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2017年03月31日

同志社大学解雇事件、京都地裁不当判決 教授ポスト剥奪を合法化

浅野教授の文春裁判を支援する会
 ∟●同大の教授ポスト剥奪を合法化した不当判決、“ヒラメ”裁判官・堀内照美裁判長の蛮行

同大の教授ポスト剥奪を合法化した不当判決
“ヒラメ”裁判官・堀内照美裁判長の蛮行

浅野健一・同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授は3年前の2014年3月末、20年間務めてきた教授ポストを、村田晃嗣学長(当時)執行部、渡辺武達教授(70歳定年退職後、2015年4月から名誉教授)ら同じ専攻・学科の教員6人、冨田安信社会学研究科長(当時)らの闇討ち・暗黒裁判によって剥奪されました。浅野教授が2014年2月3日に学校法人同志社(水谷誠理事長=神学部教授)を相手に起こした「地位確認等請求訴訟」の判決が3月1日(水)午後1時10分、京都地方裁判所第6民事部(堀内照美裁判長、髙松みどり右陪席裁判官、築山健一左陪席裁判官)であり、堀内照美裁判長は「原告の請求をいずれも棄却する」「訴訟費用は原告の負担とする」との主文を言い渡しました。 

傍聴した支援者、浅野教授らからの報告をもとに、3・1判決について、以下報告します。

堀内照美裁判長が政治的判決、3月10日付で控訴

堀内裁判長は、3年間の審理で行われた証拠調べを無視して、被告同志社の代理人、小國隆輔・多田真央両弁護士(大阪・俵法律事務所)の詭弁と冨田安信・研究科長(当時、産業関係学教授)の偽証を「証拠」として認め、同大による忌まわしい不当解雇を正当化しました。

堀内裁判長らは西日本トップ私大の同大の犯罪を免責し、形式論だけで浅野教授の地位を奪った同大当局の共犯者になりました。判決文の「当裁判所の判断」は4ページ半しかありません(注)。冤罪事件、公安事件の認定のようで、被告側の主張をすべて「不自然ではない」などと採用、原告側の証拠については「証明がない」と切り捨てた極めて政治的な判決です。これは昨年11月24日の東京地裁(辻川靖夫裁判長)による城﨑勉さんのジャカルタ事件の刑事裁判での「初めに有罪ありき」判決に酷似しています。辻川判決は被告人に偏見を持ち、直接証拠が何もないのに「推認」だけで有罪としました。

堀内裁判長ら裁判官3人は御用裁判官です。裁判官というのは巨大な権力を持っています。黒を白と言い切れるのです。しかし、誤った判決は高裁、最高裁で改めなければなりません。大学教員の位置がこんな理不尽な方法で剥奪されるのを許してはなりません。堀内氏は、安倍晋三首相の御用学者、村田晃嗣学長(当時)体制の御用裁判官でした。

浅野教授は一審敗訴の場合、控訴すると決めており、判決言い渡し後に判決文を入手して、被告代理人の荒唐無稽なウソだらけの主張をコピペしたふざけた判決だと知り、判決報告集会で、「残念な結果になったが、新たに構成する弁護団と元学生・支援者と共に、大阪高裁で逆転勝訴を目指す」と表明しました。

3月15日が控訴期限でしたが、浅野教授の控訴審代理人は3月10日、京都地裁へ控訴状を送りました。裁判所が控訴状を受理してから50日以内に控訴理由書を大阪高裁へ提出しなければなりません。控訴審の弁護団は山下幸夫(東京弁護士会)、高田良爾(京都弁護士会)、山縣敦彦(第二東京弁護士会)の各弁護士です。山下弁護士は対冨田裁判、山縣弁護士は対渡辺裁判、怪文書5人裁判の代理人です。高田弁護士は岡山大学医学部教授解雇事件の原告代理人をしています。岡山大事件は、全国大学事件情報のHPに載っています。浅野教授の事件もHPに掲載されています。http://university.main.jp/blog/ 

一審の弁護団は3月9日、大阪の武村二三夫弁護士事務所で約2時間、判決検討会を開き、控訴審弁護団に助言などをしてくれることになりました。

教授の労働権、学生の教育権を蹂躙した裁判官

浅野教授の解雇・追放を主導したのは、メディア学専攻の渡辺教授、同僚4人(小黒純・竹内長武・池田謙一・佐伯順子各教授)と社会学部メディア学科の河﨑吉紀准教授(浅野ゼミ2期生)です。この7人を背後で操ったのが安倍晋三首相に近い村田晃嗣学長(15年11月の学長選挙で完敗、現法学部教授)、尾嶋史章副学長(当時、現社会学専攻教授)ら当時の大学執行部です。同志社大学教職員組合(浅野教授は1997年度の委員長)は浅野教授の解雇を「大学の自治、学部の自治に介入できない」という理由で取り上げませんでした。浅野教授は「組合を脱退していない」(佐藤純一書記、組合が65歳以降も嘱託書記として再雇用)状態ですが、「個別事案の裁判は支援しない」(佐藤書記)浅野教授に通告しています。組合は大学執行部の共犯者です。

堀内裁判長は、小黒氏を「議長」と認定し、専攻会議の決定がなく、社会学研究科委員会(教授会)において前例のない無記名投票を強行したなどの手続き上の重大な瑕疵を見ず、最初から「棄却」ありきの判断を示しました。定年延長は労働契約ですが、毎年3月中旬にすべての教員(嘱託講師を含む)に送られてくる「出講案内」「個人別時間割表」の送付が、労働契約の「申し入れ」で、送られてきた定年延長対象者が黙っていれば「承諾」だという被告代理人の主張を認めました。同大では次年度のゼミの仮登録を12月から1月に行い、教員に対し、次年度のシラバスの提出を1月上旬に求めています。新学年が始まる約10日前に定年延長の労働契約が結ばれるというのはあり得ません。

原告の浅野教授と弁護団、支援者は1975年以降、65歳になったすべての大学院教授を調査し、浅野教授のように、専攻や研究科委員会で拒否されたケースはないことを証明したのに、それは「たまたまそうなっただけ」で、「65歳で定年退職」「65歳以降の定年延長は慣習にはなっていない」(権利ではない)と判断しました。浅野教授が解雇された後の、大学における教育指導に関しては、全く言及していません。大学の実態を知る人なら、定年延長が3月下旬に決まるなどという見解は荒唐無稽だとすぐわかるでしょう。大学にとって一番重要なのは、「科目」を教え、学生の指導をすることですが、堀内裁判長は指導教授を失った博士後期・前期の学生のことを忘れてしまっています。

同大において、大学院教授は70歳まで教授を続けるという慣行があるのは周知の事実です。浅野教授は13年10月に、日本学術振興会(文科省)の科学研究費の申請を行っていました。14年4月から2年間の研究で、テーマは「尖閣(釣魚島)・竹島(独島)領土問題に関する日本・中国・韓国のマスメディアによる取材・報道の検証」でした。博士後期課程2年生だった矢内真理子氏の学振「DC2」特別研究員の受入研究者(指導教授)を14年4月から16年3月まで行うことが13年9月に内定していました。矢内氏の研究テーマは「東電福島原発事故とメディア」でした。ロシアのペテルスブルク大学を卒業した学生が日本政府奨学金で14年8月来日し、15年4月から2年間、浅野教授が受入研究者(指導教授)となって指導することが13年8月には決まっていました。彼女の研究テーマは「外国人刑事事件と日本の新聞」でした。

浅野教授の科研の応募、学振研究員・国費留学生受入はすべて学長を通じて文科省・学振に対して申請・認可が行われています。同大が浅野教授を14年4月以降も雇用するという前提がなければ、学長がこれらの書類に署名・押印するはずがないのです。同大では教職員も学生・保護者も、大学院教授の定年は70歳と考えています。

また、同大では大学院教授は、67~68歳になったころから博士後期課程の学生を受け入れません。博士号を取るには、後期課程に入ってからどんなに早くても3年はかかるからです。

学部のゼミの募集でも、大学院教授は70歳まで教授を続けるという前提があることが、3・4年連続履修で卒業論文指導も兼ねる本ゼミ(演習)の募集をしなくなるのが、69歳の時だということでも分かります。浅野教授が64歳だった12年1月、3・4年生連続履修のゼミの募集を行い、4月に13人が登録しました。浅野ゼミ20期生で、15年3月に卒業予定でした。退職予定の教員のゼミは退職の2年前からゼミ募集をやめます。4年次に教員がいなくなるためです。渡辺教授が3年ゼミの募集をやめたのは、14年4月です。渡辺氏は69歳になっており、15年3月末に70歳定年退職するためでした。

堀内判決のように、大学院教授も65歳が定年で、定年延長は慣行ではないというのなら、65歳の時点で科研の応募はできないし、ゼミ募集は64歳の時にできなくなるはずです。堀内裁判長は同大の60歳代前半の教授の指導を受けている学生に、「あなたの先生はいつ退職するか」と聞いてみればいいのです。大学院へ進もうと思っている学生なら、100%が「70歳までいる」と答えるでしょう。

被告同志社の水谷理事長(法人と大学施設部長は16年8月に産廃事件で有罪確定)も、4月から総長に就任する八田英二・元学長も定年延長中です。水谷理事長と八田新総長の所属する神学研究科、経済学研究科はどういう「審議」を行って、定年延長を認めたのでしょうか。両教授には博士後期課程の学生はいるのでしょうか。両教授の所属する研究科委員会で、どのように、「研究業績、教育実績及び学内の運営面での貢献度等、プラス面のみならずマイナス面も含めて総合的に考慮した」か知りたいところです。

支援者30人に驚く堀内裁判長、被告席は無人

原告側は平方かおる弁護士と浅野教授が出廷。被告の代理人、小國隆輔・多田真央両弁護士と裁判を欠かさず傍聴してきた冨田氏と松隈佳之・社会学研究科事務長は姿を見せませんでした。

法廷に、同大社会学部メディア学科4年生の2人、鶴見太郎さん(2013年、同大文学部哲学科卒)、氏本義隆さん・氏本デリアさん(浅野ゼミ14期生の両親)、庄司俊作・同大人文科学研究所教授、新谷英治・関西大学文学部教授、福本高大・鹿砦社編集部員、田中圭太郎・元大分放送記者、園良太・人民新聞記者、大石薫・元上智大学インドネシア語講師(博士後期課程学生ナジ・イムティハニさんの博論翻訳協力者)、元京都府立高校教諭(広島大学大学院生の時、中国新聞に被疑者写真と間違えて掲載された報道被害者)、大道さん(映像ジャーナリスト)、京都大学学生(京都大学新聞編集員)、高田良爾弁護士(京都弁護士会)、元浅野ゼミ聴講生の会社員、元会社員ら30人が傍聴してくれました。

堀内裁判長は入廷した際、傍聴席に30人を超す浅野教授の支援者がいることに驚き、傍聴者を見渡した後、着席しました。傍聴席を埋め尽くした支援者は、裁判長がか細い声で、「請求棄却」を言い渡した瞬間、「不当判決だ」「ふざけるな」「許さないぞ」などと大声で抗議しました。傍聴人全員が怒りの声を発したため、訴訟費用に関する主文はほとんど聞き取れない状態でした。堀内氏と書記官、裁判所職員が「静かにしてください」「静粛に」などと制止しましたが、「こんな判決のために3年以上もかけたのか」などとプロテストの合唱は止まりませんでした。本来なら、裁判長は傍聴人に退廷を命じるのですが、30数人全員が声を上げていましたので、何もできず、憮然とした表情で、「それでは閉廷します」と告げて立ち上がりました。浅野教授は堀内氏を睨みつけ、「あんたは税金泥棒だ。村田晃嗣一派の御用裁判官だ」と言いました。敗訴の場合、閉廷後にそう言うことを決めていました。「3年もかけて解雇正当化か。恥を知れ」と非難しましたが、堀内氏は浅野教授に目を合わさず、しばらく呆然として傍聴席を見て、姿を消しました。堀内氏は「静かにしなさいよ」と言ったようですが、傍聴人の怒号でほとんど聞こえませんでした。

閉廷後、鶴見さん、大道さん、園さんが書記官ら裁判所職員に「堀内裁判長はなぜ判決理由を読み上げないのか。傍聴人にはなぜ浅野教授の請求を棄却したか分からないではないか」などと抗議。職員は「裁判は終わったので退廷を」と制止しましたが、「堀内裁判長は出てこい」「司法は強い権力の犬か」などと抗議を続けました。3人の抗議は約25分間続き、裁判所総務課長ら職員が10数人現れ、裁判所から退去命令が出そうになった午後1時40分に全員が法廷から出ました。

堀内氏は傍聴席からの罵声を全身に浴びて、インチキ判決を出したことを恥ずかしく思ったでしょう。学生、市民に説明のつかない判決内容でした。予想した中で、最悪の内容でした。あなた、そこまで言うかと呆れる内容です。

四国から来てくれた支援者は「3年間闘った末にこんな形になって悲しいし、怒りをおぼえる」と言っていました。支援者の中に、涙ぐんでいる人が何人もいました。浅野教授は「3年半、ずっと応援してくれた支援者のことを一生忘れません」と話しました。

控訴審で正義の判決を―支援者が報告集会

判決後の午後1時50分から3時半まで、地裁の隣にある京都弁護士会館3階の「大会議室1」で判決報告集会が開かれました。メディア学科4年の寺西心さん(13年度1年浅野ゼミ)が司会を務めました。

まず、原告の浅野教授が次のようにコメントしました。

「3年1カ月も要して、こんな結果になり、怒りを感じている。浅野教授の追放を共謀した連中と、大学から大金をもらって弁護してきた悪徳弁護士が喜んでいると思うと、本当に悔しい。

残念な判決だが、ある程度覚悟していた。まず裁判官たちが悪かった。堀内氏は裁判の途中から浅野教授に対し冷たい態度だった。昨年9月の証人尋問で、裁判官3人から浅野教授に質問が全くなかった。真実を究明する気がない。左陪席は手続きの瑕疵に理解を示していたが、裁判長は最初から強い偏見を持っていた。冨田氏と小國弁護士が、浅野教授の支援者に裁判所内でビデオカメラらによって無断撮影されたというウソを告げ口して、1年間も法廷警備が行われ、同志社が大阪の暴対弁護士(淺田法律事務所の米倉正美・小谷知也両弁護士)を雇っていることも発覚した。堀内裁判官は公安当局のような目で浅野教授を見ていた。

次に、一審弁護団は『特段の事由のない限り、希望する大学院教授は70歳までの定年延長が認められており、浅野にはそれを拒む特段の事由は全くない』ということを証明すれば勝てるという立場だった。浅野教授は、それだけでは勝てない、私怨を持つ渡辺グループが小黒教授を工作員にして悪意をもっていやがらせで定年延長制度の不備をついて追放した経緯を強調すべきだと要請したが、中途半端に終わった。

浅野教授が解雇される1年前に、大学院ビジネス研究科の山口薫教授が2年目の定年延長を拒否されて裁判を起こしたが、同じ京都地裁第六民事部で、定年延長は慣行にはなっていないとして敗訴し、確定しているのが、影響したと思う。山口教授の事件の判決を言い渡したのは、堀内裁判長の前任者だった。定年延長を慣行と認めた日本大学判決もあるが、弁護団は最初、使わなかったのも不利に働いた。

判決は、同僚6人の悪意、村田晃嗣学長(当時)と冨田氏が嫌がらせで浅野教授を排除したことを見て見ぬふりをした。万死に値する蛮行だ。控訴審では一審の闘い方を検証し、新たな理論、証拠で闘い、必ず逆転勝利したい。皆さんの引き続きの支援をお願いしたい」

次に各地から参加した支援者が感想を述べました。

那覇から駆け付けた大石薫さんは「ナジさんの博論執筆のために、日本語とインドネシア語の翻訳の手伝いをしています。浅野さんとは30年前に浅野さんが共同通信ジャカルタ支局長だったころからの知り合いで、浅野ゼミの沖縄合宿では毎年、学生さんと交流してきた。ナジさんが博士号を取るためには、浅野さんが教授に復帰することしかないのに、教授としての地位を認めない司法判断はおかしい」と訴えました。次に、京都大学の学生が「浅野教授は日本のジャーナリズムの改革にとって大切な教員で、他大学の学生、一般市民にとって必要だ」と話しました。1年生の時に浅野ゼミだった寺西さん(3月21日に卒業予定)は「浅野先生は最も熱心で、勉強ができると思ってゼミを選んだ。大学はなぜ浅野先生を追放したのか。控訴審も支援したい」と述べました。

裁判所から判決文正本を受け取って、判決文を読んでから報告会に合流した平方かおる弁護士は次のようにコメントしました。

「私たちは、同大教職員の定年は65歳だが、大学院教授に関しては70歳まで1年ごとに定年が延長されるという慣行があり、特段の事情がない限り、すべての大学院教授に認められてきたのに、浅野先生には特段の事情もないのに認められなかったのは、不当、違法だと訴えたのだが、裁判所は、大学院教授の定年延長について、事実たる慣習もなかったし、労働契約の内容にもそのことは入っておらず、解雇権の乱用を判断するに至らないと判断した。

就業規則の付則、理事会通達などの規定の文言は、同大の教職員は65歳で定年になっており、当分の間、法人が必要とする大学院教授は定年が延びるとしており、原則として70歳まで延長されるというのはこの文言に反するとした。原告側の私たちは、文言上は65歳であっても、これまでに65歳を迎えた大学院教授の実態を見ると、健康で定年延長を希望する院教授には例外なく延長が認められてきたことを証明し、70歳定年が慣行になっていると判断すべきと主張してきたが、被告は形式的にすぎない就業規則などの文言を根拠に、法人が個々の大学院教授の定年延長に関し、実質的に審議が行われてきたと認めた。大学院教授の93%が定年延長になっているとしても、それは慣行にはなっていないし、労働契約時にも明示されていない。

また、浅野先生の場合、審議の結果たまたま定年不延長になっただけで、定年延長される権利があるわけではないと判示した。

実際の定年延長される教授の手続きとして、65歳で定年延長のための労働契約を結び直す手続きが明確になされなければならないと私たちは主張したが、判決は被告法人側が主張した通り、新年度の出講案内と個人時間割表を送られてきたことを労働契約の申し出とし、定年延長対象の教授がそのまま授業をすると承認することで、労働契約の申込みとするという手続きを認定した。この申し込みと承諾は、毎年3月中旬に、定年延長対象者以外の教員、嘱託講師に一斉に送られる書類で、定年延長の雇用手続きになっていないのだが、定年延長しない人には送っていないので、それを契約とするのは不自然とは言えないと判断している。

浅野先生の場合、研究科に行くまでの専攻における審議の過程の瑕疵などは全く論じていない。浅野先生は研究科で定年延長が拒否され、法人(理事会)では審議もされなかったのに、審議がなされたとみなした。

今日から2週間後までに控訴するかどうか決めなければならない」

庄司教授が「こちらの主張が認められず、被告の主張がほとんど認められた。準備書面を振り返ると、大学の自治が壁になったとは言えないと思うがどうか。ビジネス研究科の山口薫教授の2回目の定年延長が拒否された事件の裁判で、大学院教授の定年延長は慣行にはなっていないという判決が確定しているが、その影響はあるか。定年延長制度は就業規則の付則で、必要な大学院教授に認めると書いてあるだけで、慣行、権利ではないという判決だが、原告側は1976年以降に65歳を迎えた大学院教授のリストをもとに、希望する大学院教授の全員が定年延長されていることの立証ができたのに、判決は、93%が認められているだけで確立した慣習というのは否定されたが、なぜなのか」と質問。

平方弁護士は「大学の自治、裁量という論理ではなく、定年延長は権利ではないし、手続きに問題はないという判断だ。山口薫教授裁判に判決の、同大において、定年延長に関し事実たる慣習は存在していないという判断と同じだ。院教授のリストをもとに全員が認められてきたと証明したが、判決(21ページ)は何の理由も示さずに、客観的な証拠がないと言い切っている」と答えた。また、「定年延長に関し、各研究科委員会で審理しているとした上で、原告の浅野先生が渡辺武達教授の定年延長に関し、2回異議を申し出て、研究科委員会で審議したことを根拠に、審議があると認定した」と話しました。

庄司教授は「日本大学国際関係学部の教授の定年延長拒否事件の確定判決では、65歳を超えた教授に、2年、2年、1年ごとに定年延長が認められているのは、確立した慣習と認定され、教授が全面勝訴している。教授会で定年不延長を決めたことは、大学・学部の自治とは言えないという判断だ。浅野先生のケースと類似の事案だと思うが、日大裁判の判決と違う判断が出たのはなぜか」と質問しました。

平方弁護士は「日大裁判の場合と違うのは、大学側が65歳以上の教授の定年延長を前提として認める表明が様々にあった。その前提が違うと思う」と答えました。

これに対し、庄司教授は「同大でも大学院教授は70歳が定年と教授も大学も認識している。定年延長があるので国公立大学から50歳代に移籍してくる教授も少なくない。学生に対しても、大学院教授は65歳で退職せず、5年間は大学にいるという前提で動いており、日大と同様だ」と強調しました。浅野教授も「大学院教授は64歳の時、学部の本ゼミ(3年ゼミ)を普通通り募集している。定年延長を慣行としているからで、審議の結果、3月に定年延長するかどうかが決まるというなら、もし定年不延長になった場合、次年度はいないわけで、3年生が4年生になった時に担当できなくなるので、64歳の時に3年ゼミの募集はできないはずだ。渡辺教授の場合も、69歳の2014年度になって初めてゼミの募集をやめている。15年3月に70歳で定年退職するので、4年生の時にいないからだ。他の学部でも同じだ。また、大学院と学部で受験生に配布する案内文書、ネットのHPの教員一覧に65~69歳になった教授の一覧が載っている。次年度いないかもしれない教授を、何の断りも付けずに載せるはずがない。同大と日大に違いはない」と反論しました。

13年度に浅野ゼミ1年生だった須賀達也さんは「このような判決を出すのに、こんなに長い期間が要されているのが理解できない。浅野先生の定年延長が拒否される過程を実際に見た私には、きちんと審議がなされたとは思えない。控訴審、最高裁と続くと思うが、裁判が終わった時に、先生は70歳ということになりかねない」と話しました。

元会社員の山田健吾さんは「去年2月から病気でしばらく傍聴できなかったが、今日は来ることができた。3年かかったから、裁判所から和解勧告が出ると思っていたが、こういう一方的な判決で驚いている。高裁では逆転してほしい。5人裁判、対冨田教授裁判の一審で、名誉棄損を認めさせ勝ってほしい」と激励してくれました。 

田中圭太郎さんは「大学の実態に合わない形式的な判断に終わった。これなら3か月か半年で裁判を終えることができたはずだ」と話しました。

新谷教授は「浅野ゼミのイベントに参加して、浅野さんのゼミは生き生きと活動しているのを見て、同じ大学教員として学ぶところが多かった。ぜひ教授に復職してほしい」と話しました。 

テレビ朝日報道部記者(ゼミ14期生)の父親の氏本義隆さんは「息子が4年間世話になった。どうしてこういう結論が出るのかと悲しくなる。毎回法廷で傍聴することしかできないが、控訴審も傍聴して支援したい」と話しました。

平方弁護士は「2週間以内に控訴し、控訴審に向けて心を一つにして闘ってほしい。引き続き支援をお願いしたい」と語りました。

「院教授70歳定年」まで残りは2年

浅野教授は地位裁判の前の2013年12月27日に地位保全の仮処分を申し立て、解雇後の14年5月15日に棄却されています。地位裁判だけで3年1カ月もかかっています。一審不当判決で、大阪高裁、最高裁まで争いが続くことになり、さらに1年かかることは必至です。訴訟費用もかかります。浅野教授は今年7月27日に69歳になります。上級審で地位が確認されても、定年延長で教鞭をとる期間は1年かゼロになります。被告の同志社と、俵法律事務所の弁護士たちにとって、時間が長くなるほど、「浅野がいなくても何の支障もない」という状態をつくれるのです。浅野教授を追放した教授たちは、浅野教授をまるで犯罪者、ストーカー扱いして、「浅野のいないメディア学専攻」でぬくぬくと生活しています。浅野教授が同大教職員に問い合わせたり、取材したりすると「すべて社会学部の松隈事務長を通してください」という通知が全教職員に出ています。小國弁護士(同大法科大学院嘱託講師)は「原告が大学に取材しているが、すべて代理人を通すように」というファクスを浅野教授の代理人へ送っています。65歳で定年退職した教員が、大学に近寄るな、学生に連絡するな、取材も問い合わせもするな、などと通告していいのでしょうか。

17年4月から、小黒・池田両教授はゼミを休むようです。専任教員二人が同時に3年ゼミを開講しないというのはあり得ないことです。「ジャーナリズムのことをきちんと教える教員はいない」とメディア学科3年生は嘆いています。

この判決は、裁判官たちが「悪意・嫌がらせに基づく65歳定年退職」という形で不当解雇の経緯を見ず、「西日本トップ私大の裁量、大学の自治に司法は介入しない」という理屈で逃げ込んだのだと思います。大学は「権力」です。

支援会は、大阪高裁の控訴審では、メディア学専攻と社会学研究科における定年不延長決定の手続きに重大な瑕疵があることなどを論証していけば、必ず逆転勝訴判決を勝ち取れると確信しています。その場合、冨田氏と同僚5人が13年8月段階から同志社の代理人の弁護士(複数)と相談しながら、10月16日まで、浅野教授に定年延長は確実と思い込ませ、10月28日に「定年延長拒否通告」を突然通告し、専攻会議(議長は専攻教務主任の浅野教授)の議決を経ず、10月30日と11月13日の研究科委員会で「専攻で決まった」とウソをついて定年延長拒否を議決した経緯を証明していくことが大切です。彼らの行為は、学部の自治などでは全くなく、何の権限もないのに、好き嫌いで浅野教授を排除したことが明白になると思います。控訴審、最高裁で浅野教授が勝った場合、不法行為で浅野教授を解雇に追い込んだ人たちには責任を取ってもらうしかないでしょう。

それから、浅野教授の地位裁判一審判決の結果とは関係なく、浅野教授が14年4月1日から同大の教壇に立てなくなっているのは不当です。堀内判決は、浅野教授が就業規則どおり65歳でめでたく退職したのだというのですから、学校法人が14年4月1日に13年度の浅野ゼミ(3年、20期生13人)を強制解散させ、小國弁護士らが浅野教授に「大学構内への立ち入り禁止」「指導していた学生への電話・メールでの連絡の禁止」を通知してきたことは不当、違法ということになります。3年間も浅野教授の大学院と学部の10科目(15年度から院の2科目だけ小黒氏が担当)を担当者未定・休講にしていることの妥当性も問われると思います。

浅野教授と同大の学生有志は4月から、3年間休講になっている科目の授業再開を強く望んでいます。学生有志は判決後も、松岡敬学長と水谷理事長に、緊急要望書を提出する予定で、今、署名を集めています。

浅野教授は「週刊金曜日」2月17日号に、怪文書5人裁判における小黒氏の法廷証言を批判する記事を書いています。また、ジャーナリストの佐竹純一さんが2月27日、人民新聞HPに怪文書裁判に関する記事をアップしています。

http://jimmin.com/2017/02/25/post-1270/

「同志」がいない同大―野田正彰さんが自主ゼミで講演

判決の夜、同大今出川キャンパス・良心館306番教室で精神科医の野田正彰・元関西学院大学教授を招いて、自主ゼミ「浅野健一ジャーナリズム講座」(第11回)が開かれました。コーディネーターは田中圭太郎・元大分放送記者。

野田さんは講演の冒頭で地位裁判判決について話しました。

〔 まず、今日、不当判決が出た大学院社会学研究科メディア学専攻の浅野健一さんの地位裁判についてお話しします。

浅野さんの定年延長を審議した2013年10月30日の社会学研究科委員会で配布された

「浅野教授定年延長の件 検討事項」と題した審議資料(怪文書)を読んだときにびっくりしました。

一つは、大学院の教授として採用しておきながら、20年も経ってから、教授としての能力がないっていう判断をするというのは、じゃあこの間は何をしていたんだろうという話で、めちゃくちゃなことを書いているなあと思った。

それから、そう言っている教授たちのメンバーを見て、他の教授の名前は全然わからないけれど、遊女の研究を講義している佐伯順子の名前が載っていたから、なんじゃこらあと思ったんですね。同志社の腐れようの象徴みたいなものです。(そういう)メンバーですよ。

もちろん大学で遊女の研究をやってはいけないわけではないですけれど、少なくとも日本の社会の中で遊女というのはどういう位置に置かれていて、それが社会の人間とどう関わっているのかという研究をしていればいいけれど、彼女のやっているのは、面白おかしく、80年代の大学で軽薄短小の講義をするのがひとつのファッションみたいな、その延長になっている人が、浅野さんが一生懸命に現代のジャーナリズムの批判をしてきたわけですけれど、それに対して「教授としての一定基準のレベルに達していない」とよく言うなと思いました。

あと、審議資料文書を読んでいると、最後の方にある「職場環境面」「[要点]学科内の職場環境を極めて不正常にさせている」根拠の一つに、「専攻科の各教員は常時強いストレスにさらされている。文書送付等が顕在化しているときは勿論、その後も長く続く恐怖感。これによる突発性難聴や帯状疱疹などの発症」と書いてありました。浅野さんが職場にいるせいで、ヘルペスになったとか、突発性難聴になったとか、これにはまあびっくりしました。この大学の教授は、最低限の教養もないんだなあと思いました。浅野さんがヘルペスをうつすぐらいの能力があったらですね、川向こうの(京都大学にある)iPSの研究所と同じく、同志社も浅野ウイルスを抗体にする研究所を作ったらいいくらい大変なことなんですけれど。平気でそういう、言っていることが本当だと思っているんでしょうね。ヘルペスがウイルスであることを知らない人の物だと思うんです、あの文章は。その程度の人が社会学部の教授になって、この大学の、最低限の教養もなしに、自ら辞表を出すべき人ではないかと思いました。

突発性難聴についてもですね、これは原因不明だから突発性と書いてあるのですよ。浅野さんが原因だったら、浅野さんの教室の、左前の人ばっかりが難聴になるというのなら、あっちの方から耳を傾けていると悪い声が聞こえたというのなら、まあ皮肉としては面白いけれども、どうもそういうことでもないらしい。

とりあえず、嫌なやつだということを書いているだけです。それをそう書くならいいですよ。しかし、最低限の高校生くらいの知識すらない人が大学教員で、恥ずべきことだと思います。

2004年1月の自衛隊のイラク派兵の時に、時の女性の外相、川口順子をよんで、劣化ウランを使ったときですよ。村田晃嗣教授(法学部教授、13~16年同大学長)が彼女をよんで早々に講演会やったんですね。そのときに劣化ウランの問題を提起した学生とかをここの職員も動員して会場からつまみだすということをやったそうです。それを聞いて、最低な大学だなと思いました。

今日も来るときに「良心館」に行くのかと。不愉快な名前のところにいかなきゃならないなあと思ったんですよ。私は前から同志社の名前のつけ方が気に食わない。それから名前以上に入ってくると建物が気にくわない。こんなにピカピカな贅沢な建物で、いったい社会の矛盾を考えるような学生が育つのだろうか。これは明らかに土地の地上げで金儲けした不動産会社と組んで、大学がそのお金でこういう建物をボンボン作っていますよね。そのことを大学も学生も問題にできなくて、挙げ句の果てには川口を呼んで喜んでいるという印象を持ちました。

もちろん私は、関学にいたので、五十歩百歩の大学で、西の方から同志社の悪口を言えるほどのことはないけれども、しかし、五十歩百歩でいえば、ここまで落ちぶれていないぞという感じがしましたね。

きのう娘が久しぶりにご飯を食べに来たので、明日久しぶりに同志社に行くんだって言って、からんでですね。「同志社大学っていう名前がついている学校に行ったんだろう」って。私の娘は経済学部(八田英二教授=元学長で4月から総長=のゼミ)を出て、総合政策の大学院を出た。「いったい志はあったのか、言ってみなさい」と言ったんですね。同志社でしょう。「同志だから、志を共にしようとする人と出会ったか言え」って言ったら「友だちはいっぱいいた」と言ったんですよ。友だちと同志とは違うだろうと。そうしたら怒ってきょうはご飯食べないと言われてしまいましたけれど。

でも皆さん、本当に考えてください。名前が泣いているんじゃないでしょうか。同志社です。志をもって、日本のシステムの中で、廃仏毀釈の動きがあるなかで、キリスト教の志を持って作ろうとした大学がいったい何をやっているんだろうという感じがします。私は国立大学だけれど唯一キリスト教によってつくられた北海道大学(医学部)を卒業しています。同志社よりも私の大学の方がずっとキリスト教的だったなあと思うことでして、もうちょっとちゃんと志を持って欲しい。名前だけ良心館と付けたという思いです。 ]

(続く)

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