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2017年10月18日

有名私立大学が「学内で起きた職員の凄惨な自殺」を隠蔽…背景に雇用をめぐるトラブルか

Business Journal(2017.10.13)

 発見まで、自殺の決行から4日がたっていた。首吊りによる遺体は、相当に腐敗が進んでいた。研究室のドア近くで、その変わり果てた姿と対面した課長職の女性が、切り裂くような悲鳴を上げたのも当然だ。

 現場には、家族宛と学部長宛の遺書があった。

「人を人とも思わぬ非道を許せない。一死をもって抗議する」

 学部長に対しては、そのような激烈な怒りの言葉が綴られていた。

 これが複数の関係者から語られた、現場の状況である。さらに関係者たちの話を総合すると、N先生の死の背景には、雇用をめぐる大学側とのトラブルが浮かび上がってきた。

 N先生は、東京工科大学の特任講師だった。2015年6月12日、N先生が自殺を遂げたのは、同大学八王子キャンパス研究棟Cの自室研究室である。

 どんな企業や団体でも、構成員が死亡すれば訃報が公表されるのが当然である。だが東京工科大学では、N先生の訃報は公表されなかった。むしろ箝口令が敷かれ、N先生の死は隠蔽され続けている。そして今、彼が使っていた研究室では、何が起こったかまるで知らない新たな教員が仕事をしている。

 1947年に創立された創美学園が、東京工科大学の起源だ。東京都八王子市片倉町の八王子キャンパス、東京都大田区西蒲田の蒲田キャンパスがあり、工学部、コンピュータサイエンス学部、メディア学部、応用生物学部、デザイン学部、医療保健学部を擁している。

 ゲーム制作などを行うメディア学部は、日本で初めての設立だった。同学部の客員教授には、手塚治虫の息子でヴィジュアリストの手塚眞氏がいる。シンガーソングライターのダイスケは同学部出身だ。自由な校風で知られる同校で、なにゆえ凄惨な自殺が起こり、今に至るまで隠蔽されているのか。

突然「今年で辞めていただく」と告げられる

 N先生が東京工科大学に着任したのは、2012年10月。「特任教授募集」に応募したのだが、採用されてみると「特任講師」であった。N氏は講義を持たず、学生の就職指導を専門に行う講師を務めた。多かれ少なかれ、どこの大学でも就職率を気にするが、東京工科大学でもその傾向はあり、教員のボーナスにも影響するという。就職できそうもない学生にきつく当たったり、受かるところに無理矢理にでも就職させて、自分の研究室の就職率を上げている教員も少なくないという。

 N先生のもとに相談に来るのは、そうした研究室から弾き飛ばされかねない、就職力の弱い学生だ。そもそも就職する意思がなく「働きたくない」と口にする学生に対し、N先生は働くことの意義を一から説いた。昼食時間でも、学生が訪れれば相談に応じた。

 2014年11月12日、大学の最高議決機関である大学評議会で、N先生の雇用契約の延長が発議され、同年11月には雇用契約を2018年9月までとすることが承認された。

 だが、年が明けた1月、N先生は学部長から「今年で辞めていただく」と告げられた。N先生は、不当に雇い止めがあった場合に備えて、労働基準監督署への相談・申告、労働審判の件、弁護士への相談などの準備のため、その証拠保全に努めた。

 それが3月になると、学部長より「これからも、ずっとよろしくお願いします」と言われ、仕事が続けられ、家族を養っていくこともできるとN先生は安堵した。

 しかし6月12日、学部長より突然「9月で辞めていただく」と告げられた。普段は温厚なN先生が、あまりの理不尽さに怒鳴ったという。N先生が自分の研究室で自殺を遂げたのは、その夜だ。

 その日の夕方、夫人は「今日は大学の近くに泊まる」とN先生からの電話を受けていた。翌週になっても帰って来ず連絡もないために、夫人が大学に連絡したのが6月16日。午前9時過ぎ、N先生は変わり果てた姿で発見された。

 N先生の研究室のドアには、面談予約していた学生向けに「キャリアサポートセンターで相談に乗ります」とのみ記された紙が貼られた。

 学内広報に訃報は載らず、箝口令が敷かれ、N先生の死は隠蔽された。それから2年がたった今、N先生の存在そのものが無き者のようにされている。

口をつぐむ、不自然な大学の対応

 N先生と直接話をしていた当時の学部長から事情を聞くべく、筆者が東京工科大学に連絡をしたのは、今年7月14日の午後1時半頃だった。こちらが名乗ると受付スタッフは電話をつないでくれようとしたが、再び受付スタッフが電話口に出た。用件を尋ねられ、N先生の自殺の件であることを伝える。しばらくして受付スタッフが出て、「ただいま、席を外しております」と言った。1時間後に再び電話をすると、「本日は出張に出ていて、帰りません」とのことであった。

 週明けの7月18日に電話をすると、席を外しているとのこと。それなら学長と話したいと申し出ると、会議中と説明された。その日のうちに再び電話をすると、総務部のスタッフが出て、「(当時の学部長は)話をしたくないといっている」と言った。社会的説明責任のある問題であり、話したくないで済む話ではないと告げると、学長宛に文書を提出してほしいとのことであった。

・N先生の死に関して大学としてどのように総括しているのか?
・N先生の死を隠蔽しているのはなぜなのか? 

 取材によって把握した事実を記した上で、大学の見解を問う文書を7月21日に送付した。これに対し、8月9日付で東京工科大学の事務局長の名で送られてきた回答には、以下のように書かれていた。

 「本学でも●●特任講師の事故は把握しています。貴殿からの平成29年7月21日付書面の内容は、本学が把握している事実と大きく異なっていますが、●●特任講師のご遺族のプライバシーにもかかわることですのでお答えできません」(氏名への伏せ字は、筆者による)

 この前後の文章は、夏期休暇などに関する事務的な内容だ。全文を通じて、N先生への哀悼の意を表す言葉はひとつもない。起こった事態の印象を和らげるためか「事故」という言葉が使われている。遺書が残されていたこと、警察による検証から、N先生の身に起きたことは、事故ではなく自殺であることは明らかだ。国語的にも「自殺」は「事故」ではない。まして、社会的に使われる場合には、明確に区別される。結果として、大学の回答は、事実の根幹をなす部分において虚偽が書かれているといえる。

 ビルからの転落死や、溺死、薬物死、縊死などの場合、自殺なのか事故なのか、あるいは事件なのかが問われ、徹底した調査が行われる。もし、N先生に起きたことが、本当に自殺ではなく事故だと大学が考えているのなら、調査の結果を公表すべきだ。

 また、筆者がN先生に関して質したのは、職務上のことであってプライバシーに属することではない。筆者が把握した事実は、複数の関係者から確かめたものだ。プライバシーは、回答できない理由にはならない。事実に対して反論ができないというのが真相だろう。

 経緯を振り返ってみるならば、雇用に関する説明が二転三転することからくる不安が、N先生を自殺に追い込んだ可能性は大きい。取材によって、パワハラが行われていた疑いも浮上している。東京工科大学が真理を追究する学問の府であるならば、N先生の自殺を隠蔽することをやめ、事実関係を明らかにすべきだ。

(文=深笛義也/ライター)

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