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2017年10月10日

「設置者変更」はリストラの打ち出の小槌か-私立大学の「公立大学化」から見えてくる問題-

『ねっとわーく京都』2017年10月号、11月号に連載したものを一部修正

「設置者変更」はリストラの打ち出の小槌か-私立大学の「公立大学化」から見えてくる問題-

細川孝(龍谷大学経営学部)

不払い賃金返還訴訟には隠れた争点がある

 8月3日、京都地裁で一つの裁判が始まった。この裁判の訴状は今年2月に奈良地裁に提出されたが、若干の経過があって京都地裁で審理が行われることとなったものである。裁判は「賃金等請求事件」であるが、この裁判の隠された争点は別の点にある。
 設置者変更、多くの読者には聞きなれない言葉であろうが、最近の報道では、京都に縁のある名前が出てくる。7月10日、苫小牧駒澤大学(北海道苫小牧市)の設置者が学校法人駒澤大学から学校法人京都育英館に変更されるのは違法だとして、苫小牧駒澤大学に学ぶ学生が、学校法人駒沢大学に計約245万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した。あわせて国が大学設置者の変更を認可しないよう仮差し止めも申し立てた。
 この小論では、「設置者変更」が大学(経営)の持続的発展という本来の趣旨から離れ、リストラクチャリング(事業の再構築)という営利企業の手法と化しているのではないかという問題提起を、具体的事例を踏まえつつ行うものである。

設置者と学校の関係-設置者が学校を設置する

 教育基本法、第6条は「法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる」と規定している。同様に、学校教育法でも、学校を設置できるのは、国(国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構を含む)、地方公共団体(公立大学法人を含む)、学校法人の3者のみとしている(例外は、構造改革特別区域法にもとづく株式会社立の学校とNPO法人立の学校が規定されている)。
 ここで注目したいのは、設置者である国、地方公共団体、学校法人と、設置される学校は別のものとされていることである。例えば、複数の学校(教育階梯の異なるものを含む)を設置する学校法人を想定していただければイメージしやすいであろう。学校法人Aが設置するB大学、C大学、D高校、E中学校、F小学校といった具合である(最近、話題の加計学園には、岡山理科大学、倉敷芸術科学大学、千葉科学大学の三つの大学のほか、岡山理科大学付属高校や付属中学校校などがある)。
 このように設置者と学校は別のもとして位置づけられており、学校を設置する設置者も変更されることが可能となっている。

私立大学の「公立大学化」は設置者変更である

 先に述べた苫小牧駒澤大学に関する報道では、「経営譲渡」や「譲渡」という表現が用いられているが、その内実は「設置者変更」である。学校の設置者が別の設置者に変更されるということである。この設置者変更は、学校法人駒澤大学から学校法人京都育英館への事例のような学校法人(私立学校の設置者)同士の場合だけではない。
 近年相次いでいる私立大学の「公立大学化」は、学校法人から公立大学法人への設置者変更という手続きをとって行われている。2017年4月現在、89大学の公立大学のうち74大学が法人化されている。公立大学法人は地方独立行政法人の一つであり、地方公共団体の一部局としての公立大学とは異なっている。
 「公立大学」化と聞くと地方自治体(地方公共団体)が設置した大学という印象を与えるが、実態は「公立大学法人への設置者変更」なのである。以下では、京都府下での事例の検討を通じて、この問題の有する光と影について若干の考察を行いたい。

京都創成大学から成美大学へ

 2000年4月、京都短期大学の商経科を改組転換し、京都創成大学が開学した。設置者は、学校法人成美学苑(当時)であり、福知山市との公私協力方式がとられた。京都創成大学は北近畿で唯一の四年生大学、経営情報学部(経営情報学科)のみの単科大学としてスタートした。当初の入学定員は195名であった。
 その後、2007年に経営情報学科をビジネスデザイン学科に名称変更するとともに、医療福祉マネジメント学科を設置した。2010年からは大学名を成美大学に改称し、法人名も学校法人成美学園となった。
 この間、さまざまな取り組みにも拘らず入学定員を下回る状態が続いた。2009年度における大学全体の収容定員に対する在籍学生比率は0.36、翌年度は0.46であった。この背景には、大学および学校法人(設置者)の管理運営の問題があった(2008年以降3年間に理事長が4回交代し、2006年以降4年間に学長が3回入れ替わり、適切な運営を行うことができなかった)。
 2011年3月には、認証評価で「不適合」の判定を受けることとなった。評価結果には「評価の結果、貴大学は、『学生の受け入れ』『研究環境』『教員組織』『管理運営』『財務』『点検・評価』および『情報公開・説明責任』に関して重大な問題を有すると判断した結果、本協会の大学基準に適合していないと判定する」と記されている。
 認証評価は国公私立の設置形態を問わず全ての大学、短期大学、高等専門学校に義務付けられている。7年以内ごとに文部科学大臣が認証する評価機関の評価を受けるのである。  
 成美大学の認証評価の受審は、第一巡目(2004~2010年度)の最終年度であった。「大学基準に適合していない」ということをもって、当該の大学が法令違反となるわけではないが、大学としての内実が社会的に問われることになるのである。

成美大学の「公立大学化」に向けた議論が始まる

 京都創成大学(成美大学)は2007年度以降、入学定員の削減を繰り返すことになった(2007年度~:100人、2013年度~:80人、2014年度:60人、2015年度:50人)。カリキュラム変更も毎年のように行われた。先述の医療福祉マネジメント学科の設置以降も、「ウェルネス総合マネジメント」資格(2008年度)、「フィンランド教育」「地域」(2011年度)、「2012年度」(観光)と次々に新機軸を打ち出す。
 しかし、これらの「改革」は十分な裏付けのない「場当たり的」とも言える対応であった。理事長や学長の意向によって行われた「属人的」なものでもあった。大学の運営がトップダウン化し、教育の現場である教授会の意見は取り入れられることはなかった。
 大きな転機は、2013年12月の理事会体制の刷新であった。福知山市役所OBの理事長、副理事長が法人経営の実権を握ることとなった。背景には、金融機関からの融資を断られ学校法人が資金的に立ちいかなくなっていたことと、前経営陣が事実上経営を投げ出したことがある。福知山市主導で経営の再建が進められることになったのである。
 新しい理事会と大学の体制が確立されたもとで、「公立大学」化に向けた議論と福知山市(民)への理解を求める取り組みが進められることになった。

成美大学の「公立大学化」に向けた急速な動き

 2014年度に入ってからの経過を時系列的に示せば、次のようである
4月、市民主導の名のもとに「成美大学の公立化を求める市民の会」が結成される。
6月、「市民の会」が福知山市長に公立化を求める要望書を提出する。
8月、成美大学が「成美大学・短期大学部経営改善に関する報告書」を市に提出する。
 市議7名からなる「福知山市における四年制大学の在り方調査研究委員会」が発足する(12月に「四年制大学のあり方検討特別委員会」に名称を変更)。
9月、「市民の会」から市長に公立化を要請する署名(34,285人)を提出する。福知山市に「四年制大学のあり方に関する有識者会議」が設置される(委員長は後に学長となる井口和起氏。12月までに5回開催される)。
12月、有識者会議が「検討報告書」を市長に提出する。京工芸繊維大学が成美大学の隣接地(成美学園敷地)に北京都分校(福知山キャンパス)の設置を発表する。
1月、福知山市に「公立大学検討会議」が設置される(委員長は井口氏。3回の会議)。
2月、検討会議からの「公立大学検討会議報告書」の提出を受け、市長が公立大学の設立を表明する。
3月、福知山市が「教育のまち福知山『学びの拠点』基本構想」を発表する。
福知山市議会が「公立大学開設準備費を含む2015年度予算」を可決する。
「市民の会」が「成美大学の公立化を支援する会」に名称を変更する。
 このようにごく短期間で「公立大学化」に向けた動きが進み、決定をみたことがわかる。同時に、この一連の過程のなかで、成美大学の教職員は「市民の会」が取り組む署名に協力したり、集会への参加を実質的に強制されたりした。また、オープンキャンパスで「事例に学ぶ大学の公立化セミナー」を開催する(7月、9月、10月、11月)など、「公立大学化」実現の一翼を担った(担わされた)ことに留意する必要がある。

「設置者変更」に向けた取り組み

 2015年度に入ると「公立大学化」を実現するために、「設置者変更」の準備が進む。
 4月には、福知山市に「公立大学検討事務局」と「公立大学設置準備委員会」が設立され、成美大学との協議も行われるようになる。5月には、大学内で「新たな公立大学の設置に向けた教員アンケート」が実施される。また、公立化に向けた学内ワーキンググループが開催されるようになる。
 福知山市では7月に、「公立大教員候補者の選考会議」が設置された(教員採用をめぐる問題については後述する)。福知山市議会では9月、公立大学関連の5議案が可決される。
 この間、文部科学省に対しては、入学定員の変更(地域経営学科(ビジネスデザイン学科))を30名から40名に増員、医療福祉マネジメント学科を20名から10名に減員)を届け出ている(6月)。また、2016年4月1日より学部名称を経営情報学部から「地域経営学部」に、学科名称をビジネスデザイン学科から「地域経営学科」に変更することを届け出ている(8月)。
 10月に入ると、福知山市は京都府に対して公立大学法人の設立認可申請を行う。翌月(11月)、公立大学法人福知山公立大学の設立が認可される。これを受け、成美学園は「設置者変更」に係る申請を文部科学省に提出する。同時に、学長・理事長予定者として井口氏が発表される。
 12月には、副学長・理事予定者として富野暉一郎氏、理事・事務局長予定者として山本雄一氏(高知工科大学が公立化された時の事務局長)が発表される。福知山市は大学政策課を設置している。福知山市の公立大学設置準備委員会では、2016年度から6年間の中期目標・中期計画が検討される(福知山市長からの認可)。
 以上の動きから見えてくるのは、「設置者変更」を想定して、福知山市と成美大学とが一丸となって準備を進めたことである。大学に関してのノウハウを有しないことからして、このことは自然なことであろう。しかし、表面的には、スムーズに見えるかもしれない「公立大学化」は大きな問題を孕んでいた。

包括承継か特定承継か

 近年相次いでいる私立大学の「公立大学化」の事例において、福知山公立大学は特異なものとなっている。それは、設置者変更の際に「部分承継」という手法が採られたということである。具体的には、教職員の雇用(継続)の問題である。
 これまでの私立大学の「公立大学化」の際には、大学の保有する権利や義務は全て新しい設置者に引き継がれ、教職員の雇用関係も維持されたと筆者らは認識している。しかし、福知山公立大学の場合には違った。
 2015年度に成美大学に在職した教員のうち17名が福知山公立大学への「移行」を希望した。応募者は、2015年3月に調書、5月にアンケート、6月にエフォート(仕事の時間のうちでどれくらいを特定の用務に充てているか)を提出した。これらを踏まえ7月に、「選考会議」によって模擬授業(5分)と面接(25分)が行われた。8月に公表されたのは、9名のみの「採用」(=公立大学法人による雇用)であった。
 通常、大学が設置される場合には、設置準備委員会など開設予定の大学の機関が選考を行う。しかし、福知山公立大学は「設置者変更」であって、そのような場合とは異なる。また、学術とは無関係の人間が市民代表として選考会議に加わっていた。きわめて異例としかいいようがない。
 成美大学の教職員は「公立大学化」に協力を惜しまなかった。私立大学の「公立大学化」の先行事例を見て、自らの雇用関係が継続すると信じた者がほとんどだろう。福知山公立大学の2016年度のカリキュラムも、成美大学のカリキュラム(2015年度)とわずかしか変更されてない。教員の「入れ替え」を行う必要があるとはとうてい思えない。
 「設置者変更」を申請する際には、学校教育法施行規則では「教員組織」に関する事項も記載しなければならないこととされている。しかし、実際の手続きでは、教員の名簿を提出する必要はなく(文部科学省に照会)、申請時の学長の氏名を記載するのみとなっている。したがって、大学や学部の新設のような業績審査も行われていない。
 筆者らは「設置者変更」は大学の公共性と継続性(安定性)を保証するものであり、福知山公立大学のような事例は想定されていないと考えたい。2016年からは名称が「地域経営学部」となったが、カリキュラムはわずかししか変更されず、「学士(経営情報)」は元のままというのも不思議である。2017年度入学生からは、「学士(地域経営)」となったとはいえ、文部科学省はどのように対応したのであろうか……。
 率直に言えば、性善説に立った制度の趣旨と実態との齟齬があるのではないだろうか。

大学は誰のために存在するのか

 「設置者変更」によってスタートした福知山公立大学は、多くの受験生を集めている。2016年度入試では、50名の入学定員に対し1,660名の受験者、同じく2017年度は120名に対し926名である。この点では、「公立大学化」の効果はあったと言えよう(「公立大学化」の評価は、市財政への影響や、地域の経済や社会への貢献など多面的な観点から行われるべきであるが、ここでは言及しない)。
 しかし、雇用関係が継承されなかったことのほかにも、成美大学に在籍していた学生に対するケアに関わる問題もある。このような事態の背景には、成美大学が継続していくことが困難になったもとで、ごく短期間に「公立大学化」を進めざるをえなかったことを指摘できるのではないか。
 もともと存続するには困難な条件のもとで公私協力によって誕生した大学が、「公立大学化」によって新しい発展の可能性を得たことは評価されなければならない。同時に、開学以来、16年間にわたって存続し、教育や研究を通じて地域社会に貢献してきたことも正当に評価されなければならない。しかし、さまざまな関係者の責任は不問にして、教職員のみに責任を帰したという印象をぬぐえない。
 大学は公共財であり、特定の誰かのためのものではない。そこに学ぶ学生だけでなく社会にとってもかけがえのない存在である。教職員は「学術の中心」としての大学を中心的に担う存在である。このような点で「大学界」についての市民社会の理解が深まることが、(国公私の設置形態を問わず)大学を発展させていくために不可欠であることを最後に強調したい。

(本稿は、『ねっとわーく京都』2017年10月号、11月号に連載したものを一部修正のうえで転載している)


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