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 カテゴリー 成果主義

2004年11月03日

『成果主義』加速 大学サバイバル

東京新聞(11/02)

 本年度、全国の研究者から文部科学省などに応募のあった科学研究費補助金(科研費)の申請件数が過去最高となった。背景には、今年4月の国立大学の法人化で、外部資金獲得をめぐる本格的な「競争時代」の到来がある。旧帝大系へ科研費が集中する一方、科研費の未申請者にペナルティーを科す大学も現れている。大学現場で吹き始めた「成果主義」の功罪を探った。     (吉原康和)

 「本学の専任の教授、助教授、講師及び助手は、科研費を原則として(一人)一研究課題以上申請する」「教員は正当な理由なく、申請を行わなかった場合は、ペナルティーとして教員個人の研究経費の10%を年度当初配分から減額する」

 熊本大学(崎元達郎学長)の約九百四十人の教員全員に、こんな内容の文書が郵送されてきたのは今年八月上旬だった。

 「全くの寝耳に水。各学部にも何の相談もなく、一方的に通知されてきた」と文学部の教員は振り返る。科研費の学内申請が締め切られる直前の十月中旬には、「(未申請者への)ペナルティー」という言葉は削除され、「調整」という表現に修正された。だが、「未申請の教員は、研究経費を一割カット」という方針は全く変わらないままだ。

 「教員に応募資格がある以上、研究の活性化のため、積極的に応募して、研究経費を少しでも獲得していこうという姿勢を示してほしいということです。申請して不採択だった場合の奨励策も合わせて示しており、来年度は少しでも申請率を100%に近づけたい」

 熊本大の川上敏彦研究協力課長はこう説明するが、同大教職員組合役員の教員は「表現をどう変えようと、ペナルティーに変わりはない。カット対象の研究経費は教員個人の研究成果に関係なく、学生や大学院生への教育にも関係する経費だ」と語気を強めた。

■「大学の一律評価は問題」

 同大医学部の教員も「研究資金がないと研究ができないわけではない。地域やボランティアと協力して、金をかけないで地道に研究している教員もいるし、即効薬のように成果がすぐ期待できない研究分野もある。一律に評価するのは問題だし、結果的に、金を取れない専門分野の切り捨てにつながりかねない」と大学の姿勢を批判する。

■申請率上昇しても…採択額は頭打ち

 国立大学の独立行政法人化で、教員に科研費申請の義務化を打ち出した熊本大以外でも、大学運営の中にさまざまな「成果主義」を導入する大学が目立ち始めた。この結果、科研費の申請件数は一九九八年度の十万三千件から、本年度は約一万件増の十一万三千件と過去最高になったが、必ずしも“成果”を生んでいるとは限らない。

 三年前から「科研費倍増計画」をスローガンに掲げる岐阜大学。二〇〇四年度実績で教員の科研費の申請率は93%と、78%だった三年前に比べて飛躍的に上昇したが、科研費の採択額は〇二年度の約九億二千万円をピークに、頭打ちの状態だ。

 「ある程度の数値目標は仕方ない。しかし、民間企業でも成果主義の弊害が指摘されている中、評価の基準や公平性など、申請者がある程度、納得できる仕組みをつくらないといけない」

 同大文科系の教員は、現状の審査の在り方に疑問を提示するとともに、大学の試みについて、「成果主義の言葉だけが先行し過ぎると、応募すること自体が目標となり、合格できそうな当たり障りのないテーマばかりになってしまいがち。将来の新しい芽を育てることにつながらない」と指摘する。

 産学連携の内情に詳しい中国・上海交通大学の八木勤客員教授は「成果主義には両面がある。従来は上から与えられたテーマしか研究せず、自分から科研費を取りにいくような先生も少なく、『甘えの構造』もあった。その点でテーマを与え、研究課題を明確にさせることはいいことだ」と成果主義のプラス面を評価したうえで、今後の教員像についてこう断言する。

 「確かに成果主義になじまない学部や教員はいる。これからは純粋培養型の先生は住みづらいと感じ、企業など外部との接点のない教員は淘汰(とうた)される。社会的な評価に耐えられる研究をしていくことが教員一人ひとりに問われている」

■『知の拠点』として地域の役割配慮を

 三年前の学長就任直後に「科研費倍増計画」を掲げ、学内改革に取り組む岐阜大の黒木登志夫学長に、科研費を取り巻く状況などについて聞いた。

 ――法人化のプラス面をどう評価しているのか。

 コスト意識を持つようになったことが一番だ。

 ――「科研費倍増計画」はうまくいっているのか。

 (科研費の採択件数、採択額は)確かに頭打ちだが、教員の申請率は二〇〇四年度実績で93%まで増えた。

 ――倍増計画の方は。

 倍増はともかく、「目指せ十億円」という目標は、もうひと頑張りというとこまでいったが、そこで止まってしまった。

 ――原因は。

 いろいろと学内の声を聞くと、「これだけいい研究成果を出したのに、なぜ、落ちたのか」「いい論文を一年のうちに四編も書いたのに、二百五十万円の研究費も通らない」という不満が多い。「地方大学は(科研費を)申請してもだめだ」というあきらめムードも出ている。事実、〇四年度の科研費の採択を見ても、旧帝大系の七大学への配分が全体の約五割に対し、地方の国立総合大学四十二校は二割。それにしても全大学数の1%の旧帝大系が五割の予算を取るのは集中し過ぎだ。

 ――科研費に何を期待するのか。

 このままだと、競争に強い人だけが勝っていくという弱肉強食がますます強まっていくが、それはやはり好ましくない。競争資金にすべてシフトするというのは見直さなければいけない。ある一定のレベル以上のものは継続的に研究費を出し育てていくことが重要だ。

 ――大学の生き残り策は。

 やはり特徴を持たせ、研究を一生懸命にやるしかない。今、旧帝大系だけがクローズアップされているが、地方には一定レベル以上の国立総合大学が四十二ある。地方に知の拠点があるのはいい点だ。そうした地域の要請にもきちんと応えていかなければならない。


Posted by 管理者 : 掲載日時 2004年11月03日 01:11 | コメント (0) | トラックバック (0)
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