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2018年07月17日

都留文科大学における執行部による大学私物化とその背景

法と民主主義 2017/6 No.519

地方独法法+学校教育法改悪=大学ではないもの
-都留文科大学における執行部による大学私物化とその背景-

都留文科大学文学部教員有志

 国公立大学の法人化(二〇〇四年度~)後、日本の大学の劣化がさまざまに報じられている。石原都政下での東京都立大学への攻撃や、福岡教育大学の例がある(福岡教育大学教員有志FUEの会「大学ガバナンス強化の最悪の帰結」、『日本の科学者』一七年七月号)。都留文科大学で近年行われている「改革」も常軌を逸したものであって、本学は「大学ではないもの」に変質しつつあると言わざるをえない。このことは、JSA・全大数など主催「大学間題シンポジウム」第三回(一七年三月二〇日)の討論でも告発された。それをもとにここに論考を発表し、全国の大学人、法律専門家諸氏への訴えとしたい。本学を転落の淵から救い出す運動を強化するべく、みなさんからのご支援をぜひとも賜りたい。
 都留文科大学(以下、都留文大と略記。)は、山梨県都留市(人口釣三万二千人)という地方小都市に立地し、一九六〇年に文学部のみの市立四年制単科大学となった。二〇〇九年度からは地方独立行政法人法(以下、地方独法法と略記。)に基づき公立大学法人に転換した。約八五人の常勤教員と約九〇人の職員は「非公務員」となった。常勤教員にはいわゆる専任教員(任期なし、学部ゼミを担当、教授会メンバーとなる)と一〇人程度の各種の任期付き教員がおり、たいして非常勤教員が約三〇〇人と異様に多い。職員は、都留市からの出向等職員約三五名(幹部層)、法人固有職員、各種非正規職員の三階層からなる。大学の歳入は、地方交付税大学分を源とする市からの運営費交付金が約三分の一、入学金・授業料収入が約六割で、国立大学と私立大学の中間型である。

一 法人化による大学運営の改悪

 都留文大では、太田堯学長(一九七七~八三年)のもとで大学運営が民主化され、①学長の事実上の教授会直接選出、②役員を多く置かず、あらゆる議題を教授会で討議し、その下に各種委員会を置いて教員と職員の熟議と協働による全員参加型大学運営を行う、④教授会、教職員組合、学生・院生自治会との四者協議などの慣行が確立していた。
 しかし、地方独法法により公立大学の法人化が可能となった。都留市では〇五年の市長選挙で小林義光氏(右派系)が大学法人化を公約して四選され、〇七年度をとおして議論が行われた。大学側と市側の決裂答申となったが、市長=市議会多数派が学内の「穏健な法人化」論を押し切った。市側は全員参加型大学運営を嫌悪し、(ア)市の言うことを聞く大学に作り替えるとともに、(イ)地方交付税大学分と大学の積立金等への介入権を強化するべく、地方独法法を利用したのである。
 この際、全員参加型大学運営を快く思っていなかった教授会少数派が市長・市役所と組み、アカい大学だというイメージを払拭しないとこれからの時代には生き残れないなどの宣伝を陰で拡散させるなどし、〇七年秋の学長選挙で「強硬な法人化」派を当選させた。その陰の中心人物が福田誠治氏(ソビエト型集団主義教育の研究者であったが、ソ連崩壊後転向し、現在はグローバル化時代のPISA型学力等の論考を発表している)、新保祐司氏(フジサンケイグループ主催「正論大賞」新風賞を受賞した右派系文芸評論家でもある)などであった。法人化を利用して自派の権力を奪取することが彼らの目的だったように思われる。
 法人化された二〇〇九年四月、激変が起こつた。第一に、都留市議会が議決した法人の定款に基づき、役員体制は、理事長・学長別置型の理事会方式となった。学長は、(a)教授会メンバーに新たに市出向職員等を加えた意向投票を行う→(b)その結果も一つの参考として、法人に置かれる学長選考会議が選考し理事長が任命する、という新方式で選ばれることとなった。その後三回の学長選挙が行われ、教授会レベルでは福田・新保両氏らに付き従う人びとと全員参加型大学運営をできるだけ残そうとする人びととは括抗していたが、職員票に支えられた福田民らが多数派を握れる様相となっている。
 第二に、専任教員の採用・昇任等人事は、従来は①文学部内の五学科間の協議により年度人事計画を立てる→②各学科の人事要望も尊重しながら候補の選考を行う→③教授会で熟議のすえ投票で決する→④大学当局・労組双方で構成する人事委員会での合意により格付けをするという方式であったが、法人化後は人事案件がすべて教授会の審議事項からはずされ、①法人組織である教育研究者議会(以下、教研審と略記。)で執行部主導による年度人事計画の決定→②教研審の下に置かれる選考委員会での選考→③教研審での採決→理事会での承認→④大学当局による一方的な各付け決定という方式に変更された。このことの影響は甚大で、福田・新保両氏らの意に沿わない採用人事の否決や、昇任を気にして教授会で発言しない若手教員の増大、新任教員の低賃金化などが起こっている。
 第三に、大学の中期計画策定、予算編成、学部・学科再編、キャンパス再編や校舎増改築などの研究教育上の重要案件もまた、教授会の単なる報告事項とされ、実質的には執行部、理事会、経営協議会(もう一つの法人組織)の間で決められることとなった。
 ここまでを法人化の第一段階ということができる。第二段階は第二代学長下で、上記の法人化の枠内にとどまるもののそれなりに均衡のとれた大学運営が行われ、教授会では全員参加型大学運営を主張する人びとの理にかなった発言に多数の支持が集まることもしばしばであった。それが福田・新保両氏らには耐えがたかったのであろう。

二 学校教育法改悪後の大学運営の野蛮化

 二〇一三年秋の学長選挙で職員票を固めた福田氏が当選し、一四年四月から学長に就任した。副学長には新保民らが任命された。また一四年通常国会で学校教育法九三条が改悪され、本学の法人化は第三段階を迎えた。
 学校教育法九三条の改悪とは、同第二項で「教授会は、学長が次に掲げる事項について決定を行うに当たり意見を述べるものとする」とし、教授会=意見具申機関に格下げし、学長=単独の決定権者としたことをさす。しかしそうであっても、教育研究に関する重要事項で学長が定めたもの(文科省があげる例は専任教員採用人事、教育課程、学部学科再編、キャンパス移転など)について教授会は意見を述べる(同第二項3)。ここで「意見を述べる」とは文科省見解によれば、従来の「議決する」に準じる行為であって、自由聞達に審議したうえで教授会の見解(賛否など)をまとめることをさしている。
 ところが福田学長は、「意見を述べる」とは教授会の場で各教員が個別発言を行うことであり、「教授会は意見を述べるのみで審議してはいけないのだ」との独自解釈を大声で延々とまくしたて、審議を封じにかかる。これに異論を唱えると二人の副学長が「発言中止!」「黙れ!」と叫ぶ-本学の教授会はこうした異様な状況になっている。この結果、教授会は次第に単なる事務連絡会議に堕しつつある。
 教研審の変質も著しい。従来、学部の下にある五つの学科の長は、学科の互選であったが、福田執行部は一方的に学科長任命制を導入し、意に沿わない人物の学科長就任を拒否した。このため教研審の大半が学長任命の「イエスマン」となった。
 こうした変化がもたらしたものを、以下、都留文大ホームページ、都留文大数職員組合ニュース、地元紙「山梨日日新聞」記事によりつつ、具体的に紹介したい(注記は省略)。

三 大学を「大学ではないもの」にする異常人事

 福田学長下での第一の特徴は、野蛮な人事の連発である。三例だけ指摘しよう。二〇一四年の地方自治論専任教員採用では、学長によって専断的に任命された選考委員会が、T氏を最終候補とした。選考委員の一人は副学長と密約を結び、一度も委員会に出席せず、業績も読まず、T氏を推した(定年後、この人物は学長から任期付き教員として再雇用された)。しかしT氏には地方自治にかんする研究論文が一本も存在しないことが判明し、所属学科から抗議声明が繰り返しだされた。だが学長はT氏の着任を強行した。その後丁氏が地方自治論ゼミを指導できないとわかると、学長は担当変更を求めてきた。地元密着の公立大学をうたう本学で地方自治を学習できる唯一のゼミが、こうして廃止されたのだった。
 本学は教員養成系大学とされており、中学社会・高校地歴教員免許課程をもつが、そこでは地理学の専任教員は必須である。二〇一三年度で同数員が定年退職したが、福田副学長(当時)らが後任の採用を拒否したため、一四年度当初、同教員はゼロとなった。彼は、地理学の専任教員がいなくとも、文科省が査察に来たりはしない。来ても夏休み明けだから、その時には来年に向けてこれから採用人事を始めますと言えば、許される」とニヤニヤしながら言ったそうである。一四年度の社会科教育法の専任教員採用についても、選考委員会で満場一致で決まった候補に対して、新保副学長らが「日韓共同教科書づくり」にかかわる者だから認められないとの根回しをして、教研審で否決する策動を行った。これらの結果、この学科では一四年度には一六ゼミのうち七を非常勤教員に任せる異常事態に陥った。その果てに、一六年秋、文科省から中学社会教免課程等で大量の学生が長年履修漏れしていたので改善せよとの行政指導を本学が受けることになった。しかし学長らはこの事実を学生に告げずに繕おうとした。これは同年末、新聞・TVで大きく告発されたところである。
 とくに重大なのが、本学で唯一の日本国憲法専任教員採用問題である(二〇一七年)。副学長・学長補佐など学長の意に沿う教員で固められた選考委員会はH氏を候補に推薦したが、H氏は法学の学位を持たず、日本国憲法にかんする研究論文が一本もなく、民族主義改憲派の集団「憲法学会」に所属していた。教授会で再三にわたって抗議声明が出されたが、学長らは採用を強行した。そして着任直後、H氏が学長補佐に任命されたのである。
 
四 退職金裁判

 大学当局と市側が大学を私物化している例として、退職金裁判をとりあげたい。二〇一二年度の国家公務員給与削減政策に影響されて、都留市でも市職員の退職金削減を決定した。本学当局は、市側に右へ倣えして本学教職員の退職金削減を画策した。二二年三月、大学労組との団体交渉もなく、また教職員への周知もなく、本学退職手当規程を、旧来から市側の規程を準用することになっていたかのように書き換え、同月退職教職員の退職金を一方的に削減したのである。
 これに対し、当該教員六名が東京地裁に提訴した(第一次訴訟、一五年四月地裁判決)。大学労組は原告団を支援することを決定した。一五年、最高裁は大学当局の労働契約法・労働基準法違反を認め、原告に削減分を還付する決定を行った。ところが大学当局は何ら反省しなかった。そこで新たに五名が甲府地裁に一七年六月、第二次訴訟を提訴したところである。
 この事件の意義は二つある。第一に、東京地裁判決は、法人化し「非公務員型」の大学は設置者たる市側から経営上独立しているとの判断を示したことである。第二に、大学当局=市側は逆に、大学を市役所の従属物とみていることが明らかになったことである。

五 学部・学科再編と不当労働行為

 福田学長は当選後、「選挙公約」でほぼ触れなかった学部学科再編を開始する。
 第一は、文科省路線に沿った、国際バカロレア課程と連携した全科目英語授業の「国際教育学科」新設である(二〇一七年度開設)。その持続可能性は学内では大いに疑問視されている。
 第二は、現「社会学科」廃止、「地域社会学科」新設と「教養学部」新設である二八年度予定)。その新学科準備室は副学長・学長補佐・学長側近でかため、現学科の中心メンバーを一切排除し、また新学科の重要方針案は現学科メンバーから意見を聴くことなく、三菱総研に委託して作成させた。新学科の教育課程案も準備室が専断的に作成した。
 第三は新校舎建設で、落札業者には前・現市長系土建会社が含まれ、落札率は九九・七%となっている。
 特に深刻なのは、二〇一六年軟、学長らが社会学科の三教員について新学科への移籍拒否を強行してきたことである。この三教員は、第一次退職金訴訟の東京地裁提訴時、大学労組による原告団支援決定時、最高裁決定時それぞれで大学労組書記長だった者で、異常人事について教授会で「モノ言う」教員でもあった。本学では他学科等への移籍については本人同意を得るという雇用慣行が確立していたにもかかわらず、学長らは三教員の意思確認を一切拒否し、団体交渉では配置転換先も提示しない不誠実な態度を繰り返した。これは大学労組への弾圧(不当労働行為)であり、本年三月、山梨労働委員会に救済申し立てが行われたところである。学長・副学長によるパワーハラスメントでもあるため、三教員は学内の人権委員会、山梨県弁護士会人権擁護委員会にも救済を申し立て、公立大学職員組合連合会からの支援も得ている。

 おわりに

 二〇一五年、文科省通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」が教員養成系・人文社会科学系学部の「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を打ち出し、大学人にショックを与えた。前述のように、都留文大での異常人事、学部・学科再編はその都留文大バージョンと言ってよい。ここでの最大の被害者は学習主体=学生たちである。
 国立大学では、安倍政権の教育再生実行会議「これからの大学教育等の在り方について」および文部科学省「国立大学改革プラン」(二〇一三年)などをとおして、大学の安倍政権の経済政策(アベノミクス)への従属と新自由主義的グローバル化が進んでいる。公立大学では、ローカルな諸事情に媒介されながら、輪をかけて野蛮な「改革」が進んでいる。「軍学共同」、新自由主義的グローバル化に対応した一七年度小中学校学習指導要領改訂(アクティヴエフーニングと道徳教科化など)の影響も及んできている。
 「改革」が強行された英国には、大学の「資格付与工場」化に反対し、人類・社会・自然への深い洞察に貢献する「博物館」的な大学をと訴える大学人の運動がある(S.Collini, What are Universities for ?, Penguin Books, 2012)。そして今年の総選挙では大学授業料無料化などの野党の公約に共鳴して学生・若者たちが政治変革の波を作り出した。
 私たち都留文大数員有志はローカルな野蛮さと闘い、本学が「大学ではないもの」に転落することへの抵抗運動を粘り強く広汎に展開したい。安倍政権下で大学が「大学ではないもの」に転落することに粘り強く立ち向かっている全国の大学人や本誌読者と連帯しながら。


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