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2016年05月03日

戦時下の東北大 文系軽視に異議 学内調査 阿部次郎、桑原武夫ら反骨示す

東京新聞(2016年4月30日)

 戦時中の一九四四年八月、東北帝国大学(現東北大)の熊谷岱蔵(たいぞう)総長が、大学の進むべき方向について教員に尋ねたアンケート結果が東北大に残っている。作家の阿部次郎教授や仏文学者の桑原武夫助教授らが、軍事中心、文系軽視の方針に異議を唱えていた。防衛省が研究資金を用意するなど再び大学と軍事が近接し、文系学部の再編も論議される現在、「学問の自由」の原点を見つめ直す史料として再評価の機運が高まる。(望月衣塑子)


 東北大学百年史を編さんしたメンバーが九七年、九十二人の教授らの直筆の回答書を大学本部の書庫で発見した。機密扱いの書類であり、戦争推進の意見もあることから、発見当時は遺族の意向に配慮して個人名を公表しなかった。


 戦時中は、武器製造のため理系研究が推奨され、文系廃止論が強かった。文系と理系で「命の格差」も生まれた。同大史料館の永田英明准教授によると四三年十二月時点で法文学部の男子学生の72・3%が入隊を課されたのに対し、医学部は1・4%など理系はほとんど徴兵されなかった。


 四四年は、学徒動員で大学が事実上、教育機能を失っており、総長のアンケートは、存亡への危機感から行われたとされる。


 大正・昭和期の学生のバイブルとされた青春小説「三太郎の日記」を執筆した法文学部の阿部教授は回答書で「あらゆる研究及び教育の継続は、時局の急迫中においても、依然として必要なり」と主張。「大東亜共栄圏の実現は圏内の人心を底から掴(つか)むことなしに期し難い」と、戦争を否定しない形で、文系の充実を訴えた。


 戦後さまざまな文化的運動で主導的な役割を担った同学部の桑原助教授も「今次大戦の帰結如何(いかん)に拘(かかわ)らず、欧米的なるものが尚当分世界に支配的勢力を振るうべきは明白なり」とし、研究対象を日本のものに限定する風潮を「国家百年の計にあらず」と批判する。


 文系学部には再び、逆風が吹き始めている。昨年文部科学省は国立大学に文系学部の廃止や転換を求めた。「文系軽視」との批判に同省は「誤解を与える表現だった」と釈明したが、八十六大学中二十六校はその後、一部課程の廃止を含む再編の意向を表明した。永田准教授は「大学の在り方は常に社会や政治との関わりの中で問われ続けてきたが、アンケートにみられる人類や社会にとって何が大切かという普遍的、長期的な視点で教育や研究の在り方を考えることが大切だ」と訴える。


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