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2017年03月31日

同志社大学・浅野教授定年延長拒否事件の概要

浅野教授の文春裁判を支援する会
 ∟●同志社大学・浅野教授定年延長拒否事件の概要

同志社大学・浅野教授定年延長拒否事件の概要

☆闇討ち・暗黒裁判だった浅野教授追放

浅野健一・同志社大学(以下、同大)大学院社会学研究科メディア学専攻教授は2014年3月末、学校法人同志社(水谷誠理事長=神学部教授、以下同志社)による定年延長拒否=解雇という形での“だまし討ち”“暗黒裁判”で不当解雇されました。浅野氏は14年2月3日、同志社を被告とし、京都地方裁判所第6民事部(堀内照美裁判長)に従業員地位確認等請求訴訟を起こし、これまで15回の口頭弁論が開かれ、今年3月1日(水)午後1時10分、京都地裁203号法廷で判決の言い渡しがありました。堀内裁判長は請求を棄却しました。浅野氏は判決は不当として、3月10日付で控訴しました。大阪高裁で控訴審が行われます。判決については、浅野支援会のHPを参照ください。

浅野氏は1972年に慶應義塾大学経済学部を卒業、同年4月から一般社団法人共同通信の記者となり、社会部、千葉支局、外信部で記者やデスクとして働き、ジャカルタ支局長などを歴任しました。

浅野氏は94年3月末に共同通信を退社し、同年4月から2014年3月末までの20年間、同志社が運営する同大大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程(旧・大学院文学研究科新聞学専攻)及び同大社会学部メディア学科(旧・文学部社会学科新聞学専攻)において教授の職にありました。1998年に大学院文学研究科新聞学専攻(2005年に社会学研究科メディア学専攻と改称)博士後期課程が設置されましたが、その際、文部省(当時)による教員審査で、博士論文の指導が可能な「D○(マル)合」の資格が認められています。設置が認可された博士後期課程にはジャーナリズム、コミュニケーション、情報文化の三つのコースが設けられ、浅野氏はジャーナリズム分野の責任者となりました。

浅野氏は村田晃嗣学長(15年11月の学長選挙で敗北し16年3月辞任、法学部教授)とメディア学専攻の同僚である渡辺武達教授(2015年に70歳で定年退職、現在名誉教授)が中心となった“闇討ち”の暗黒裁判で同大から暴力的に追放されました。1951年以降、すべての大学院教授に認められている定年延長を社会学研究科委員会(教授会)において前例のない無記名投票で拒否され、「65歳で退職」という形の極めて巧妙なやり方の不当解雇でした。

浅野氏は「65歳定年」で、同志社総長から感謝状をもらって退職した形になっていますが、実際は同志社大学からの完全追放でした。20年間も大学院教授・学部教授を務めたのに、名誉教授にもならず、70歳まで任用可能な他の雇用形態(特別任用教授、客員教授、嘱託講師など)での再雇用もありませんでした。

浅野氏の定年延長を審議した13年10月30日の社会学研究科委員会(35人の専任教員で構成)で、浅野氏の同僚4人(小黒純・竹内長武・池田謙一・佐伯順子各教授)は「浅野教授の定年延長 検討事項」と題したA4判・2枚の文書(作成者名、作成日時なしの怪文書)を配布しました。根拠を示さない一方的な非難・中傷を列記した文書でした。「研究者としての能力に問題」「学生本位の教育がなされていない」「御用組合、デマなどの用語を使っている」……。「専攻科の教員がストレスにさらされ帯状疱疹を発症」などという非科学的言いがかりさえありました。

小黒氏は16年12月20日、京都地裁へ提出した陳述書で、浅野氏が13年度の「新聞学原論Ⅰ」の講義概要で、朝日新聞の11年10月15日の社説を引いて、〈「大本営発表」報道だったとあっさり認め自省した〉と書いたことを取り上げています。

〈(社説では)「大本営発表」になっていないか」という「厳しい批判にさらされている」と述べられているにとどまり、自らの報道が「大本営発表」になっていたと認めてはいませんので、明らかな誤読か、意図的な曲解と考えざるをえず、研究者・教育者として極めて不適切〉

この後、小黒は、浅野氏が〈自らの主義・主張、政治的信条を前提とした授業が行われていると推認され、院生・学生本位の教育ではない〉と非難しています。

しかし、 依光隆明・朝日新聞記者(元・東京本社特別報道部長)は「福島原発事故に関する朝日新聞の取材・報道は“大本営発表”になっていたというのが朝日社内の一致した感覚だと思う。私たちが『プロメテウスの罠』(11年10月~16年3月)の連載を始めた原点も、その反省の上に立ってのことだ」と話しています。

小黒氏らは、日本に国際標準のジャーナリズム創成を目指す浅野研究室を破壊するために、同大における定年延長制度の不備を利用して、浅野氏の追放を強行したのです。

浅野氏は地位確認訴訟の他、16年3月13日、渡辺氏と怪文書作成の4教授(小黒・竹内・池田・佐伯各教授)を相手に、京都地方裁判所第3民事部(久保田浩史裁判長)に名誉毀損・損害賠償請求訴訟を起こし、4月13日に結審の予定です。浅野氏は、さらに、5人と共謀して研究科委員会で規定にない「可決要件3分の2の無記名投票」(新任採用教員採用の際の要件)で定年延長を拒否する議決を強行した冨田安信・前社会学研究科長(産業関係学専攻教授)を被告とする損害賠償請求訴訟を神戸地裁民事4部(石原和孝裁判官)に起こしています。

☆矛盾に満ちた院教授だけの定年延長制度

浅野氏の不当解雇の経緯と現状は次の通りです。

同志社の教職員の定年は65歳ですが、同大には、「同志社が必要とする大学院教授」だけは70歳まで定年延長(1年ごとに更新)されるという制度があります。博士後期課程の博士論文指導ができる教授を確保するために1951年に「当面の間」として導入された制度が66年間も続いています。同大の定年延長制度は、大学院教授は65歳で退職せず、試験監督などの雑務が減ったうえで、65歳時の賃金が保証される「私たちから見れば『夢のような制度』」(勝村誠・立命館大学政策学部教授)で、これまで定年延長を希望する大学院教授に自動的に認められてきました。同大の大学院教授の65歳時の年収は1700万円を超えています。5年間の定年延長で退職金も増えますので、70歳で定年退職する大学院教授と、65歳で退職する非大学院教授との生涯賃金は約1億円違います。このように、同大の定年延長制度は、大学院教授だけの特権であり、大学院教授ではない教員(一般教養科目担当、外国語・体育担当、研究所)にとっては差別的制度で、同志社大学教職員組合でも古くから問題になっていました。「院教授の特権を認めて差別的で、職場の風通しを悪くする同大独自の定年延長制度は根本的な改革が必要」(社会学専攻・板垣竜太教授、2012年度同志社大学教職員組合委員長)で、1997年度の大学組合委員長の浅野教授も同じ見解を持っていました。

☆同僚4教授の妨害と前代未聞の教授会での投票で定年延長拒否

しかし、浅野氏の定年延長を、「大学院教授としての適性に欠ける浅野には認めない」と「メディア学専攻」教授4人が密室の会議で決め、大学執行部が容認したため、教壇に立てなくなりました。

浅野氏は13年7月に65歳になりました。同年10月16日までに決まり、冨田研究科長に提出された14年度開講科目には「浅野教授の講義」(大学院5、学部12科目)が明記されていました。全国の受験生に配られた14年度版大学案内には、浅野氏と浅野ゼミ出身でメディアに就職した卒業生の写真が掲載されていました。14年度の大学院案内にも浅野氏の科目が載っていました。これらはいずれも、「浅野教授の定年延長」を前提としたものでした。

ところが10月29日、浅野研究室に小黒教授名義の「浅野教授の定年延長を提案しない。渡辺教授の定年延長は提案する」旨の文書が投函されていました。「メディア学専攻」6人のうち、浅野、渡辺教授を除く4人で10月25日に決めたということでした。

10月30日、「社会学研究科委員会」(35人の専任教員のうち31人が出席)が開かれ、浅野氏以外の5人(渡辺教授を含む)の定年延長が各専攻から提案されて承認されました。冨田研究科長は、浅野氏は「専攻会議では拒否されたが、浅野先生自身が自身の定年延長を来防しているので、私から提案する」と議題にしました。浅野氏の退席後、冨田研究科長とメディア学専攻の教授4人が怪文書を配布しました。11月13日、研究科委員会で浅野氏の定年延長が継続審議されました。定年延長は承認事項だったため可決要件の規定が全くなく、冨田研究科長が独断で「3分の2の賛成で可決」と提案し投票、「否決された」と浅野氏に通知しました。

渡辺教授とそのグループは03年8月から、「浅野教授がセクハラをした」と学内の委員会に申し立てたり、それを「週刊文春」に垂れ込みして書かせたりしてきました。それが全部虚偽だったことは、浅野氏が起こした対文春、対渡辺教授の名誉毀損訴訟2件で浅野氏が全面勝訴(両裁判の確定判決では、渡辺氏が証拠にしたメールなどを改竄し、同大の信用を失墜させたと認定)したことにより、証明されています。

今回の定年延長妨害も「渡辺グループ」が画策し、安倍晋三首相に近い村田学長、尾嶋史章副学長(村田氏の側近、社会学専攻教授)らが追認しました。「メディア学専攻」が定年延長を提案しなければ、目障りな浅野氏を排除できます。名誉毀損の被害者を追放し、加害者を〝延命〟させる卑劣極まりない工作でした。

被害者は浅野氏だけではありません。浅野ゼミの院生・学生が新年度から希望のゼミを失いました。浅野氏は京都地裁への地位保全仮処分申し立て(13年12月27日、14年5月に却下)の陳述書で、こう書いています。

《私の研究の原点は、「声なき声」、少数者、被抑圧者の立場に立つことです。生きた学問に忠実で、象牙の塔に籠らない学者、学生たちと真に人間的につきあう教授、何よりも人間として今何が必要なことかを教える人になろうと努力してきました》

新島襄が創った「官ではない民の学園」の同大は、こんな研究者・教育者を追放する大学なのでしょうか。

地裁裁判の審理で、同大では大学院教授の場合、70歳定年が制度化していること、浅野氏のような事例は皆無であることが明白になりました。浅野氏の定年不延長を大学院メディア学専攻の同僚(後輩)4人が密室で「決定」し、それを専攻会議の議決を経ていないのに、冨田研究科長が「専攻で決定した」とウソをついて、研究科委員会、大学執行部が「研究科・学部の自治」「定年延長は各研究科の審議事項」(村田晃嗣学長=当時)として追認(黙認)したのが「浅野ケース」です。

定年延長をめぐる労働裁判はこれまでいくつかありましたが、日本大学国際関係学部で教授会において定年延長を拒否された教授が勝訴するなど、大学側がほとんど敗訴しています。

同大の現役学生有志が14年7月以降、浅野氏の教壇復帰を求める要望書を大学と同志社に計5回提出しています。また、学生有志が14年9月から、自主ゼミ「浅野健一ジャーナリズム講座」を同大内で開催しています。浅野氏の闘いは日本におけるジャーナリズム教育研究の拠点を取り戻す活動でもあります。浅野氏の三つの裁判の行方に注目ください。

☆浅野ゼミOB・OG、現役学生らが支援

浅野氏の三裁判については、浅野支援会HPを読んでください。

http://www.support-asano.net/index.html

また、浅野ゼミの20年の歩みはゼミのHPをご覧ください。

http://www1.doshisha.ac.jp/~yowada/kasano/index.html

浅野氏の雇用闘争では、以下の4団体が支援しています。

「浅野先生の教壇復帰を求める会」(大内健史・代表幹事、同志社大学文学部2016年卒、mr.ootake@gmail.com)

「浅野先生を守る会」(吉川幸祐会長=同大政策学部2015年卒astrophysik928@gmail.com、木平良史事務局長=同大法学部卒)

「浅野健一ゼミ・OBG会」(馬場尚子会長、bbnaoko@gmail.com)

「浅野教授の労働裁判を支援する会」(山際永三代表・〒168-0064 東京都杉並区永福4-3-2、電話 03-3328-7609、eizoyama@asahi.email.ne.jp)

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