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2016年12月05日

富山大学懲戒解雇事件、懲戒解雇撤回の和解についての原告および「支援する会」世話人一 同のコメント

竹内潔氏のコメント
「竹内潔氏の復職を支援する会」・世話人一同のコメント
「シュレッダーから甦った書類ー富山大学懲戒解雇事件を考える」

竹内潔氏のコメント

2016年11月29日

■裁判では無根拠で不適正な手続きによる処分であることを主張

 懲戒解雇処分では、教授昇任人事応募、研究費申請、大学院設置申請の際の書類に、私が「架空」、「虚偽」の著書や論文を記載したとされました。
 裁判では、教授昇任人事の際に提出した書類は、応募者の教育研究従事年数と論文・著書の「点数」が教授資格を満たしているかを確認する予備選考の段階で提出したものであり、富山大学が「架空」の記載とした論文は、ページ数や雑誌名を誤記しただけで実物があり、1点としてカウントされたことに間違いはないこと、富山大学がやはり「架空」とした著書の記載については、出版社等と刊行契約があり原稿もあったので「刊行予定」等と記載しましたが、これは文系の業績の記載慣行に照らしてなんら「虚偽」ではないことを立証しました。また、富山大学が、私が「刊行予定」等と記載した著書を「点数」としてカウントしたかどうか明らかにしていないことなども立証しました。さらに、誤記した論文と「刊行予定」等と記載した著書を除いても、私には教授資格の基準点数の2倍の点数の業績があったので、わざわざ「虚偽」を記載する動機がないことも明らかにしました。
 なお、私は教授に昇任していませんが、これは、業績記載とは関係のない所属学部内の事情によるものです。
 また、研究費申請書類については、たとえば、「架空」、「虚偽」の記載によって、富山大学の「学長裁量経費」1490万円(研究費)を私一人が不正に取得したという富山大学の主張に対して、刊行契約があった著書の記載が「虚偽」ではないことを主張するとともに、実際は私を含めて18名の教員が共同で申請した応募書類には応募者全員の多数の業績が記載されており、審査をおこなった富山大学自身が、私の1,2点の記載が経費の獲得に影響があったかどうか分からないとしていることも立証しました。なお、獲得した経費は、申請者全員でほぼ均等配分しており、私一人が1490万円全額を受領したという事実はありません。
 大学院設置申請の際の書類については、事務で書式の点検を受けるために出した準備段階の書類に、記載の指示にしたがって刊行予定の著書を記載しましたが、文部科学省に提出した正本(署名・捺印した書類)には刊行が遅れた著書の記載を削除していて瑕疵がないこと、富山大学が懲戒処分の対象とした準備段階の書類は扱った事務職員が不要書類として廃棄したことなどを明らかにしました。裁判において、富山大学は、この準備段階書類をどこから入手したのか、最後まで明らかにしませんでした。
 以上のように、裁判では、私が「架空」、「虚偽」の業績記載をおこなったという富山大学の主張は、文系の記載慣行や多種多様な書類の性格や審査状況を度外視して、廃棄された書類までかき集めて恣意的に「不正」の例数だけを積み上げた根拠が無いものであることを立証しました。

 懲戒処分に至る経緯では、私が病院で検診を受けるために届けを出して欠席した教授会で、あたかも私が虚偽の記載をしたことを認めたかのような報告がなされて、私は懲戒の審査にかけられることになりました。また、富山大学の内部規則になんの規程もない「疑義調査会」という組織が設置されて、組織の懲戒の審査との関連やメンバーシップを私に知らせず、秘密裡に図書館員に業務を装わせて出版社や他大学に問い合わせをさせるといった不公正な手続きがとられました。さらに、懲戒処分を審査する「懲戒委員会」の構成が理系の教員に偏っており、私の発言が理解されず何度も嘲笑を浴びたことを私が抗議したところ、同会の委員長からかえって処分を重くするという回答がありました。私は、富山大学内では公平な審査は期待できないと判断し、2013年1月に富山地裁に処分差し止めの仮処分命令を申し立てました。
 富山大学は、この申立のために事務負担が倍加したという理由で、懲戒解雇処分の量定に加えましたが、裁判では、これは、憲法が基本的人権として保障している「裁判を受ける権利」を富山大学が否定したものと主張しました。また、富山大学は、私の「虚偽」、「架空」の記載のために、富山大学の教員が、日本学術振興会の科学研究費を獲得する割合が低下するとして、やはり量定に加えましたが、私は、日本学術振興会は私の記載を「虚偽」とはしていないことや税金が原資の科学研究費の審査において連帯責任制のような不当審査がおこなわれるはずがないことを主張しました。さらに、上記の不公正な手続きや審査がおこなわれた背景には、私がおこなった内部通報が関連していると指摘しました。

■和解を受け入れた事情

 私は、以上の立証と主張によって、そもそも私の事案は懲戒処分の対象になるものではなかったことを明らかにしようとしました。したがって、出勤停止処分への変更という今回の和解は、懲戒権の濫用を富山大学が認めたという点では成果があったと考えますが、懲戒解雇によって、長く研究と家計の経済的基盤を奪われ、家族までが社会的な差別を受けることになった私にとって、十分に満足のいくものではありません。また、私は16年の富山大学在職中に、およそ170名の学生を指導して社会に送り出しましたが、富山大学には真摯に学問を学ぼうとする学生が多く、もう一度彼らの教育を継続したいという思いも強くあります。
 しかし、申立の裁判に勝訴しても、富山大学が異議申立や本裁判を求めると、さらに最低でも3年、裁判が続くことになります。申立の裁判に約2年かかったため、家計の逼迫の度合いが増して家族の将来が危ういこと、また、最終的に勝訴が確定したとしても、その頃には、定年間際になってしまうことを考えて、和解の道を選ぶことにしました。また、富山大学は、この2年の間の裁判書面に、私の人格を否定する罵倒句をこれでもかというほど書き続けました。もはや、富山大学には、私の戻る場所はありません。新しい場所を探して、処分で喪った3年の間にできたことを少しでもとりもどしたいと思います。
 このような次第で、私は和解を受け入れましたが、今後、富山大学で、不公正かつ恣意的な手続きや審査による処分がおこなわれて、教員の研究や教育の途が閉ざされる事態が二度と生じないよう、強く希望します。

「竹内潔氏の復職を支援する会」・世話人一同のコメント

2016年11月29日

■全国の大学に例をみない異常で杜撰な処分で竹内潔氏の社会的生命が奪われたこと
 
 竹内潔氏に対する懲戒解雇処分は、文系研究者の常識から見て、きわめて異例で、異常なものでした。たとえば人事の場合、文系では、公刊され内容が確定している著書は研究業績として認められ審査対象となりますが、研究業績リスト等に「刊行予定」等と記載された未公刊の著書は実際に公刊されるまで内容が確定しませんから、研究業績として認めるかどうかは、個々の人事選考を担当する委員会の責任と裁量に任されます。委員会では、一切認めない場合もありますし、研究業績として認める基準(原稿、出版証明書、ゲラの提出など)を設定する場合もあります。研究業績リストに記した著書が設定された基準から外れた場合、記載したことが咎められるということは生じません。たんに、その著書が審査対象から外されるだけです。
 つまり、応募者は、研究業績リストに記載した未公刊の著書の取り扱いを審査側に委ねるのが文系の慣行です。まして、竹内氏の人事や学長裁量経費の場合では、審査側から、研究業績として認める基準が示されることさえなかったのですから、同氏の記載が問題になるはずはありません。実際、私たちが知るかぎり、全国の文系学部で、研究業績リスト等の業績記載で、懲戒解雇はおろか、軽度の懲戒処分を受けたという事例もありません。富山大学は、学術雑誌に受理された時点で論文の記述内容が確定するために厳密な基準が設定できる理系の基準を援用して、強引に竹内氏の記載を「虚偽」・「架空」と断じ、さらに研究者にとっては目次にすぎない研究業績リストの記載を「経歴の詐称」とみなすという著しい拡大解釈をおこなったのです。
 このように、竹内潔氏に対する懲戒解雇処分は、異例かつ異常なものと言わざるをえないのですが、富山大学自身が不要として破棄した書類の記載までが問題となったことや竹内氏のために富山大学教員の科学研究費の採択率が低下するという主張、竹内氏が処分差し止めの申立をおこなったことについての憲法を無視した罪状の付加などにいたっては、常軌を逸しているとしか表現できません。この種の理由がまかりとおるのであれば、どの大学のどの教員もいつ懲戒処分を受けても不思議ではないと言っても過言ではありません。
 懲戒解雇は、再就職が困難なため、「労働者に対する死刑宣告」と呼ばれますが、社会的信用が重視される大学教員の場合は、社会的生命を完全に断たれるのに等しい処分です。さらに、竹内潔氏の場合は、ご家族にまで、誹謗や友人関係の断交という苦痛がもたらされました。とりわけ慎重であるべき大学における懲戒解雇が、大学人の常識からかけはなれた杜撰な理由でおこなわれたのが、富山大学が竹内潔氏におこなった処分なのです。

■国立大学法人2例目の懲戒解雇取り消しの和解は実質的に勝訴であること■

 和解については、国際的に評価を得ている研究の総括の時期に入っていた竹内氏が懲戒解雇処分や長期化した裁判のために研究が継続できなくなっていることやご家族の逼迫した事情を考慮すると、竹内氏の復職を願っていた私たちとしては残念ではありますが、受諾が現実的な選択肢だと考えています。
 ただし、私たちは、今回の和解で懲戒解雇処分が取り消されたことについては、富山大学による懲戒権の濫用が認められた実質的な勝訴であると、一定の評価を下しています。巨大な大学組織を相手とする裁判は個人にとってはきわめて困難なものです。国立大学の法人化以降の12年間で、今回の竹内氏の件以外で、国立大学がおこなった懲戒解雇処分が取り消された例は、2011年3月の那覇地裁における琉球大学教員の事例(停職10ヶ月への変更)だけです。今回の和解での懲戒解雇取り消しは、この例に次ぐ2例目となりますが、この点でも評価しうると言えます。
 私たちは、2004年の国立大学の独立行政法人化以降、学内行政が管理側による恣意的な「支配」に変わりつつあるという危惧を持っていますが、竹内氏の懲戒解雇は、このような変容がもたらした突出した事例だと考えています。竹内氏の懲戒解雇問題は、裁判では和解で終結しましたが、この処分は大学の民主的で創造的なあり方を考える際の多数の問題を含んでおり、今後、多くの大学人によるより詳細な検討が必要だと考えています。

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