研究者の地位と権利を守るための全国的ネットワークをつくろう!

2019年08月07日

早稲田大学教員公募事件、大学教員の真の公募制のために

■労働組合東京ユニオン早稲田大学支部
 ∟●大学教員の真の公募制のために

大学教員の真の公募制のために

2019年8月6日

大学教員の公募はいかなる専門領域(ディシプリン)にあっても、その分野が学問として自律しているか否かを知るためのよい機会となる。それが政治学であるなら、政治学という学問の自律性が問われることになる。

中国政治の研究者は、いまの中国の体制を肯定するのでも否定するのでもなく、中国の歴史の全体を把握しようと努めながら中国政治のいまについて語らねばならない。公募とはそうした者を公に募ることだから、もとより公正かつ透明なものでなければならない。

しかしそれはなかなか難しい。早稲田大学は学内に多くの反対意見があったにもかかわらず、江沢民や胡錦涛が日本を訪れたときには大講堂で講演をさせた。いまでも孔子学院の事務所が学内にあり、構内には中国からたくさんの留学生がいる。たしかにそれは日中両国の交流を深めるのに貢献するかもしれない。しかし天安門事件以降の中国の政治体制に批判的な研究者は、中国にはいまだに子供を大学にやれない貧しい家庭も多いし、日本に留学できるのは都市に暮らすゆたかな家庭の子に限られるという現実も見ている。早稲田大学で働く者ならだれでも、政治学を研究する者はなおさら、大学の政治的選択(総長がそれを代表する)を批判してもよい。なぜならそこに学問の自律がかかっており、大学とは学問の自律を保障すべきところだからである(「建学の精神」)。

わたしたちは2019年6月11日に早稲田大学を東京地裁に提訴した。2016年度に早稲田大学アジア太平洋研究科で行なわれた中国政治の専任教員の公募において不当な差別があったと訴えている。選考の結果に不満があるのではなく、そのプロセスにおいて生じた疑念について大学側に何度も説明を求めたけれども、拒否されたためである(団交の拒否)。

公募に関して、大学は外に向かって公明正大であるばかりでなく、その内部においても公募による選考のプロセスが学則や内規に抵触していないかどうかの検証をおこなわれねばならない。早稲田大学の田中総長は自ら積極的に公募での教員採用をおし進めており、しかも政治学の研究者である。われわれの疑問に法廷で答えるべきだろう。

開かれた公募制のために

大学がすべて国立であり、教員がすべて国家公務員であるフランスには、CNU(全国大学評議会)という組織がある。CNUは専門分野ごとの分科会をもち、それぞれの分野で各大学の教員の採用や昇進を全国レベルでチェックしている。私立大学が75%を超える日本では、フランスのCNUのような組織をつくるのは難しいかもしれない。しかし国公私立のすべての大学を文科省が管理している日本のシステムは、フランスの中央集権的なシステムとよく似たところがある。ゆたかな自己資本をもつアングロサクソン諸国の有名私立大学とは異なり、日本の私立大学は一九一八年の大学令以来、文科省(文部省)の管理のもとでしか機能しえない貧しい状況にいる(「私学助成」)。

フランスの大学は数のうえでは70ほどだが、すべて博士課程までそなえている。そのため地方の大学でも大学教員を養成できる。しかし地方とパリとでは提出される博士論文の数も違うし、審査のきびしさも異なる。またいずれの大学においても自分のところで育てた学生を教員にしたいという閥族主義(ネポティスム)がはびこりやすい。そのためパリで大量に生産される博士たちは、いかに優秀であってもなかなか就職できないというジレンマにおちいる。しかしCNUは「大学自治」とぶつかることも多く、必ずしもうまく機能していないのが実情である(アレゼール日本編『大学界改造要綱』参照)。

日本には800近い大学があるが、博士課程までそなえている大学は東京などの都市圏に偏っている。それゆえ博士課程を修了した者は、たやすく地方の大学にポストを得られそうにみえる。しかし事実はそうではない。すべての大学が公募をおこなうわけではないし、たとえ公募が行われていても、その公正をチェックできるCNUのような組織がない。

そこでは「採用の自由」がものをいう。公募が中教審と文科省によって推奨されるなか、私立大学においても公募による採用は増えたけれども、公募における選考のプロセスは不透明なままである。こうして日本にもフランスと同じように、大学教員の採用における「不公正と怨恨の連鎖」が生じてしまう。

バランスを欠いた国と文科省の大学政策

若年人口も減少するなか、日本の大学はアジアから留学生をあつめて経営を支えようしている。しかしその留学生はたいてい裕福な家庭のこどもたちである。日本の大学は、日本の社会の階層間に「流動性」をもたらさないばかりか、アジアの国々のエリートと大衆の二極化に貢献するものとなってしまっている。

文科省は公募の公正については何の対策も取ってこなかったにもかかわらず、「任期制」を導入して大学教員の「流動性」を高めようとしている。まるで大学から「自治」をうばうことによって、その「ガバナンス」(トップダウンの「統治」)を完成させようとしているかのようだ。財政基盤の弱い日本の大学の学内政治は国や文科省の影響をもろに受ける。たとえ総長(学長)が選挙で選ばれる大学でも、選ばれた総長(学長)が競争型資金の獲得競争に参入できる大学をめざせば、文科省のいう「ガバナンス」に組み込まれざるをえない。早稲田大学はむしろ積極的にそこに組みこまれようとしている大学なのである(「ヴィジョン150」)。

今回の訴訟の原告は早稲田大学では非常勤講師をしているが、他大学にすでに専任教員の職を持っている。非常勤の職しか持たない教員やポスドクは、応募における選考の公正に疑問を感じても声をあげることは難しい。大学側の採用の自由ばかりがまかりとおり、応募者の人権がおろそかにされている。私たちは日本の大学のこのような実情を広く社会に訴えるためにこの訴訟を起こした。

石井知章(早稲田大学非常勤講師)
岡山茂(早稲田大学教授)

|