知り合いである干場さんの立場が心配になって解任の理由を知りたいと思い、その理由が書かれているといわれる学校法人酪農学園の文書を読んだり、数人の酪農大関係者にたずねてみたりしてみた。だが、文書に書かれている解任理由は、どだい理由になっていないとの印象を強く持った。また、私の質問に答えてくれた数人の酪農大関係者からも、あれでは解任の理由にならない、あるいは解任の理由がさっぱりわからないという答えが返ってくるだけだった。要するに、理由にならない理由をもって学長解任という極めて異常な事態が発生したと言わざるを得ない。
 しかも解任の手続きが正当なものではないという。学校法人酪農学園の寄附行為には学長を解任する規定がない。そのため、理事会の意思で変更できる寄附行為施行細則に急きょ学長解任規定を新設して、それによって学長を解任したというのである。これはどう見ても理事長・理事会のご都合主義であり、しかも手続き上の瑕疵である。
 解任理由がおよそ理由になっていない点といい、解任手続きにおける明らかな瑕疵といい、あきれるばかりだ。理事長・理事会の恣意で干場学長を解任したのである。だから、干場さんは解任手続きの不当性を弾劾して自己の正当性を主張するため、裁判に訴えざるを得ない。あくまで私の判断だが、提訴した内容から見て干場さんが裁判に負ける要素はない。裁判に絶対に勝てると思う。だが、ここ数年、私が支援している大学関係のいくつかの裁判でつくづく思うのだが、裁判官は大学の自治をわかっていないし、わかろうともしない。また、裁判官という職種はどうも権力側の肩を持つ傾向が強いようだ。そんなことから、専修大学北海道短期大学や千歳科学技術大学などで起きた不当な教員解雇事件の裁判では、法人側のとった措置を裁判所がほぼ無条件に認定して、原告側が敗訴している。解雇が明らかに不当であっても、その不当性を裁判所が認めるかどうかは全く別問題である。そんなことから、干場さんの裁判でも油断は禁物だ。

大学自治の担い手を再確認しつつ支援運動を盛り上げよう

 ここ数年、学校法人酪農学園の理事長は、教育・研究の自由と大学の自治を常に強調する干場学長の言動が非常に気に入らぬ様子だったという。学外にまで大いに聞こえてきた酪農大の名称変更問題やその他のさまざまな問題など、いろんな点で酪農学園の理事会では激論がかわされたのだろう。そんなとき干場さんは、いつも大学の自治の観点を基礎に置いて意見を主張したと聞いている。そんな干場学長に対する一種の報復措置として学長職を解任したのであれば、この措置は、大学の自治を理事長・理事会が自ら破壊する行為である。
 大学の自治の中心的担い手は誰か。これに対する回答は論者によりさまざまであり、正解は一つではないだろう。だが、大学の自治のあり方と学生の存在、役割が深い関係にあるのは事実だ。かつて大学紛争という時代があって、学生の動向が大学の行方に大きな影響を及ぼした。大学の学長や経営者は教職員の動向を把握しようとするのもさることながら、それ以上に学生の動向に最大の関心を寄せ、注意を払った。学生の動きが大学の現状と将来にとって決定的に大きかったからである。
 なぜ、学生の動きが重要なのか。この問いに答えるのも簡単ではない。大学では教職員の人数よりも学生の人数がはるかに多いという、量的問題が重要なポイントであるのは事実だが、それ以上に、学生がいるから大学が成り立つ、学生がいなかったら大学ではないという単純な現象に問題の本質がひそんでいるような気がする。大学の主役は学生であると大学紛争の昔からよく言われたが、この本質的ポイントは、時が流れたとはいえ少しも変わっていないのではないか。
 酪農大の学生は干場学長の解任について理事長に説明を聞きたいと申し入れたが、理事長は即座に対応せず、一定の時間がたってからようやく説明会を開催した。そして、実際の説明会の場で理事長の説明は通り一遍、非常に不親切な内容だったという。理事長のこうした対応からは、事態の真相を知りたいという学生の要求に応えることが理事長にとっていかに苦痛で、いかに重大な課題だったかを読み取ることができる。学生の要求は、理事長に対してそれほどにパンチの効いたものだったのである。
 ここに、裁判支援の運動を進めるに当たり、学生の持つパワーと常に連携し、学生のパワーを常に引き出すような方針が求められる。大学の自治の主役は学生であるという命題を忘れず、むしろその命題を積極的に活かす目標を常に再確認していくならば、たとえ裁判所が大学の自治に関する判断が苦手であっても、かならずや裁判所の最終判断に影響を与える運動に結実していくであろう。

終わりに

 酪農大は、学校の始まりから数えるとすでに80有余年に達するという。その間に、言うまでもなく多くの卒業生を含む関係者各位のたゆまぬ努力があって今日の酪農大がある。聞けば、学生の過半数は道外から入学しているとのこと。建学の精神に基づく自由で自律的な教育・研究を展開してきた結果、酪農大の評価は、道内の他大学が大いにうらやむほど全国的に確たる地位を得ている。私の感じるところ、干場学長の解任に見られる理事長・理事会の横暴は酪農大における大学の自治を破壊し、歴史的に築かれた今日的到達点を無に帰せ占める行為である。その行為を許さず、ふたたび自由闊達な大学に戻すためにも、学生のパワーを常に引き出しつつ、裁判に勝利する道を追求してゆくべきである。

以上


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