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2021年08月05日

早稲田大学教員公募・団交拒否事件、第12回裁判

Okayama Shigeru
 ∟●早稲田大学教員公募・団交拒否事件、第12回裁判

早稲田大学教員公募・団交拒否事件

第12回裁判 2021年8月5日(木)13時10分
東京地裁 709号法廷
連絡先:労働組合東京ユニオン 電話03-6709‐8954

大学教員の公募における公正について

明治大学の専任教員である石井さんは、非常勤講師として教えている早稲田大学のある研究科の専任教員の公募に応募し、その第一次の選考で落とされました。しかし選考のプロセスに問題があったという告発が石井さんのもとに寄せられたため、石井さんは自分が落とされた理由を明らかにすることを大学側に求めることにしました。ふつう大学教員の採用において、採用されなかった者がその不採用の理由を大学側に訊ねることはありません。自分には縁がなかったと思ってあきらめるか、あらたな公募に応募するかのいずれかです。しかし労働問題の専門家でもある石井さんは、大学教員の採用の問題に関心があったたため、またすでに他大学の専任教員でもあったがゆえに、あえて早稲田大学に自分の不採用の理由を問うことにしたのです。

彼はまず当該の研究科(早稲田大学アジア太平洋研究科)に、選考のプロセスを定めた内規や選考会議の議事録を示すよう求めました。そしてそれが断られると、大学にも同じことを求めました。そしてそれも断られると、こんどは労働組合東京ユニオンとともに団体交渉によって大学から回答を引き出そうとしました。しかし大学側は、教員の採用は団体交渉事項には当たらないとして、交渉そのものを拒否したのです。大学側の言い分は、まだ大学に専任教員として採用されていない者が、大学の一員としての知る権利を主張することはできない、というものでした。また大学には企業と同じように「採用の自由」があり、自治が保障されている大学においては、その自由は企業よりも大きいというものでした。この対立は、石井さんと労働組合東京ユニオンが早稲田大学を訴えることで裁判になっています(今回はその12回目の法廷です)。

焦点となっているのは、①公募においてなんらかの疑念が生じた場合、それを晴らすのは公募を行う側の義務ではないのか、②石井さんは早稲田大学で非常勤講師をしているけれども、非常勤講師は大学の一員ではないのか、という2点です。

まず①については、公募である以上、大学が選考の公正にできるかぎりの配慮をしなければならないのは当然です。「一本釣り」による採用なら選考の手続きを学内の規程に則って行なえばよいのですが、公募による採用においては、学内の規程に則る以上に、応募したすべての候補者に対する責任が生じます。まして候補者から疑念が示されれば、それを無視することはできません。大学は自治を保障されているゆえに、企業にもまして採用における責任が問われるのです。

つぎに②に関しては、早稲田大学は専任教員と非常勤教員に別個の雇用規程をもうけていますが、その授業の多くを非常勤教員に依存している現状や、専任教員と非常勤教員の待遇に差別的状況があることにかんがみ、むしろ非常勤教員を大学の構成員としてみとめることが必要になっています。大学が自治に支えられた空間なら、非常勤教員にも「学問の自由」と「労働の権利」が認められねばなりません。

文科省は大学の教員に流動性をもたせるとして、任期制をおしすすめ、公募を行うように推奨しています。しかし公募における公正に目を光らせているわけではありません。全国の大学に公募が普及することは、ポスドクや専業非常勤の人たちにも専任教員となるチャンスが増えることだから、悪いことではありません。しかし公募における公正をチェックできる仕組みを文科省が創らないものだから、大学界に混乱が生じているのです。

文科省は国立大学法人の学長選挙などで「大学の自治」を切り崩そうとしているにもかかわらず、教員の採用に関してはすべてを大学の自己責任にしています。そのなかで早稲田大学のように、文科省の意を汲んで積極的に公募を行う大学もあらわれれます。

大学教員の公募においては一つのポストに100名以上の応募者があるのもざらです。50回以上応募しつづけているポスドクや非常勤講師もいます。それも公正な選考がなされているなら許されるかもしれませんが、そうでない恣意的な選考がまかり通っているとしたらたまりません。選考が公正に行われたというなら、早稲田大学は石井さんを第一次選考で落とした理由も明らかにできるはずです。

「採用の自由」はボス支配を許し、ボス支配は「学問の自由」を侵害します。大学の教員の公募においては、応募する者がどのような「思想・良心」を持つかではなく、その「思想・良心」をどれだけ正当化しうるかの能力が問われます。それゆえ採用する側も、自らの内部に巣くう「ボス支配」と闘わねばならないのです。学問と労働の自由をめぐるこの裁判の行方にご注目ください。


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