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2019年03月08日

岡山短大不当解雇事件、教壇復帰をめざした山口雪子さんの裁判のその後

NHKハートネット(2019年03月06日)
 ∟●教壇復帰をめざした山口雪子さんの裁判のその後

教壇復帰をめざした山口雪子さんの裁判のその後

2018年11月、ある重要な裁判の判決が下されました。視覚障害のある岡山短期大学の准教授、山口雪子さんが、「障害を理由に授業の担当から外されたのは障害者差別だ」として、学校法人を訴えていた裁判で、山口さんの勝訴が確定したのです。しかし、まだ山口さんの教壇復帰のめどはたっていません。そこにはどのような問題があるのでしょうか。山口さんの裁判を通し、障害者への差別をなくすために必要なことを考えます。

学生にとって大きな学びだった山口さんの授業

岡山短期大学准教授の山口雪子さんは、網膜色素変性症で、今は明暗がわかる程度の視力です。大学院で博士号を取り、1999年に岡山短期大学の教員となりました。採用の際には履歴書に網膜色素変性症という病名を書き、面接でも聞かれましたが、問題なく採用となりました。

保育士や幼稚園教諭をめざす学生の通う幼児教育学科で、山口さんは、専門科目である「保育(環境)」の授業を受け持っていました。

「子どもたちが不思議に思ったり、もっとやりたいと思うような活動をしていくのに、どんな計画をしたらいいんだろう、どんな準備をしたらいいんだろうと、そういう力を伸ばす授業でした」(山口さん)

一方で、就職した当初に比べ、視力は低下していきましたが、「学生たちが支えてくれたので、あまり不自由は感じていなかった」と山口さんはいいます。

授業において山口さんが大切にしてきたのが、「学生たち自身でやってもらう」ということでした。授業を通じ、学生がさまざまなことを学んでくれたことを山口さんは感じていました。

「卒業して保育園に勤めた卒業生が『障害がある子どもに対して、この子のできることは何だろう、この子の頑張れることは何だろうと、可能性に目を向けられるようになった』と話してくれました」(山口さん)

以前は、視力がなくなったときが人生の終わり、と考えていた山口さん。短大に勤めたことで、その考え方は変わっていきました。

「学生たちと出会って、学生たちと一緒に学び合うなかで、私の視覚障害はこの学び合うという空間をつくるために与えられたものなんだと感じられるようになったんですね。そこから私は、視覚障害が進行しても大丈夫だと、前向きに思えるようになりました」(山口さん)

全盲の弁護士で日本盲人会連合評議員でもある大胡田(おおごだ)誠さんによると、今、地域の幼稚園や保育園で、障害を持った子どもたちが受け入れを断られるケースが少なくないといいます。原因は、保育園や幼稚園の側が障害について知らないことにあると、大胡田さんは考えています。

「山口先生の授業は、学生たちにとって、ほかでは体験できない、ほかでは学べないことを学ぶ、かけがえのない機会だったはずです。それでやめさせようというのは、本当に信じがたい行いだと思います」(大胡田さん)

配置転換命令は違法

山口さんの証言を元に、提訴までの経緯を振り返ってみましょう。

2014年1月、学長から呼ばれた山口さんは、事務員が退職するため視覚支援をできる人員がいなくなることを理由に、退職を考えるよう言われました。

「レポートや試験の採点の代読を、学外の知人に依頼していたのですが、それが個人情報漏洩だというような叱責をもらいました」(山口さん)

そのときは、答案用紙などを学外に持ち出したことについては始末書を提出し、視覚支援は自費で雇った補佐員に学内で行ってもらうことで問題はクリアされたと考えていた山口さん。しかし2016年2月、今後は授業を担当させず、学科事務に専念するよう通告を受けます。理由は、「授業中の飲食、教室から抜け出すなど、学生の不適切な態度を見つけて注意することができない」というものでした。

短大側は、教員ではない「補佐員」が学生を注意することを禁じていました。視覚障害があることをわかっていながら、その責任を負わせようとする姿勢に、山口さんは絶望的な気分になったといいます。

それでも最初は、話し合いでの解決を求めましたが、糸口すらつかめません。やむを得ず、裁判に訴えることを決断したのです。

「裁判になると学生たちが心を痛めるかもしれないとは思いましたが、私は学生たちに、より良い社会をめざす者として、問題があったときに目を背けず取り組むこと、解決をめざすことが大切だと伝えてきました。自分がそれを破ることはできない、学生たちに嘘をつくことはしたくないと思って、障害者を排除するというこの問題に向き合おう、そのためには裁判しかないと決意しました」(山口さん)

裁判で山口さんは「視覚障害を理由として配置転換をした、これは違法であり、無効」と主張しました。

一方、短大側の主張は、弁護団の団長を務めた弁護士、水谷賢さんの説明によると2つです。

「1つは、授業中に飲食などを発見して、山口先生が学生を指導する、監督することができなかったというもの。もう1つは、視覚障害を理由にした差別ではない。もともと山口先生は教員としての資質、能力を欠いているから授業を外しただけだと。この2つが短大の主張でした」(水谷さん)

この主張に対して、水谷さんは次のように指摘します。

「指導・監督できなかったという主張に対しては、目の見えない人に見えることを要求しているわけですから、仮にそういうことがあれば、補佐員を配置して、補佐員から注意するとか、あるいは指導してもらうということで十分可能です。2つ目に対しては、むしろ逆に他の教員より優れている面がたくさんあるではないかと主張しました。学生が教員に対する評価を出している資料があるのですが、そこでは山口先生ははるかに高得点の教員でした」(水谷さん)

そうした資料に加え、裁判のことを知った山口さんのかつての教え子たちも、陳述書を裁判所に提出。番組にも次のようなメールを寄せてくださいました。

「授業中の飲食については、他の先生の講義でもあったことで、目の前で食べていても注意をしない先生や、注意をしてほしいくらい私語があるときでも何も言わない先生もいました。そのなかで、山口先生は、私語などはすぐ注意していたので、先生の講義は落ち着いて受けられました。先生の視覚障害については、学生に迷惑をかけていると感じたことはありませんでした。何でも話しやすい人柄で相談にも親身にのってくれる尊敬できる先生でした。

「山口先生の授業では、実際に屋外に出てみたり、保育で使えそうな玩具を作ってみたりなど、具体的に学ぶことができてとても役に立ちました。短大では、障害児についても、皆が一緒に楽しく保育生活を送れるための支援について学びましたが、今の短大では、それとは逆の行動を、先生方がとっていることに残念な気持ちを抱いています。幼児教育を学ぶ場として、学長や先生方には、山口先生を職員の一員として受け入れるよう願っています。」

裁判の結果、2018年11月には最高裁で短大側の上告が棄却され、山口さんの勝訴が確定しました。判決では、短大の業務命令に山口さんが従う義務はないとし、慰謝料として110万円を支払うことも命じました。

「この判決のポイントとしては、もし働いてる障害者が障害のために何かできないことがあったとするならば、雇い主はまずはそれをできるための方法を考えなさい、そんな支援を何も講じないで、まるで厄介払いをするように窓際に配置転換することは、それは権利濫用で違法、無効なんだということをはっきり言った。そういう意味があると思っています」(大胡田さん)

勝訴しても実現しない教壇復帰 背景にある「司法の限界」

2年半にわたる裁判の末、勝訴が確定した山口さん。しかし、まだ教壇に復帰するめどがたっていません。

「最高裁判所の決定ですから、短大側は真摯に受け止めてくれると思っていました。しかし、教壇に復帰したいという申し出をしたところ、合理的配慮どころか、これは教授会で決めることなので、大学としては回答ができないという対応にでました」(水谷さん)

そして2019年1月下旬。短大側からは来年度、山口さんが担当する授業の開講はないと通知がありました。

こうした状況の背景には司法の限界があると、大胡田さんは指摘します。

「日本の裁判所はこれまで、ある労働者がこういう仕事をさせてほしいというふうな裁判を起こした際に、この仕事をさせなさいという判決は下せない、そういう前例があるんですね。今回の裁判でもそこが1つ問題になりました。裁判所としては、授業外しの命令は無効だということは言えますけど、この授業を山口さんにやらせなさいというところまでは言えない、それが司法の限界なんだなということをね、改めて思いました。短大側としては、「大学の自治」ということを持ち出して、授業を持たせないと言っています。ですが、これも本当におかしい話で、障害者を差別する自由だとか、マイノリティを排除する自由というのはないんですね」(大胡田さん)

最高裁で判決が確定していることから、再び裁判を起こすことは考えていないという水谷さん。今後について次のように語りました。

「日本は法治国家で、この最高裁の決定の趣旨を守らなければなりません。短大もそのとおりです。だから短大が授業外しをまだ続けているということを世論に訴えていきたいと思います。同時に、2018年から厚生労働省にも文部科学省にも要請をしてまいりました。この最高裁決定を事実上無視する短大の学校法人の運営の仕方、この点についても可能な限り行政指導を要請していきたいと考えています」(水谷さん)

山口さんは今、授業がないにもかかわらず、短大に出勤をしています。教壇への復帰を見据えているからです。

「大学は、教育と研究が2本柱だと、私は思っています。今、教育からは外されましたけれども、研究は続けよう。そして、教育にいつでも戻れるように準備しようと思っています。だから、研究に専念することによって、負けないって思っています」(山口さん)

※この記事は2019(平成31)年2月10日(日)放送の視覚障害ナビ・ラジオ「教壇復帰をめざして」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

※山口雪子さんは2月25日、障害者雇用促進法に基づく調停を岡山労働局に申し立て、短大側に協議に応じるよう求めています。


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